第141話 修験者の使者
「そういえば、山形県の庄内地方は即身仏が多いことで知られています。その方たちは木食の行を行い、最後に土中入定と言って地中の小部屋で絶命するまで鈴を鳴らしながら読経したのだそうです。この鈴の音は何だかそのことを思わせますね」
栗田准教授が静かにつぶやくと、皆が一様に気味悪そうな表情を浮かべた。
「先生やめてください。一人でトイレに行けなくなるじゃないですか」
クラリンが苦情を言う。
「すいません。即身仏を見に行きたいと思っていたので、つい連想してしまいました」
栗田准教授が申しわけなさそうに答え、僕は常々疑問に思っていたことを尋ねた。
「即身仏というのはお坊さんの究極の修行なんですよね。なぜそんな厳しい修行を行ったのですか」
「宗教的な側面での修業というだけでなく、飢饉や悪病に苦しむ衆生の難儀を代行して救済するために一身を捧げるという意味もあったようです」
崇高な考え方のように思えるが、それにまつわる鈴の音かもしれないと思うと、気持ちのいいものではない。
「ちょっと、鈴の音の正体を見極めてきます」
僕は立ち上がると部屋の外に出た。音の出どころを確かめてみたらアイスクリームの行商だったとか、正体がわかれば落ち着いて休めると思ったからだ。
「私も一緒に行くよ」
山葉さんものんびりとした様子で僕の後に続いた。
彼女にしてみれば鈴の音にかこつけて僕と散歩するつもりだったのかもしれない。
2階にある自分たちの部屋を出て、階段を下りた僕たちは鈴の音を確かめる前に、宿のフロントで騒いでいる二人連れに気が付いた。
高齢の女性がフロントにいる宿の支配人に詰め寄っていて、もう一人の若い女性が引き留めようとしていた。
「おばあちゃんもうやめて。一度寄付した人形を返せというなんて非常識なのよ。もう帰りましょう」
「あなたが勝手に寄付したんでしょう。私はスカリーちゃんを返してもらいたいだけなのよ」
祖母と孫娘らしい二人がもめているのを見て、フロントの支配人は困り果てているようだ。
「田畑さん、そんなに大事な人形だったのでしたら私どももお返ししますから。どうぞこちらにおいでください」
フロントから出てきた支配人が、座敷童の間を手で示した。
「違うんです。おばあちゃんはあの人形に異常に執着して、日常生活に支障が出ていたから私が取り上げたんです。そして、人形を捨てようとしたら私の両親が立て続けに事故に遭ったりしたから、捨てるのをやめてここに寄付させてもらったの。おばあちゃんに戻してはダメ」
何か深刻な話のようだが、山葉さんは彼女たちの先回りをするように座敷童の間に行くと引き戸を開けて中に入った。
「山葉さんどうするつもりですか」
僕が尋ねる間に、彼女はずらりと並べられている人形の中から、金髪でブルーのドレスを着せられたフランス人形を取り上げた。
座敷童の間に並ぶ人形は黒い髪の日本人形がほとんどだが、稀にドレスを着たフランス人形も混じっている。
「どうだろうウッチー。この人形に霊の類が取り付いているように感じるか?」
彼女が眉間にしわを寄せて人形を見つめているので、僕もしげしげと人形を眺めてみた。
以前、座敷童を動画で撮影した時に彼女たちの代わりに映りこんでいた人形の一体のようだ。しかし、霊が取り憑いているような気配はみじんも見えない。
「何も取り憑いていないと思いますよ」
僕の言葉を聞いた彼女は、自信ありげにうなずく。
「私もそう思う。それゆえ、この人形はあのおばあちゃんに返してもよいのではないかな」
山葉さんは抱えていた人形を再び元の場所に戻す。そしてそれは、田畑さんたちと宿の支配人が座敷童の間に入ってくるのと同時だった。
「それよ、それが私のスカリーちゃんよ」
田畑さんと呼ばれた高齢の女性は山葉さんが抱えていた人形を指さして大きな声を出す。
「何故この人形だと分かったのですか。」
僕はほかの人に聞こえないように山葉さんに聞いた。
「簡単な推理だよ。スカリーちゃんという西洋系の名前からして西欧系の風貌の人形に絞ったのだが、それが3体。そのうえで、最近持ち込まれたと見えるのはこれしかなかったからだ」
獏たちがひそひそ話をしている間に、孫娘はげんなりとした表情を浮かべた。
「その人形を、四六時中人間の子供みたいにかいがいしく世話をしていたから、どこかおかしいかもしれないと思ってお父さんたちが取り上げたんでしょ。もういい加減にしてよ」
険悪な雰囲気になった二人を見ながら山葉さんは再び「スカリーちゃん」の人形を手に取ると孫娘に向かって告げた。
「差し出がましいことを言って申し訳ないですが、高齢の方が一時そういった行動をとられても特に問題なく回復されることがあるそうですよ。私はただの宿泊客ですが、知り合いに似たようなことがありましてね、逆に人形を手元に戻されたらそれで気が済んで何事もなく元の生活に戻る場合もあるみたいですよ」
孫娘の女性ははっとしたように顔を上げた。
「私は田畑由美と言いますが、おばあちゃんが以前人形を取り上げられた時にすごく寂しそうにしていたのでかわいそうだとは思っていたんです。本当に戻してあげても大丈夫なんでしょうか」
由美さんは山葉さんを見つめながら尋ねる。
「その人形をおばあさんに戻して問題が起きたらまたここに持ち込めばよいだけのこと。しっかりしたおばあさんですから何事もないと思いますよ」
由美さんはしばらく逡巡していたが、宿の支配人に顔を向ける。
「すいません。この人形を持って帰っても構わないでしょうか」
支配人は微笑を浮かべて答える。
「もちろん構いませんよ。あくまで、座敷童へのお土産で持ってきていただいたものですから、元の持ち主の方でしたらご自由にどうぞ」
山葉さんは怪訝そうに首を傾げた。
「私たちの代表が聞いたところでは、人形を持ち帰る人がいたから扉を付けたのではないのですか」
「ああ、それはですね、この宿に宿泊に来られた方が記念に持って帰ろうとするのでそれは困るということでお断りしているという話なんですよ。扉については、問題がある人形があるからと大角様が指示されたそうですが」
その時、僕たちの背後のロビーからチリーンと鈴の音が響いた。
先に座敷童の間からロビーに出た田畑さんを追って宿の支配人と僕たちがロビーに行くと、田畑さんたちに立ちふさがるように山伏風の装束をまとった男がたたずんでいた。
もっとも、普通の山伏姿だと頭には六角形のカップのようなものを付けるはずだが、彼の場合は白い手ぬぐいをまいた宝冠と呼ばれる形で上着にも市松模様が入っている。
その男の腰には動くとチリーンと澄んだ音を立てる鈴がつけられていた。
「鈴の音の正体ですね」
「うん、向こうから来てくれたようだ」
僕たちがひそひそと話している横で、山伏風の男は、田畑さんが抱えている人形を、芝居がかった仕草で指さすと、大きな声で告げた。
「その人形を持ち出すことはまかりならん」
「いえ、大角様この方は人形の元の持ち主で、わざわざ返してほしいと相談に来られたので私が認めようと思ったのですが」
宿の支配人はとりなすように説明したが、大角と呼ばれた山伏姿の男は大仰に首を振った。
「そのようなことを申しているのではない。その人形は子供を亡くしたアメリカ人の夫妻が亡き娘をしのんで遺髪を植え込んで作った人形なのだ。その上夫人はその人形を娘の代わりにかわいがったので、亡くなった娘の霊がすっかりその人形に宿ってしまっている。夫妻が無くなった後、人手に渡った人形は自分を世話する者を求めるようになったのだ。」
由美さんは口を押えて祖母が抱える人形を凝視した。
「この人形にそんな由来があったなんて」
「心当たりがあろう。それゆえ、それがしが封印したのだが、何者かが封印の札をはがした気配があった故、確認に来た次第じゃ」
僕は山葉さんの表情を伺ったが、彼女はおかしそうにクツクツと笑い始めた。
「大角様とやら、本当にあなたが封印されたのかな。あまつさえ封印をはがした時にあなたが呪詛を飛ばしたのだとしたらそのように血色がいい顔でここに現れることはできないはずだ」
「ほう、呪詛を飛ばされたと分かるということはおぬしが封印をはがした者だな。何故そのようなことをしたか包み隠さず申せ」
大角氏は大きな目を向いて山葉さんをにらみつけたが、彼女は意に介さずに続けた。
「本物の術者なら話もするが、お使いに来た代理の方では話しても内容が分かるまい。そもそも、それが問題の人形だと思い込むようでは霊感も何も持たない者がお芝居をしているのではないかな」
「ぶ、無礼なことを申すな。私はもう帰る」
高圧的な態度とは裏腹に、大角氏はくるりとうしろを向くと宿の玄関に向けて歩きはじめる。
しかし、山葉さんは先回りして大角氏の目の前に立ちふさがっていた。
「お帰りになるなら、座敷童をお菓子でおびき寄せてこの扉に封印をし、私たちに呪詛を飛ばしたご本人のところに案内していただこうか。私としても一言いいたいことがあるのだ」
大角は額に汗を浮かべて口ごもる。山葉さんはたたみかけるように続けた。
「あくまで知らぬ存ぜぬというなら、私の式神の力を味わっていただこう。」
顔中に汗を浮かべた大角氏は、しばらく逡巡している様子だったがやがて、訥々と話し始めた。
「すいません。私は実は小林と申します。市役所を退職後にシルバー人材センターに登録していて大角先生に雇われたのです」
「なんですって。あなたが大角先生ではないんですか」
支配人は大きな声で彼に詰め寄る
「大角先生のために申しますが先生は本物の修験者です。ただ、人と交わることが苦手なので私のような者を雇って渉外に使っているのです」
小林さんは山葉さんの方に目を向ける。
「大角先生のために申しますと、座敷童をお菓子でおびき寄せるのは私の発案です」
「どうしてそんなことをしたんですか」
僕が問い詰めると小林さんは目を伏せた。
「私の母が座敷童はお菓子でおびき寄せて閉じ込めると話すのを聞いたことがあったのです。そうしなければいけないものだと思っていました」
山葉さんはやれやれというように首を振りながら言う。
「それでは本物の大角様のところに案内してもらおうか」
小林さんはゆっくりとうなずいた。
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