第140話 闇に響く鈴の音
僕と山葉さんは座敷童の姿が消えた廊下を歩いてみたが、彼女たちの痕跡は見つけられなかった。
座敷童に気を取られて時間が無くなったので、僕たちはそのまま宿の大広間で夕食をとることになった。
温泉旅館の宿泊プランとなると、ご当地の名物が次々と運ばれてくる。
僕は緑色のカット野菜ペーストみたいなのがこんもりと盛られた皿を前にして、テーブルに置いてあったお品書きと見比べていた。
「これって、なんて料理でしょうね」
「順番から言ってだし豆腐でしょ」
僕のつぶやきに山葉さんが答えるが彼女は僕の様子を見ているらしく、料理に手をつけようとしない。
ずるいぞと思いながら、僕は料理に添えられたスプーンで緑色の塊をすくって口に運ぶ。すると僕の口の中に想像を超える味が広がった。
無言で二口目を食べる僕に山葉さんが尋ねる。
「ちょっとウッチー、どんな味なの?」
「フフフ、それは食べてみてのお楽しみだな」
僕が引っ張ったので彼女は少しイラついたようだ。
「もったいぶっていないでちゃんと食レポしろよ」
彼女を怒らしても大して面白くないので僕は解説を始めた。
「濃厚な味の豆腐の上に、細かく刻んだ夏野菜が乗っていて、だしと醤油系の味付けなんです。すごくおいしいですよ」
「なんだその系統だったのか」
何を想像していたのか不明だが、彼女は安心したように料理に手を伸ばした。
「なあ、ウッチー座敷童の間で受けた電撃みたいなのはいったい何だったのかな」
料理のコースが刺身の盛り合わせになったところで、雅俊が心なしか疲れたような表情で僕に尋ねる。
「あれは、部屋の中に妖の類を閉じ込めるためのお札だったらしい。ちょっとした結界並みの効力があったと彼女が言っていたよ」
僕が山葉さんを示すと、アワビの刺身を肴に吟醸酒を飲んでいた彼女は、カットグラスを片手に神妙にうなずいて見せる。
「そうか、道理できつかったわけだな。俺は何だかダメージが残っているみたい」
雅俊は、言葉の途中で貧血を起こしたようにくたくたと畳の上に倒れた。
「どうしたんだ雅俊。しっかりしろ」
僕は雅俊を助け起こそうとしたが、彼の額には玉のような汗が浮かんでいる。
「悪いな。なんか昼間の電撃の後、体調が悪かったんだけど、さらに気分が悪くなってきたみたいで」
「そういえば今日は妙に静かだと思ったらクラリンと栗田先生の声が聞こえなかったな」
山葉さんが隣に座っていたクラリンをツンと指でつくとクラリンは座椅子の背もたれからずるずると滑り落ちていった。
僕は慌てて栗田准教授に呼びかけた。
「栗田准教授、大丈夫ですか」
栗田准教授は座椅子に持たれて目も開けている。
片手に吟醸酒が入ったカットグラスを持ったままの姿勢だが、僕の呼びかけには反応がない。
「大変だ、意識がないみたいだ」
僕は栗田准教授の手から中身がこぼれないようにそっとグラスを取り上げて座卓の上に置いた。
「どうやら異変が起きつつあるようだな。影響がないのは私とウッチーだけか」
山葉さんは勢いよく立ち上がったが、立ち眩みがしたようによろける。
「何が起きているんですか」
僕は栗田准教授を畳の上に寝かせながら、山葉さんに尋ねた。
「おそらく、私が剥がしたお札の術者が、そのことに気が付いて私たちに呪詛の念を送っているのだ」
彼女は頭を振ると、自分にまとわりつく何かを振り払うようにして立ち上がった。
「それだけで人が倒れてしまうなんて信じられない」
僕は、畳の上に横たわる栗田准教授の様子を見たが、彼が凝固してピクリとも動かないことに愕然とする。
そして、周囲を見回した僕は、動かないのは彼だけではないことに気が付いた。
「どうやら、私たち以外は時間が止まったようだな。耐性がある私たちは違う時間の流れに絡めとってゆっくりと始末するつもりかな」
「どうするんですか」
僕自身も軽いめまいを感じていた。山葉さんは真剣な表情で僕に告げた。
「私の荷物に必要最低限の祭具が入っている。それを使って呪詛返しの祈祷を行おう」
彼女は2階にある自分の部屋に行こうとするので、僕もそれに続いた。
大広間から出た僕たちは、料理を抱えた中居さんに鉢合わせした。
彼女も時間停止の例外ではないようで片足が宙に浮いた状態で固まっている。
「これは私たちに持ってくる途中の山形牛のステーキのようだな。冷めないうちにこの件を片付けてしまおう」
「いや、時間が止まっているから冷めないでしょ」
山葉さんが緊張感のない話を始めるので僕は一気に力が抜ける。
彼女は2階に向かう階段を昇りながら、山形牛の話を続ける。
「山形県といえば米沢牛が有名なんだけど、このエリアでは山形牛と呼ぶのかな」
「山形県も広いですからね、藩政時代に米沢藩とか山形藩があったわけだから地域性が違うのかもしれませんよ。それに加えて最近は産地表示が厳格になっていますからね」
「なるほど、同じ県でも別エリアで生産したものは違うブランドになってしまうのか」
自分の部屋に入った山葉さんは自分のキャスター付きのバッグをごそごそと探しながらつぶやき、やがて彼女はバッグの底の方から大ぶりのタッパーを引っ張り出した。
タッパーを開けるとその中には和紙で作った式神が入っていた。
式神とはいざなぎ流で儀式を執り行うときに使われる紙でできた御幣の一種だ。
それはいざなぎ流の神々の依り代であり、術者にとっては使い魔でもあるという。
「何かあったら使おうと思って、山の神様の式神と榊を準備しておいた。「みてぐら」がないが、今回の呪詛はそのまま相手に返してしまうから使うことはないのでこのタッパーで代用しよう」
「呪詛を返すんですか」
山葉さんは顔を上げて険しい表情をする。
「そうだ、いつもなら呪詛返しの祭文を唱えても、無効化した呪詛を「みてぐら」に納めて、決して人の手が触れることがない場所に埋めてしまうのだが、今回はかけられた呪詛をそのまま相手に返してやるつもりだ」
僕は、額に汗を浮かべた雅俊の表情を思い出す。
「その相手はどうなるんですか」
「自分が使った呪詛を自ら体験することになるだろう。どんな奴か分らぬが座敷童の間のお札の使い方といい、自分が行使する力とその結果に対してあまりにも思慮が欠けているからね」
彼女はタッパーごと抱えて再び階下の大広間に行くつもりのようだ。
部屋の中にはすでに布団をが敷かれており、いざなぎ流の儀式を行うにはスペースが足りなかったからだ。
僕たちは部屋の入り口で山形牛のステーキを抱えたまま彫像のようにたたずむ中居さんの脇を通って再び大広間に戻り、呪詛返しの祈祷を始めた。
普段なら、「みてぐら」と呼ばれる祭壇状のものに、式神を収めていざなぎ流の儀式を行うのだが、今回はそっけないプラスチックのタッパーがその代わりだ。
山葉さんは、いざなぎ流の祭文を唱えながら祈祷を始めた。
いざなぎ流の祈祷は祭文を唱えながらゆっくりとした動きの神楽を舞うことに特徴がある。
大広間では栗田准教授と雅俊、そしてクラリンが時の止まった状態で横たわっており、他の宿泊客も食事の途中で動きを止めて固まっている。
しかし、山葉さんにとって、周囲の時間が停止しているのはかえって幸いしたかもしれない。
いざなぎ流の祈祷は本来なら三日三晩かけて行うものもあるという。
彼女は普段、ダイジェスト版として祈祷のエッセンスの部分だけで代用しているが、時間を気にしなくてもいいので心置きなく祈祷を行うことができたようだ。
主観的にずいぶん長い時間が過ぎたころ、タッパーの中に安置されていた山の神の式神はカサカサと微かに動き、やがてザザッと音を立てて宙に浮かび、忽然とその姿を消した。
山葉さんは、祈祷を終えて肩で息をしながら周囲を見回した。
「おかしい、祈祷を終えたのに時の流れが元に戻らない」
僕も同様に部屋の中を見回した。大広間の中は先ほどまでと変わりなく僕たち二人以外には動くものはない。
しかし、僕の目に何かが動いたのが映った。座椅子からずり落ちたままの姿勢で横たわっているクラリンの背中から紙切れがひらりと舞い落ちたのだ。
近寄って拾い上げると、それは紙を切り抜いて作った人型だった。
「山葉さん、こんなものがクラリンにくっついていたみたいです」
僕がかざして見せると彼女は眉間にシワを寄せて見ながら言う。
「ウッチー、それを今すぐ燃やしてくれ。彼女が散歩に出た時にくっついて入り込んだのだろう」
僕は言われたとおりに、燃やそうとしたが、あいにく僕はタバコを吸ったりしないのでライターの類を持ち合わせていない。
座卓の上にカセットコンロでもあれば使えるのだが、宿の料理は固形燃料を使って紙鍋を温めるという上品なものだった。
しばらく考えた僕は、大広間の入り口にたたずんでいた中居さんのところに行った。
彼女が着火用の道具をどこかに身に着けていたような気がしたからだ。
僕は、彼女に触れないように周囲を回って探して、帯の脇に通称「着火人」と呼ばれる大型のライターみたいなやつが差し込まれているのを見つけた。
「ちょっと借りますね」
僕は聞こえないのを承知で彼女に一声かけると、「着火人」を借りて大広間に戻った。
そして、燃えさしが落ちたらいけないと思ったので、自分の席の料理を食べ終えた皿の上で紙の人型に火をつけた。
紙の人型は,パチパチと火花を散らしながら、ただの紙とは思えない勢いで燃え上がる。
最後に残った紙片が燃え尽きた時に僕の耳に様々な物音が飛び込んできた。
周囲の時間の流れが元に戻ったのだ。
僕が揺り起こすと、雅俊は意識を取り戻した。
「あれ?さっきまで調子悪いと思っていたけどいつの間にか治ったみたいだ。お騒がせしました」
僕が雅俊に事情を説明しようとすると、山葉さんは微笑を浮かべながら首を振る。
クラリンと栗田准教授も目を覚まし、何事もなかったように食事が再開された。
「おかしいな。私いつの間に寝てしまったんやろう」
クラリンがつぶやいている横で、中居さんが山形牛のステーキを配膳し始める。
彼女は僕の前に来た時に、僕が座卓の上に置きっぱなしにしていた「着火人」に目を止めた。
自分の帯のあたりを手探りした彼女は慌てたように言う。
「あらやだ、私はこれを置き忘れていたのですね。どうもすいませんでした」
中居さんが「着火人」を帯にさし、食べ終わった食器を回収していくと、山葉さんは僕の顔を見てクスッと笑った。
食事の後、僕たちは何となく男性3人の部屋に集まって緩い雰囲気で座敷童の話などしながらくつろいでいた。
僕は座敷童の間から逃げ出していった二人のことを話そうかと思ったが先ほどの出来事もあったのでなんとなく口に出すのを躊躇する。
栗田准教授がフィールドワークで聞き集めた話を披露している時、僕は遠くから微かに鈴の音が響いてくることに気づいた。
その音は意識する前からしばらく聞こえていたような気がする。
「なあ、さっきから鈴の音が聞こえないか」
雅俊が口にしたことで、僕はやっとそれが現実に聞こえている音だと確信できた。
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