第135話 樹海探訪

首を絞めらている感覚はあるが既に既に視力は失われている。

暗闇の中でゴーッという轟音が響き、その音が止む時が自分の命が尽きる時だといつしか理解していた。

「何故?」

酸素が尽きていく自分の脳の中で言葉が紡がれる。

そうだ、何故自分はこんな目にあわされるのだろう。

理不尽な暴力にさらされるような落ち度は自分にはないはずだ。

いつしか疑問の念は怒りに置き換えられていく。

この無念、いつか晴らさなければ。

怒りの念はさらに復讐への誓いに変わっていく。

それは人の手にかかって殺された無念が恨みへと変わる瞬間だった。

「ウッチー、どうしたんだ」

女性の声が聞こえ、同時に肩をゆすられて僕は目を覚ました。

僕が目を開くと、そこは走行中の乗用車の後部座席だった。

トンネルの中を走行しているらしく、オレンジ色のライトが速いスピードで次々と通り過ぎていく。

僕はしばらくの間、見当識を喪失し、自分を揺り起こした女性の顔をきょとんと眺めていた。

「しっかりしろ」

女性の手が裏拳で僕の頬をなぐり、僕はやっと我に返った。

僕達は、竹村さんの所有のドイツ製ステーションワゴンで河口湖方面に向かう途中で、ステアリングは室井さんが握っている。

「随分うなされていたうえに、寝ぼけていたようだが」

山葉さんが苦笑交じりに僕を気遣う。先程の僕は彼女のことさえわからなくなっていたようだ。

「誰かに首を絞められる夢を見ていたんです」

僕は無意識のうちに、自分の首に手を当てながらつぶやく。

「首を絞められる夢を見たんですか」

助手席に座っている竹村さんがシートの背もたれ越しに振り返る。

「ええ、誰かが馬乗りになって僕の首を絞めている夢なんです。その時点で目がかすんでいたみたいで相手の顔がよく見えなくて、そのまま意識を失っていくところでした」

僕が手短に説明すると、竹村さんが眉間にしわを寄せるのが分かった。

「まさか、首を絞められていたのは行方不明の恵理子はではないですよね」

「それは何とも言えません」

僕は短く答えるにとどめた。

人の記憶を追体験しても記憶に名前が書いてあるわけではないので、だれの記憶か判別はできない。

記憶の中に誰かが登場して名前を呼ばれたりしない限り、特定は難しいのだ。

「可能性は否定できないが彼の言う通りはっきりしたことはわからないでしょう。彼が夢の続きを見てもっと新たな情報を仕入れたら別ですけどね」

山葉さんは後ろを振り返った竹村さんを眉間にしわを寄せて見つめていた。

それは彼女が霊視をする時の癖だ。

僕の霊視と彼女の霊視は異なるメカニズムで成り立っており、周波数が合わないといった理由で僕には見えない霊が、彼女には視認できる。

しかし、彼女にはおぼろげな形しか判別できない霊でも、チューニングが合っていれば、僕には生前のディテールまで見ることができる。

「絞殺されつつある人の臨死状況を追体験したくはないですよ」

僕は何気なく言ってから自分の失言を悟った。

竹村さんの顔色が変わるのが見て取れたからだ。

はっきりと言わなくても、僕の発言は行方不明になっている竹村さんの奥さんが、すでに絞殺されていることを示唆しているようにとれる。

我ながらデリカシーがないとしか言いようがなかった。

「恵理子は誰かに殺されてしまっているのでしょうか」

案の定、竹村さんは暗い表情でつぶやき、山葉さんは彼から見えないように僕の太ももの辺りをツンと突いてから言う。

「彼が見た夢が恵理子さんのものだとは限りませんよ。乏しい手掛かりですが青木ヶ原樹海を探してみましょう」

「しかし、誰かに絞殺されたのではないとしても、青木ヶ原樹海は自殺の名所ではありませんか。彼女が行方不明になってからもう2か月も経っていますし」

竹村さんの言葉は、結論まで言わずに途切れた。

「いや、メモを見る限りでは彼女は必ずしも自殺をするために青木ヶ原樹海に行ったのではないと思いますよ。現地に着いたら説明します」

山葉さんが場の雰囲気をとりなすように言ったが、竹村さんは無言のままだ。

運転をしている室井さんがバックミラー越しに僕に一瞥をくれたのが見え、車内は重苦しい沈黙に満たされた。

室井さん中央自動車道の本線から、富士吉田線にスムーズに乗り入れていく。

「お二人ともお昼は取られていますか」

室井さんはさりげなく聞いた。

「いいえ、後で食べようと思っていたのでまだですが」

山葉さんが答える。

「それでは河口湖インターチェンジで降りたあたりで食事にしましょうか。竹村さんもそれでよろしいですか」

「ええ、私は構いませんよ」

竹村さんは気乗りしない雰囲気で答える。

室井さんは、河口湖インターチェンジを降りると国道139号線に乗り入れ、道路端に目に付いた大きなホテルに車を寄せようとウインカーを出した。

「とりあえずここで食事にしましょうか」

室井さんは、あまり内容に頓着しないで目に付いたところで食事にしようと考えたようだが、竹村さんは難色を示した。

「そこは観光用のホテルで高そうですよ。その先の大きな交差点を河口湖方面に行ったところに、ほうとう料理のお店があるからそこに行きましょう」

「わかりました」

室井さんは素直にウインカーを止めると再び直進する。

「この辺にお詳しいんですね」

山葉さんがさりげなく尋ねると、竹村さんは一瞬口ごもってから答えた。

「以前、富士十ハイランドに遊びに来た時のことを覚えていたんですよ」

「奥さんと一緒に来られたのですか」

「そんなところですね」

山葉さんと竹村さんが他愛のない話をしている間、僕は国道を走る車から見え隠れする富士山を眺めていた。

室井さんが話題を昼食に振ってくれたおかげで、重苦しい雰囲気が無くなり僕はホッとすしていた。

室井さんは竹村さんの指示どおりに立体交差となった交差点で河口湖方面に進み、いくらも行かないうちに、道端に大きな駐車場を備えたレストランが見えてきた。竹村さんの記憶は間違っていなかったようだ。

休日なので店内に人は多かったが、僕たちは待たされることなく席に案内された。

昼食にしては時間が遅くなっていたおかげのようだ。

竹村さんがトイレに行くために席を立った時に僕は山葉さんに尋ねた。

「山葉さんは竹村さんに何かが取り付いているように見えるのですか」

「ああ、何かが彼に絡みついているように見える。そう尋ねるところを見るとウッチーには見えていないのだな」

僕はうなずいた。先ほど、竹村さんを見ていた時の彼女の目つきが気になり聞いてみたのだ。

「恵理子さんは既に何者かに殺されていると考えたほうがいいのでしょうか」

室井さんは硬い表情で尋ねる。

「私はそうだと考えている。恵理子さんが青木ヶ原樹海までの道のりを記したメモを見た限りでは、彼女は自殺しようと考えてここに来る旅程を調べたのではないと思うのだ」

「どうしてそう思われるのですか」

「彼女は行先のバス停を西湖コウモリ穴にしていた。その場所は駐車場もあり、樹海や洞窟を見るための散策ツアーの起点となっている。もしも自殺するつもりなら、もっと青木ヶ原樹海の深い場所に隣接したバス停で降りるはずだ。少なくともあの日程表を書いた時点では、彼女は青木ヶ原樹海に散策に来るつもりだったと考えるべきだ」

山葉さんは車の中で調べていたらしいスマホの画面を示して言う。

その画面には青木ヶ原樹海の樹木や洞窟の写真が示されていた。

「いずれにしても恵理子さん本人はすでに亡くなっているとお考えですか」

室井さんは沈痛な表情で聞く。

「竹村さん本人にまとわり付いているのは、彼女の霊だと思う。ウッチーの霊視の波長が合えば、彼女の表情を見たり声を聞いたりして真相に近づけるのだが、私の霊視では彼女が夫に自分を探してほしいと思っているのかさえ定かではない」

その時、竹村さんがトイレから戻ってきたので僕たちは口をつぐんだ。

僕は理恵子さんが竹村さんに探してほしいのでなければ何を訴えようとするのだろうかと山葉さんの言葉の続きを考えていた。

僕達4人はそのお店の定番らしいほうとう定食を頼んだ。

一人用の鉄なべに入ったほうとうは、豚肉やカボチャ、ネギなどの野菜の他にたっぷりのキノコと山菜が入っている。

ほうとうの見た目は厚めのきしめんというか幅広のうどんと言った感じだが、沢山の具と一緒にみそ仕立てのスープに浮かぶほうとうは柔らかくてそれ自体がスープにとろみを加え、独特の食感だ。

「僕は、ほうとう食べたの初めてですよ」

「東京出身なのに意外と近隣県の食べ物も知らないんだね」

山葉さんは笑うが、東京に住んでいるからと言って山梨を含めて栃木や群馬の名物を知悉しているかと言えば意外と皆知らないのではないだろうか。

食事をとったおかげで、少し穏やかな雰囲気となった僕たちは再び青木ヶ原樹海を目指して出発した。

室井さんがドライバーズシートに着いた時、少し落ち着きを取り戻した様子の竹村さんが申し出た。

「青木ヶ原樹海の近くで駐車場がある場所にナビを設定しましょうか」

「お願いできますか。私も詳しい場所は知りませんから」

竹村さんが手早くナビを設定して、室井さんはゆっくりと車を出した。

もとの国道に戻って西に進むと、富士山の姿はよく見えるが、湖はほとんど見えない。

「河口湖とかあまり見えないのですね」

「地図によると国道と湖の間に市街地や山がありますからね。湖畔をドライブする道はもっと北の方にあるのですよ」

竹村さんは穏やかな口調で応える。

しばらく走ったところでカーナビゲーションの案内は分岐を告げ、僕たちはさらに富士山の斜面を登る県道に入った。

やがて、カーナビゲーションが目的地周辺を告げたところで、室井さんは観光土産のショップが併設された駐車場に車を止めた。

車を降りて周辺を見回すと、バス停には青木ヶ原樹海富岳バス停と書いてある。

僕と一緒にバス停の表示を無言で見つめていた山葉さんは、ゆっくりと皆に告げた。

「現状で恵理子さんにつながる手掛かりはこれ以上ありませんが、青木ヶ原樹海を少し散策してみましょう」

彼女の言うとおり、恵理子さんが青木ヶ原樹海にいるという確証は何もなかったが、僕たちは散策路の表示を頼りに樹海の中に足を踏み入れた。

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