第124話 盗撮画像の波紋
カフェ青葉は日曜日の昼時というシチュエーション故に様々なタイプのお客さんで込み合っていた。
僕と山葉さんは忙しさがピークとなる時間帯に抜けるので、それなりに気を使う。
「クラリン、今日のランチタイムメニューの材料はこっちにまとめてあるよ。メキシコ風そぼろはこっちに20人前作ってあるから、これから使ってくれ」
「山葉さん言うに事欠いてメキシコ風そぼろなんて呼び方したら、今日のランチタイムメニューのタコライスセットを食べる人が気の毒ですよ」
時間がないので巻き気味に説明する山葉さんに、クラリンがまったりと絡む。
「私はあれはメキシコ風そぼろご飯にレタス、チーズ&トマトをトッピングしたという認識だったが違うのか」
山葉さんはしゃべりながら、ランチプレートに今日のセットの盛り付け見本を作っている。他のスタッフがそれを基準に盛り付け量を調整するので結構大事なやつだ。
「違いますよ。そぼろは醤油と味りんと砂糖を使って甘じょっぱく仕上げるけど、タコライスのひき肉はチリパウダーとか塩コショウも加わってもっとスパイシーな雰囲気じゃないですか」
「わかった。そぼろじゃなくてレシピ通りに味付けしたひき肉だから安心して使ってくれ」
結局、山葉さんが折れて言い直している。
「レタスとトマト、それからチーズはこっちの冷蔵庫にあるよ」
僕が残りの材料の在処を教えると、クラリンはうなずいて見せる。
「大体の流れと材料の場所は把握しました。大丈夫です」
そこに、店の中から入ってきた雅俊が顔をのぞかせる。
「今日は警察署に行くんだろ。犯人捜査にサイキックを使うなんて日本の警察も進歩したもんだな」
話が独り歩きした結果、事実とはかなり違う形で彼の耳の入ったようだ。
「違うよ。阿部先生が個人的に僕に依頼しただけで、仮にサイキックな能力を使って証拠を見つけても公判では証拠として使えないと言っていた」
「なんだそうなのか。まあ頑張ってくれ」
雅俊とクラリンはあわただしくランチセットの準備を始めた。
僕と山葉さんはそそくさと店を出て下北沢駅に向かう、駅前で沼さんと落ち合った後で阿部先生の車に拾ってもらう予定だった。
下北沢駅の前に着くと約束の場所には沼さんが先に来ていた。
「ウッチー先輩、山葉さんおはようございます。遅かったですね」
「うん、引継ぎに思ったより手間取ったのだ」
山葉さんは言葉少なく答えた。
待つほどもなく、阿部先生が車で迎えに現れたので、僕たちはさっそく乗り込んだ。
「若々しいイメージの車に乗られているんですね」
阿部先生が乗ってきたのは、少し古い型のホンダシビックTYPE-R、スポーツタイプのハッチバックだったのだ。
「僕は、いわゆるホットハッチが好きなんや。こいつは国内販売されなかったのでヨーロッパ仕様の逆輸入品なんやで。ハイスペックの割に、こうして大人4人が乗れるところがえいやろ」
「そうですね」
助手席に乗った山葉さんが笑顔で答えた。
阿部先生は関西出身なので打ち解けた相手には関西弁で話す傾向がある。どうも僕の周りは関西出身者率が高いようだ。
「今日ウッチー君に依頼する件を少し説明しておこうか。僕が担当しているのは向田しのぶさん。同じ会社に勤務する金崎由香さんの自宅マンションで被害者のキッチンにあった包丁で金崎さんに切りつけようとして傷害未遂容疑で現行犯逮捕された」
「その二人の年齢を教えてください」
山葉さんはスマホにメモを始めていた。
「向田さんが24歳、金崎さんが26歳。務めているのは都内の食品会社」
「トラブルになった理由は何ですか」
僕が尋ねると阿部先生は首を傾げた。
「そこなんや、金崎さんに聞きとったところでは、向田さんが盗撮の被害を受けていたらしくて、その犯人は金崎さんだと決めつけてきてきたらしい。金崎さん本人は全く身に覚えがなかったので、口論になった挙句の犯行だ」
「金崎さんが警察に通報したのですか」
僕が重ねて尋ねると、阿部先生は運転しながら首を振った。
「いや、近所の人が騒ぎを聞きつけて通報したらしい。よほど大きな声で騒いだんやろな」
話を聞いただけでは、詳細については何もわからない。阿部先生が僕に頼んできたのもその辺の事情があったようだ。
所轄の警察署につくと、阿部先生は慣れた雰囲気で外来用駐車場に車を止める。
阿部先生に引き連れられて署内に入ると、日曜日のためか勤務している警察署員は少なかった。
一階の受付で阿部先生が要件を告げると、程なくして坂田警部が現れた。
坂田警部は山葉さんや僕の姿を認めると大きく目を見開く。
「阿部先生の同行者とはあなた達だったのですか」
「阿部先生は状況を把握できなくて困っておいでだ。私達に素人なりの目で見て意見を言ってほしいと申し出があったので協力することにしたのです」
山葉さんが公式見解に当たる説明をする。
「結構ですよ。阿部先生から正規の証拠品開示請求が出ていますから何の問題もありません」
坂田警部は僕たちを見て一瞬驚いたものの、素早く気分を立て直したようだ。
彼は、日ごろから心霊ものなどサイキックじみた話が仕事に絡むのを嫌っているが、自分が嫌いだからと言って無理やり排除することはしない。
別室に通された僕たちはしばらく待たされた。
「ここってもしかして取調室ではありませんか」
沼さんが指摘する。僕も壁の妙な位置に鏡があるのでマジックミラーではないかと思っていたところだ。
「私もそう思う。たまたま空いていたから使っているだけではないかな」
山葉さんが鷹揚に答えた。彼女は坂田警部を妙にひいき目に評価するところがある。
僕は目の前のテーブルを見ながら、ここで犯人が自白したら担当刑事がかつ丼の出前を頼んだりするのだろうかとあらぬことを考える。
やがて、坂田警部が証拠物件をトレイに載せて部屋に入ってきた。
「これが阿部先生から開示請求があった証拠品です」
トレイの上に載っているのはビニール袋に入った何の変哲もない家庭用の包丁だった。
それ一本あれば家庭で作る料理にはたいがい間に合う万能タイプのステンレススチール製の包丁だ。
「ビニール袋からは出さないようにしてください。それから柄の部分とかむやみに触らないように。できれば見るだけにしていただきたいです」
坂田警部は落ち着いた口調で説明する。
「この包丁は向田さんが購入して持っていったのですか」
山葉さんの質問に、坂田警部が首を振りながら答えた。
「いいえ、金崎さんが自宅で使用していたものです。たまたまキッチンに出しっぱなしになっていたのを被疑者が衝動的につかんで犯行に及んだと思われます」
刑事事件の裁判では、凶器をあらかじめ準備していたかどうかでも量刑が左右される。計画性の有無の判断材料になるからだ。
「坂田君、内村君がちょっとだけ触ってみるのは構わないかな」
「どうぞ」
坂田警部が渋い表情でうなずく
僕は坂田警部がテーブルに置いたトレイ上の包丁を眺めた。
ビニール袋に入れられたステンレススティール製の包丁は、話の通り新品ではなく使い込まれた雰囲気で、刃の部分に傷が見え、木製の柄の部分は少し色あせている。
僕は柄に付着している指紋などが消えたら困るのだろうと思い、普通に握る部分より、少し刃の部分よりの辺りをつまんで持ち上げてみた。
阿部先生や山葉さんが僕の挙動を注視しているのがわかるが、僕は格別何も感じなかった。
やはり、犯行時にたまたま手に取った包丁から、そこに刻まれた記憶を読み取ろうとするなど無理なことに違いない。
そう考えて包丁をトレイに戻そうとした時、僕はだしぬけにめまいに似た感覚に襲われた。
僕の見当識は失われていく、つまり自分が誰で今どこにいて、時刻が何時なのかと言った基本的な情報が僕の頭から溶けるように消えていくのだ。
やがて、僕は誰かの記憶を自らのもののように追体験し始めていた。
自分が今いるのは会社の事務室で、目の前には小松課長がデスクに座っている。
「向田君、ちょっと見てもらいたいものがあるのだがいいかね」
小松課長はねちっこい雰囲気で尋ねる。
「はい」
出来ることなら「いいえ」と言って立ち去りたいがそうもいかない。
小松課長はしのぶが勤める小松食品の社長令息なのであまり粗相に扱えない。
「ちょっとこっちに来てくれ」
小松課長は席を立つとしのぶに手招きして廊下に出ていく。
しのぶは仕方なく課長の後に続く。
小松課長は三十歳前後の若さで課長を務めているが、それは社長である父親の威光あってのものだと噂されている。
そして、小松食品に勤める女子社員は例外なく直属の上司から小松課長とお見合いしないかとから打診されるという噂も耳にしていた。
社長令息なのだから、誰かが結婚してもよさそうなのだが小松課長はちょっと残念な外見の上に、性格が暗くて粘着気質なので今までに色よい返事をしたものはいないらしい。
小松課長がしのぶを連れて行ったのは社内にある小会議室だった。収容人員10名程度でチームのミーティングなどによく使われる部屋だが、上司が部下にお小言を言う時にも使うので別名「説教部屋」とも呼ばれている。
小会議室に入った小松課長はしのぶに座るようにも言わず立ったままで自分のスマホをいじり始めた。
やがて、何か探していたものが出て来たらしく、彼はしのぶを手招きし、スマホの画面を見るように示す。
しのぶが画面をのぞき込むと、そこにはユニットバスでシャワーを浴びる女性の映像が映し出されていた。
しのぶは、この男はわざわざエロ画像を見せるために私を呼び出したのだろうかと思って小松課長を睨んだが、彼が口を開いて告げた言葉は意外なものだった。
「ここに写っているのは、君ではないかな向田君」
しのぶは慌ててスマホの画像を見直した。そして、よく見るとそれが自分だとわかり愕然とする。
「いえ、違うと思います」
しのぶは自分の画像だとわかったものの小松課長には無意識のうちに否定していた。ここで肯定すると彼にさらに踏み込んでこられそうな気がしたからだ。
「違うならいい。まあ、君も自分の家以外でシャワーとか使う場合は気を付けたほうがいいと思うよ」
小松課長は深追いしてこなかったが、映像がしのぶを盗撮したものだと思っていることは雰囲気でわかる。
彼は、盗撮動画サイトとかを漁っていてたまたま自分の会社の部下を発見したということだろうか。
しのぶは小松課長にそれを見られたことで鳥肌が立ちそうだった。
「失礼します」
しのぶは小松課長の前から逃げるようにして事務室に戻ったが、会社の終業時間までどうやって過ごしたか記憶が定かでない。
小松課長が見せた動画が掲載されていた動画サイトに自分のスマホから問題の動画の削除要請のメールを送ったことだけは覚えている。
終業時刻になると、しのぶは先輩の金崎が勤務する部署に向かったが、既に帰ったと告げられた。
それならばと、しのぶは会社を出て金崎の住むマンションを目指した。
動画を盗撮された場所には心当たりがあった。会社の忘年会で1次会が終わった時に逃げ遅れて上司に2次会に引っ張っていかれてことがあったのだ。
結局終電に乗り遅れてしまい、タクシーを拾おうとしている時に、同じように2次会に参加させられていた金崎と鉢合わせしたのだ。
翌日が土曜日で休みだったので、金崎は自分の部屋に止まっていけと言ってくれる。
結局、しのぶは彼女の言葉に甘えることにした。自宅までのタクシー代を考えると給料日前の懐には厳しかったからだ。
金崎の部屋では、夜遅くまでおしゃべりをした。話のネタには上司の悪口も含まれ、小松課長の悪口で盛り上がっていた気がする。
盗撮画像は、その時に金崎の部屋のユニットバスでシャワーを使っているときに撮られたようだ。
彼女の部屋のシャワーカーテンの柄に特徴があって記憶に残っていたが、盗撮画像にもはっきりとそのシャワーカーテンが映り込んでいたからだ。
もしも彼女が盗撮して、画像を投稿したのだとしたら許せない。
しのぶは金崎の部屋を目指して歩くスピードを速めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます