第121話 雪かきの勧め

滑落事故の現場には、しばらくするとスキーパトロールのスノーモービル3台と数名のパトロール隊員が詰めかけ、救助活動が展開された。

スキーパトロールの隊員は、滑落した中学生を崖の下から次々と担ぎ上げる。

怪我の軽い生徒はスノーモービルの後部座席、痛みを訴える生徒は搬送用のそりに載せられていく。

「僕は2年C組の古田幸信です。助けてくれてありがとう」

僕が助けた中学生は動き出したスノーモービルの後部座席で振り返りながら名前を告げた。

スノーモービルに続いてそり搬送するパトロール隊員がスキー板を横向きにして制動をかけながら、斜面の下に向けてそりを下ろしていく。

最後にインストラクターとパトロール隊員がスノーモービルに積みきれなかったスキー板やストックを抱えて滑り降りた。

救助を手つだっていた雅俊とクラリンもゲレンデに戻ってスキー板をつけ始める。

「栗田准教授は下にいるのかな」

僕は、リフトを止めるために下に降りて行った栗田准教授と落ち合あう方法を考えていた。

「そうだな、リフトは動き始めているから、栗田准教授は一度上に登ってここを目指してきているかもしれない。少し待ってみよう」

山葉さんがつぶやいた。

彼女は斜面を登って暑くなったのか、ネックウオーマーを首まで降ろしたので、口元が見えた。よく見ると、キャップが飛ばないようにコードを付けただけでなく、キャップの調整ストラップの部分の隙間にポニーテールの髪の毛を通している。

突風に会ってもキャップが飛ばないように工夫しているようだ。

待つほどもなく僕たちの目の前に栗田准教授が滑り込み、急制動で雪を跳ね飛ばした。

「遅くなりました。リフトを止めた後、麓からのゴンドラの終点にあるパトロールまで行っていたのです。」

「スキーパトロールの人たちは、怪我人を連れて引き上げていきましたよ。みんな大した怪我ではなかったようです。」

雅俊はゲレンデの下の方を指さす。

「それは良かった。ここのリフトは山頂方面にはつながっていないから、一旦レストハウスのあたりに移動してそこから山頂経由で南エリアに行きましょう。」

僕たちは、ゲレンデの下まで滑ると、連絡通路を使って、カール湯沢エリアの真ん中にあるレストハウスに向かった。

レストハウス前のクワッドリフトに乗って、もう一つリフトを乗り継ぐと山頂まで行くことがでる。

山頂から南の稜線沿いに広がるゲレンデが南エリアと呼ばれていて、ゲレンデの下端に隣の湯元温泉スキー場に通じるゴンドラ乗り場があるのだ。

僕たちがクワッドリフトの乗場に着くと、そこには麓からのゴンドラを降りたスキーヤーも集まるため、リフト待ちの列ができていた。

ゴンドラの駅の前にはスノーモービルや搬送用のそりが置かれ、けが人をゴンドラで運んだのが見て取れる。

そして、リフト待ちの列の中には、僕たちと同じ宿に泊まっている修学旅行生のグループも混じっていた。

今どきの修学旅行生のレンタルスキーウエアは男女が同じ色のユニセックス仕様になっているので、遠目には男女の区別はつきにくい。

僕がぼんやりとそんなことを考えていたら、列の最後尾に並ぼうとしている修学旅行生2、3人のグループのうち一人が僕たちの所に近寄ってきた。

よく見るとそれは、昨日僕たちの所に来た谷岡先生だった。

小柄な彼女が同じスキーウエアを着ているので、中学生と区別がつかなかったのだ。

「先ほど私たちの生徒を助けていただいたようですね。重ね重ねありがとうございます」

彼女は申し訳なさそうな表情で挨拶する。

「いいえ、大したことはしていませんよ。生徒さんはお怪我はなかったのですか」

近くにいた山葉さんが答える。

「足首をひねったりした2人は念のため担任が病院に連れて行きました。特に怪我がなかった二人を別のグループに合流させるために連れて行くところです」

そして、谷岡先生は一瞬口ごもってから続ける。

「偶然なのですが、滑落した男子生徒のほとんどが昨夜お願いした件にかかわっていたのです。メールを送ったのが古田でした」

彼女はそこまで言って、口にしたことを後悔するように目を伏せた。

「ごめんなさい、脈絡のないことを言ってしまいました。ともあれ、ありがとうございました」

谷岡先生は引率する生徒の元に戻っていった。生徒のうち一人は僕が助けた古田君だ。

僕はリフトに乗ってから山葉さんに話しかけた。話の内容が人ごみの中で話すと具合が悪い部分があったからだ。

「さっきの古田君がウソ告白メールの本人だとは意外ですね」

山葉さんの答えは意外とシビアだった。

「一見しただけでは人の本質まではわからないものだ。見た目が可愛らしく真面目そうだったとしても、大人の前で猫をかぶっている可能性だってある」

「そうですか?。助けた後、スキーパトロールが搬送するときにも、ちゃんとお礼を言ってくれたからいい子だと思うんですけど」

彼女は首をかしげるとぼそぼそと答える。

「その辺はわからないよ。質の悪い悪戯でも、その時のノリでやってしまうかもしれないし、周囲に強要されることだってあるかもしれない」

物憂そうに答える彼女を見て、僕はその話題はそれきりにした。

たとえ、担任の先生に頼まれたと言っても、自分たちが遊びに来ている最中に思い悩むいわれもないからだ。

僕たちはクワッドリフトを降りるともう一本ペアリフトに乗りついで山頂に立った。

標高1,000メートルを超える高津山の山頂からは谷に沿って広がる湯沢の町や周囲の山並みも一望にできる。

昨夜積もった雪は、圧雪車がきれいにならした上に気温の上昇につれてキュッとしまって、スキーのシュプールを描くのに最適のコンディションとなっていた。

僕たちは、稜線に沿って広がる南エリアから、隣の湯元温泉スキー場に足を延ばして終日スキーを楽しんだ。

夕方になり、僕たちはどうにか連絡用のゴンドラが止まる前に元のカール湯沢スキー場に戻ることができた。

「ほらウッチー、このリフトに乗らないとスキーセンター行のゴンドラ乗り場に戻れないんだから早くしろよ」

雅俊に急かされて僕は覚えたばかりのスケーティングで追いかける。

僕たちはリフトの営業終了までに、ホテルに帰りやすい場所まで戻ろうと急いでいた。

別のスキーエリアと結ぶ連絡用のゴンドラからの移動は意外と手間取るのだ。

昨夜はかなり積雪があったが、日中の気温は高かったので、時折立ち木や建物の屋根から雪の塊が落ちてくるのが見られた。

「場所によっては雪崩が起きる危険もありますね」

リフトに乗ったところで、隣に座った栗田准教授が言った。

「スキー場でも雪崩が起きたりするのですか?」

僕はリフトから見えるゲレンデとその周囲の山を眺めた。雪崩が恐ろしいと言われても僕たちには実感が伴わない。

「谷の部分を通る連絡通路などはスキーパトロールの判断でクローズされることもあるようですよ。」

今から連絡通路をクローズされたら僕たちは自分のホテルにたどり着くのに苦労する羽目になる。

僕はスキーパトロールが通路を閉鎖するのではないかとやきもきしたが、幸いなことに何事もなく帰りのゴンドラ乗り場にたどり着くことができた。

僕たちはゴンドラで麓まで下り、さらにシャトルバスに乗って自分たちが泊まるホテルに向かう。

「スキーセンターに新幹線の駅が乗り入れて便利だと思ったけど、意外とホテルまでのアクセスが悪いのですね」

僕がつぶやくと山葉さんはクスクスと笑う。

「そのおかげで格安のパッケージツアーが組まれているんだよ。便利なロケーションのホテルは宿泊料が高いからね」

「そういうものなんですか」

僕の言葉に彼女は笑顔で答えた。

「世の中そういうものだ」

僕たちがシャトルバスを降りてホテルに入ろうとすると、修学旅行の中学生たちがホテルの周辺で遊んでいるのが目に入った。

雪だるまを作ったり、雪合戦をしたりして盛り上がっている様子だ。

「中学生って難しい年ごろかと思ったらかわいらしいものやな」

クラリンが微笑ましいようすでつぶやくと、雅俊も笑顔でうなずいている。

僕は、ホテルの正面で記念撮影をしようとしている女子生徒が5人ほど並んだグループをみて、その子たちが、昨夜こっくりさんをしていたグループの子だと気が付いた。

スマホを構えて撮影しようとしているのが英子さんだ。

僕から見ると彼女たちは今では仲良くしていて何の問題もないように見え、谷岡先生の心配は杞憂に過ぎないのではないかと思えた。

しかし、その時記念撮影しているグループの上にパラパラと雪のかけらが落ちて来た。視線を上に向けると屋根に降り積もった雪が昼間の温かさで緩んでずり落ちようとしている。

次の瞬間、記念撮影に並んだ女子生徒のグループの頭上に大量の雪が崩れ落ちていた。

雪はひと塊ではなく、次から次へと落ちてきて、女子生徒たちがいたあたりには小山のように雪が積みあがっている。

「大変だ助けなきゃ」

雅俊が茫然とした様子でつぶやいた時、悲鳴が響いた。

悲鳴を上げたのは撮影をしていた英子さんだ。

彼女は、雪の山に駆け寄り手で雪をかき分け始めた。

「理央ちゃん、香織ちゃん。返事をして」

僕たちも駆け寄るとそれぞれに雪をかき分け始める。

落ちた雪は柔らかそうに見えたが、水分の多い雪は急激にしまって固まり始めていた。早く掘り出してやらないと埋まった人は窒息してしまう。

幸い、ホテルの出入り口の近くで起きた出来事だったので、大勢の人が救助に駆け付けた。雪かき用のシャベルを持った従業員も加わり、雪に埋もれた生徒たちをすぐに掘り出すことができた。

雪の中から助け出された女子生徒4人はそれぞれホテルの中に運び込まれていく。山葉さんは英子さんが雪の上に放り出していたスマホを拾うと、雪を掘るのに疲れて肩で息をしている彼女に手渡した。

しかし、僕は怪訝に思ってさらに雪を掘り続けていた。先ほど見た時には女子生徒はもう一人いたと思ったのだ。

雪の深そうな場所をさらに掘ろうとしている僕の肩を誰かがポンとたたいた。

振り返ってみると、それは山葉さんだった。

「もう一人の人影が見えていたのは私達だけだ」

僕は手を止めると無言で彼女を見る。

「霊の類が修学旅行生の姿を取って紛れ込んでいたのだ。原因を調べてみる必要があるな。」

彼女は青ざめた顔の英子さんの肩を抱えるようにして、つぶやいた。

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