第117話 迎えるものと見送るもの
僕の夢には死人が現れることが多い。
どことも知れぬトンネル状の通路にたたずむ男女を見ながら、僕は声をかけるのを躊躇していた。
「あの二人は、橋本由真と中島裕樹なのですか?」
いきなり後ろから話しかけられて僕は驚いて飛び上がった。
うしろを振り返るとそこには山葉さんが立っている。
彼女はいざなぎ流の祈祷を行う時に着る赤い袴と白い半着の上に千早を羽織った姿だ。
「山葉さん驚かさないで下さい」
「ここは一体どこですか。私達は先ほどまで病院の談話用スペースにいたはずですが」
彼女は片手に持った榊の枝を軽く振りながら周囲を見回している。
僕たちの気配に気が付いたのかトンネルの先にいた二人は振り返った。
「私のお願いを聞いてくれてありがとう。おかげで彼に付き添って励ますことができます」
それは、北沢駅の近くで見かけたセーラー服姿の女子高生だった。
「君が橋本由真なのか?。どうやって沼さんを操っていたんだ」
彼女は、はにかんだような表情で話し始めた。
「彼女は沼さんと言うのですね。私はあなたと話をしていた時にいきなり出てきた彼女に吹き飛ばされたのですが、いつの間にか元の場所に戻っていました。しばらくしたら、また彼女が来て十字架を突きつけてくるので、私はやめさせようとして掴みかかったのです」
どうやら、沼さんはカフェ青葉に見学に来た帰りに、再び彼女の霊と遭遇したらしい。
「そうしたら、いつの間にか彼女の体と入れ替わっていたのです。その後、彼女のパソコンや携帯を使って彼の居場所を探すことができました」
橋本由真さん(故人)はかわいらしい女子高生の姿でニコニコしながら話してくれるが、その内容はちょっと怖い。
「霊感が強いのは諸刃の剣なのですよ。なまじ霊視ができるからと言って中途半端に霊を攻撃すると、霊への感受性が強い故に沼さんのように憑依されることもあるのです」
山葉さんは神妙な顔でつぶやいた。
僕自身も、山葉さんが浄霊した時にいつの間にかその霊に逃げ込まれていたことが一度ならずある。
「これからどうするの?」
ぼくはさりげなく尋ねた。僕にとっては夢だが彼女にとってはこの世界が唯一の現実かもしれない。
「彼はあの光を目指して歩かなければいけません。私はそれに付き添っていきます」
彼女はトンネルの彼方に見える明るい光を指さした。
そういえば、僕もそちらに向けて歩いて行かなければならないと思っていたところだ。
「山葉さんどうしますか」
「私たちは病院の談話用スペースでうたた寝しながら夢を見ているに違いありません。もう少しこの二人に付き合って見ましょう」
彼女も光に誘引される気分が少なからずあるようだ。
僕は、あの光にたどり着けば裕樹さんは回復に向かうにちがいないと感じていた。
「裕樹さん、行きましょう」
由真さんは裕樹さんを促して歩き始めた。
「由真さんと裕樹さんは同級生だったのかな?」
「山葉さん違いますよ。彼女が通っていたのは女子高校ですから」
僕たちのやり取りを聞いて由真さんが微笑む。
「中学校の同級生だったんですよ。わたしが女子高に行った後も時々会ったりしていたのです。彼の家が引っ越して遠くに行ってしまった時は悲しかったですね」
「いいじゃないですか。私は中高一貫の女子高に通っていたせいで、高校を卒業するまで浮いた話一つなかったんですから」
「山葉さんの高校生の時の話はいいですから」
僕は山葉さんの天然系のボケをかわして話の続きを促した。
「高2の時、冬になってクリスマスソングが流れるころにはまた会おうねって彼が言ってくれたからそれを楽しみにしていた時事故に遭ったんです」
「僕は、その頃HIVが原因でAIDSを発症していたんです。それで、治療を始めるために入院したのですが、病名をぼかすために引っ越したという話にしたんです。母が亡くなった原因がAIDSだったのですが、子供の頃に僕も母から感染してしまっていたようなのです」
「だから、私のお葬式にも来られなかったのね」
裕樹さんはうなずく。
「その時は、免疫が十分に回復していなかったから人中に出るわけにいかなかったんだ」
「でも、今はHIVは投薬治療で抑えることができるんでしょう」
僕は、AIDSは今ではクスリで抑えることができるので感染者も普通に仕事をして長生きできると聞いた憶えがあった。
「ええ、僕も投薬治療を受け始めて、症状を抑えることができたので大学にも通っていました。でも油断したんですよね。もう良くなったような気がしてクスリをきちんと飲んでいなかったのでAIDSの症状が再発してしまったんです」
「どうしてお薬をちゃんと飲まなかったのよ」
由真さんがちょっと怖い顔をして裕樹さんをにらむ。
「父は再婚してその相手もいい人なんだけど、父と彼女の間にできた子供に僕を近寄らせまいとしているのが何となくわかって、大学に入ると家を出て下宿したんだ。慣れない一人暮らしの上に、病気のせいで将来結婚や就職も難しいかもしれないと思って生活が荒れたんだよね」
症状を抑える薬があっても、完治しないウイルス感染症の患者には苦労があるのだ。
裕樹さんは由真さんを振り返った。
「いつの間にかAIDSが最発症して肺炎になったので入院させられたんだが、父親ですら新しい奥さんに気兼ねして会いに来てくれない。まだHIVの感染なんか知らない頃に由真と付き合っていた頃が懐かしくて、あの頃に戻りたいと思っていたんだ。お姉さんが会いに来てくれた時、由真には全然似てないのに由真が来てくれたかと思ったよ」
「いや、あれは中の人が私だったし」
由真さんは照れた表情で顔を伏せた。
「それで分かった。由真さんを呼んだのは裕樹さんだったのですね」
山葉さんが二人の後ろから話しかけた。
「どういうことですか」
由真さんが振り返る。
「由真さんは、自分の葬儀の記憶があるらしいが、その後ずっと下北沢駅の近くにいたわけではないだろう」
「そういえば、いつの間にかガード下に立っていたんだけど、憶えているのは3日くらいですね。その人と目が合っったので話しかけたんです」
由真さんは僕の顔を見ながら言う。
「おそらく記憶がある最初の時に、裕樹さんの思いがあなたを時間を超えて呼び寄せたのです。しかし、あなたは彼と約束した記憶がある下北沢駅に縛り付けられてしまったのですね」
彼女は山葉さんの言葉をかみしめるように聞いていたが、うれしそうな表情で顔を上げた。
「彼に再会できたのはあなた達のおかげですね。ありがとうございます」
「いや、たまたまそうなっただけですよ」
山葉さんは謙遜するようにつぶやいた。
僕たちは更にトンネルを進んでいった。トンネルの奥の光はさらに明るさを増したような気がする。
その時、由真さんは僕たちに言った。
「ところで、あなた達はどこまでついてくるつもりなの?」
僕は彼女の顔を見て愕然とした。
ふくよかだった頬はこけ、眼窩は落ちくぼんで髑髏のようだ。
「どういう意味ですか?」
僕と同じように彼女の容貌の変化を認めているらしく、山葉さんが硬い声で尋ねる。
「私達と一緒に天国まで行くつもりなのかと思って」
彼女は微笑みを浮かべたように見えたが、それは干からびて縮んだ唇から前歯が覗いただけだった。
辺りには灰色の靄が立ち込め、前方に光だけが感じられる。
「いや、もうこの辺にしておきます」
山葉さんが悄然としてつぶやき、僕と山葉さんは足を止めた。
「いろいろとありがとう」
由真さんが片手をあげ、裕樹さんが会釈するのが見えた後、歩き続ける二人の姿は靄の中に飲み込まれていった。
「あの光は裕樹さんが回復に向かうための、生きる力の光ではなかったのですか」
僕は彼方に見える光に、温かさや懐かしい雰囲気を感じて、それが生につながる光に違いないと思い込んでいた。
「私もそう思っていましたが、あれはどうやらあの世につながっているみたいです」
「元の方向に戻った方がいいみたいですね」
僕がつぶやくと、山葉さんがうなずき、僕たちは一緒にこれまでと逆方向に歩き始めた。
しかし、どこに出口があるのか皆目見当がつかない。
トンネルの中の靄は次第に薄れていったが、地下鉄の連絡通路のような殺風景なトンネルは時々枝分かれしながらどこまでも続いていた。
歩き続けるうちに時間の経過さえ分からなくなり、疲れ果てた様子で山葉さんはしゃがみ込む。
「大丈夫ですか」
僕が心配して問いかけると彼女は顔を上げて言った。
「いつも一緒にいてくれてありがとうパトラッシュ。おかげで楽しかったよ」
「フランダースの犬ごっこをする暇があったら脱出方法を考えてくださいよ」
僕が苦言を呈すると彼女はしゅんとなる。
僕は後ろから灰色の靄が追いかけてくるような気がして気が気ではなかった。
「せっかく気分を和ませてあげようと思ったのに余裕のない人ですね」
山葉さんはゆっくりと立ち上がって、再び歩き始める。
周囲の情景は壁にそってコインロッカーが並び、さらに地下鉄の通路じみてきた。
気のせいかコインロッカーの中から赤ちゃんの泣き声が聞こえる気がする。
僕がロッカーの方に近づこうとすると、山葉さんが遮った。
「やめてください。この通路は多分私の記憶が反映されているのです。」
「山葉さんの記憶?」
山葉さんは伏し目がちにうなずく。
「私は時々地下鉄の乗り換えで出口を間違えたりするので、その時の記憶が通路に張り付けられているのですよ。」
「それじゃあ、赤ちゃんの泣き声は何ですか」
「はっきり思い出せないけれど、私がいつも使う駅の通路にその前を通るといつも赤ちゃんの声が聞こえるコインロッカーがあったのです。」
山葉さんは思い出せない記憶を取り脅そうとするように頭を振る。
僕はその姿を見ながら違和感を感じていた。
そこに居るのは山葉さんに間違いないのだが、その顔立ちは少しふっくらとして幼さを感じる。
そしていつものぶっきらぼうなしゃべり方が丁寧なですます調に代わっているのだ。
しかし、山葉さんは僕の視線に気づく様子もなく袂から何かを取り出す。
それは、沼さんに取りついた霊を補足するために持ってきた紙の人型だった。
「これは私の使い魔みたいなものだから、出口まで案内させましょう」
僕は彼女に渡された人型を手のひらに載せた。彼女は榊の枝を持って今までに聞いたことのない祭文を唱え始める。
疲れているはずなのに、彼女は懸命に祭文を唱え、いざなぎ流の神にささげる神楽を舞う。
祭文を唱え終え、彼女が気を込めた時、僕の手のひらの人型は忽然と消え失せていた。
「消えちゃいましたよ」
彼女は目に見えて憔悴したように見えた。
「道案内させようと思ったのに時空移動してしまうなんて」
彼女は本当にがっくりとした様子でしゃがみ込んでしまった。
その時、僕の耳にかすかな声が聞こえた。
「何か声が聞こえますよ」
「赤ちゃんの泣き声は空耳と思って聞き流すしかないですよ」
「違います。僕を呼ぶ声のようだ」
僕は山葉さんの手を引いて、声がする方に歩き始めた。
声はやはりコインロッカーの中から響いてくる。
僕は一度通り過ぎたが、どうにか声の漏れ出ているコインロッカーを突き止めた。
「このロッカーから声が出ているみたいですよ」
「開くのかな?」
僕は懐疑的な山葉さんを置いて、そのロッカーに手をかけた。
ドアを開けると中からはまぶしい光が溢れ出た。
「目を覚ましたかウッチー、何回呼んでも目を覚まさないから心配したよ」
僕を呼んでいたのは雅俊だった。
病院の談話スペースでうたた寝していた僕を雅俊が揺り起こしたところだ。
僕の方にもたれて眠っていた山葉さんも目を覚ました。
「中島さんの容体が急変したみたいです。さっき連絡を受けた中島さんのお父さんが病室に入りました」
クラリンが沈痛な表情で告げた。
病室の方からは、心拍や血圧のモニターのアラート音が繰り返し響いてくる。
「ウッチー先輩どうしよう。沼ちゃんがどうしても、目を覚まさない」
木綿さんが心配そうに言った。
「彼女はろくに睡眠もとっていなかったみたいだから、疲れがたまっていたのかもしれないね」
僕はあえて、ありふれたことを口にした。もう一つの可能性はあまり考えたくなかったからだ。
その時、中島さんの病室から出てきた看護師さんが僕たちに告げた。
「中島裕樹さんは先ほどお亡くなりになりました。ご愁傷さまです」
看護師さんは事務的に告げると立ち去っていく。
「仕方がないな、沼さんは背負うかどうかしてここから引き揚げよう」
山葉さんが立ち上がりながら言った。夢の中では巫女姿だったが今の彼女はダウンジャケットを羽織ったカジュアルないでたちだ。
「中島さんのお父さんに挨拶しなくていいですか」
「日を改めてからのほうがいいだろう。そもそも私たちは彼とはあまり関わりのない人間だ」
彼女の言うとおりだった。
結局沼さんは僕が背負って病院の外まで運び、山葉さんと一緒にタクシーでカフェ青葉に連れて行くことになった。
彼女が目を覚まさない場合に介護することも想定したのだ。
後から別のタクシーを拾うつもりの雅俊たちを残して僕たちは先に出た。
タクシーの中で山葉さんは沼さんを抱えるようにして支えていた。
「おかしいな、憑依していた由真さんが行ってしまったから沼さんは意識を取り戻すはずなのに」
山葉さん怪訝な表情でつぶやく。僕も同じことを考えていたところだ。
「彼女の中身はどこに行ってしまったんでしょうね?」
「まさか彼女が憑依した時にあの世に飛ばされてしまった訳ではないよな」
山葉さんは沼さんのやつれた顔に手を添える。
その時、僕は由真さんが沼さんを憑依したと言わずに、入れ替わったと言っていたのを思いだした。
「運転手さん。先に下北沢駅の駅前に行ってください」
僕は行先の変更を頼んでから後ろの席を振り向いた。
「もしかしたら、沼さんの中身は橋本由真が最初にいたガード下にいるかもしれない」
「なるほど、そういうことか」
山葉さんも僕の意図が分かったようで、バッグに手を突っ込むと和紙で作った人型を探し始めた。
夢の中では時空転移し、消失してしまったものだが、現実世界では山葉さんのバッグの中で健在だ。
下北沢駅に着くと、僕たちは運転手さんにしばらく待ってくれるように頼み、後部座席に沼さんを残したままガード下に向かった。
まだ人通りも多いガード下には、忘れられたようにたたずむ霊のような姿があった。
それは沼さんの生霊と言うべき存在だった。
「ウッチー先輩、助けて。私ここから離れられない」
彼女は僕の姿を認めて、駆け寄ろうとするがそれもできないらしい。
その時、僕の横で山葉さんが紙の人型を彼女にかざす。
瞬時に、沼さんの生霊は人型に吸い込まれていった。
「さあ、彼女をもとにもどそう」
山葉さんは、僕を急かすようにタクシーに戻る。
タクシーの後部座席で山葉さんは紙の人型を沼さんの頭にペタンと押し付けると何か一言つぶやく。
次の瞬間、彼女はパチリと目を開けていた。
「ウッチー先輩に山葉さん。さっきのは夢じゃなかったんですね」
「よかった、戻ってくれた」
山葉さんは、自分を取り戻した沼さんをしっかりと抱きしめていた。
翌日、まだやつれているものの生気を取り戻した沼さんはカフェ青葉に顔を出した。
「少し休養しますが、年明けからはアルバイトに出て来ますよ」
活気のある口調で彼女は告げる。
「陰陽師と一緒に仕事をしたくないのではなかったかな?」
僕は少し意地悪く聞いてみた。
「私も修行を積んで、イエス様の教えに従いながら彼女のように浄霊できるようになって見せます」
彼女は悪びれずに答えた。
「ウエーイそれでこそ沼ちゃんね」
木綿さんが片手でタッチをしてから、お客さんに飲み物を運んで行く。
どうやら新しいアルバイトスタッフは定着しそうな雲行きだった。
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