生霊の正体

第118話 雪国の夜

大学の秋期末試験が終わった翌日、僕たちは新潟の空の下にいた。

2月上旬のカール湯沢スキー場は十分な雪に恵まれ、雪面のコンディションは良好だ。

早朝に新幹線で東京駅を発った僕たちは、新幹線の駅と直結したスキーセンターでレンタルのウエアや道具を借りて、午前中に既に一滑りしたところだ。

ゲレンデサイドのレストハウスはウイークデイで、お昼には少し遅い時間に入ったためかさほど込み合ってはいない。

僕たちは慣れないスキー板を履いて疲れたので、食後もなかなか腰を上げずにいた。

「スキーって夜行バスで一晩かけて出かけるイメージだったけど、思ったよりもアクセスがいいんですね」

「私も調べてみたら安いパッケージツアーがあったので驚いたのだ」

山葉さんもスキーブーツを脱いでくつろぐ体制だ。

「でも、栗田助教授に車を出してもらって、東北地方に向けて座敷童ツアー第2弾を兼ねていくのも魅力があったんですけどね」

クラリンがのんびりとつぶやいた。

当初から栗田准教授に車を出してもらうつもりだたため、今回は僕と山葉さんに雅俊とクラリン、そして栗田准教授を加えた5人でスキーツアーに出かけてきたのだ。

「座敷童はまたの機会にしてもいいですよ。僕は厳冬期の雪道はちょっと不安があったので新幹線にしてくれてホッとしたくらいです」

栗田准教授は機嫌よく答えると、立ち上がって腕のストレッチングを始める。

「ちょっとトイレに行ってきます。その後で講習会を再会しましょう」

栗田淳教授がトイレに行くと、僕は雅俊の肘をつついた。

「栗田先生まだやる気みたいだよ。どうすんの」

「どうって、上級者の先生がスキー講習をしてくれるんだからありがたく教わればえいやん」

僕よりも部活系の活動になじみがある雅俊は平然として答えるが、栗田准教授の午前中のスキー講習は、僕にはちょっときつかった。

そもそもが、僕たちは4人ともスキー歴は中学校や高校の修学旅行で2、3日滑った程度なので、リフトに乗って初心者コースをよろよろと降りてくるのがせいぜいだ。

しかし、栗田准教授は違った。彼は学生時代にスキーサークルに入っていて、スキー検定の1級所持者ということでバリバリに滑れるのだ。

彼の目から見ると僕たちの滑り方があまりにも情けなかったらしく、午前中は特訓と言う言葉がふさわしいようなハードな講習が行われたのだ。

「雅俊君の言う通りだ。めったにない機会だからちゃんと滑れるように教えていただこう」

山葉さんもスキーブーツのバックルをバチバチと止めながらつぶやく。

僕はため息をついてからブーツを履き始めた。

僕がレストハウス前に出てスキー板とストックを持って立っていると、雅俊と山葉さんは何やらひそひそと相談をしている。

そして二人は僕の方につかつかと歩いてきた。

「ちょっとフォームをチェックしてやるからウッチーとクラリンは板を履いて」

雅俊は有無を言わせない口調で言う。

僕とクラリンは言われるままにブーツをスキー板にセットした。

僕がレンタルしたのはオガサキというメーカーの160センチメートの長さの板だ

バインディングにブーツをセットして、ストックを持ったら滑る準備は完了で、クラリンも同じようにスキー板を履く。

「そこから、山葉さんにむかってにプルークボーゲンで斜滑降する姿勢を取って」

僕とクラリンはそれぞれに斜滑降の姿勢を取った。午前中栗田准教授にそればかりやらされていたからもう体に染みついているつもりだった。

「ほらそこですでに違っている。二人ともこんな緩い斜面でも上体が山側に逃げてるやん。それでは谷スキーにウエイトをかけられないやろ」

「え、そうなの?」

自覚がなかった僕の頭は混乱した。午前中の講習で教わったことはそつなくこなしているつもりだったのだ。

「栗田先生の話をちゃんと聞いていないからそんなことになるんやな」

雅俊は冷たく言い放つ。

「うそや。私をウッチーと同列に扱わんといて」

「お前も一緒や」

雅俊とクラリンのやり取りはそのまま僕にぐさぐさと突き刺さる。

僕は恩師がスキー場に来た貴重な時間を割いてコーチしてくれたのに、全然違うことをしていたのだ。

山葉さんは立っていた斜面の下側から僕の真横まで歩いてくると、茫然と立ちすくんでいる僕に言った。

「ウッチー、ストックを私の方に向けてくれ。」

僕は言われるままにストックの先を彼女の方に差し出した。

彼女はそれをがっちりと握ってから言う。

「今から私がこれを力一杯引っ張るからそれに負けないように引っ張り返してくれ」

そう言うなり、彼女はストックをぐいぐい引っ張り始める。僕は彼女が引っ張る力に負けないように一生懸命板を踏ん張って持ちこたえようとした。

「ウッチーその体勢だ。」

彼女の言葉で初めて僕は自分の間違いを理解した。僕とクラリンは今までに自分たちが憶えたハの字にした板をズルズルとずらす滑り方に固執して体を山側に引いて耐える態勢を取っていたのだ。

「それいいですね、クラリンもストック貸してみな」

雅俊も同じようにクラリンのストックを引っ張っている。

僕とクラリンは横から引っ張る力に耐えるためにスキー板を踏ん張り、股関節の辺りにぐっと力を入れて体を外側に傾ける。

午前中、栗田准教授が教えてくれたのはこのポジションの作り方だったのだ。

「なかなかいいチェックの仕方ですね」

いつも間にか僕たちの様子を見ていた栗田准教授はニコニコしながら言った。

「思い付きでやってみたんですが、これでよかったのですか」

山葉さんが自信なさげに尋ねると、栗田准教授は手を振って見せる。

「完璧です。リフトに乗りましょう」

栗田准教授が示したのは、午前中乗っていたペアリフトではなく、4人乗りのクワッドリフトだった。

リフトを降りると、ふもとの湯沢町までの展望が開けている。

初心者ゲレンデやレストハウスがあるあたりもすでに麓からゴンドラで登った高所にある。そこからさらにクワッドリフトに乗ると、もはや山のてっぺんだ。

周囲には雪に覆われた山々が連なり、雪国に来たのが実感できる。

「せっかくだから展望台で記念撮影しましょうか」

栗田准教授に勧められるままに、僕たちは展望台に行き、スイスあたりの教会をイメージさせる造形の鐘を鳴らす。

その展望台はカップル向きの撮影スポットとなっていた。

山葉さんと並んだ所を雅俊にスマホで撮ってもらいながら、自分の顔がだらしなくにやけそうになるのをどうにか抑える。

そして、栗田准教授は講習会を再開した。

そのゲレンデは午前中滑った斜面より斜度がきつく、素人目には急斜面だ。

「今度は、もう少し角度をきつくして斜滑降をしてみようか。スキー板のハの字は保ったままで、谷側の板をずらさないようにして板のサイドカーブを使って切れあがって止まるようにするんだよ」

栗田准教授は斜面の真下に近い角度で滑り始めた。

スキー板のエッジが描く軌跡は緩やかな弧を描き、彼の体はいつの間にか斜面に横向きになって停止する。

「ほら、ウッチーはやくやれよ」

雅俊に急かされて、僕は慌てて滑り始める態勢を作った。

斜面に一列に並んで、上側の人から滑るというお約束を忘れていたのだ。

栗田准教授と同じラインを滑ろうとしたら、急斜面の真下に向かって真っすぐ滑るイメージだ。

ストックで滑りだすのを止めていたのを外すと、スキー板は初心者にとっては恐怖を感じるほどのスピードで滑り始める。

「!?」

午前中の自分の滑りとは全く違う感覚。

それでも、懸命にスキー板に体重をかけ続けるといつの間にか僕の体は斜面を横切って栗田准教授の近くにたどり着いていた。

「はい、オッケー」

栗田助教授はストックを上げて合図し、次に並んでいた雅俊がスタートしていた。

それはスキー用語で言えばエッジをたててスキーのサイドカーブを使って滑るという体験だった。

斜滑降の向きを左右に変えて何回か繰り返したところで栗田助教授は言った。

「今やった斜滑降を、止まるまで切れあがる前に反対側の斜滑降に切り替えて繰り返すとどうなるかな。」

言われたとおりにイメージすると、イメージの中のスキーの軌跡は緩やかな弧を描いて左右に連続するシュプールを描く。

「ああ!、そういうことだったのか」

雅俊が声を上げた。スキー板を横ずらししてズルズルとずり落ちるだけだった僕たちがスキーの正しい滑り方を理解した瞬間だった。

「それでは、左右の斜滑降をつなげて長く滑ってみようか。先に行った人が百メートルくらい進んだら出発していいよ」

そう言い残して栗田准教授はスパーンとスタートし、中級者コースが大きく曲がっているあたりまで一気に滑っていった。

彼が滑った後には2本のエッジの跡が連続した浅いカーブを描いてくっきりと残っている。

僕たちは間を開けて次々と栗田准教授の後を追った。

エッジを使って滑ると、速度が上がり周囲の景色が流れていくようだ。

華麗なシュプールを描くというほどではないが、それまでの自分たちの滑りから確実に変わったのがわかる。

中級者コースのあちこちに固まっている修学旅行生らしい団体の間を抜けていきながら、僕は自分の滑りが修学旅行レベルよりワンランク上がったことを実感していた。

「次はリフトの乗り場までノンストップで行きましょう。できる人はスキーの板を肩幅より少し広い平行にして、ターン弧を浅めにして滑ってください」

僕は言われたとおりにするべく頑張った。ターンを切り替えるときにどうしてもハの字型のスタンスになってしまうが、上級者のパラレルターンに手が届きそうな気がする。

結局、僕たちは夕方になりリフトが止まるまで延々滑り続けていた。

その日の宿泊は、スキーセンターからシャトルバスで移動する大きなホテルだった。

山葉さんが荷物を詰めるのに手間取ったため、僕と彼女はシャトル便を一便乗り遅れた。

ホテルに着くと栗田助教授は浴衣姿でフロントで待ってくれていた。

「東村君たちが先に部屋に入っています。僕はこのままホテル内の温泉に入りますから」

相変わらず准教授は温泉好きのようだ。部屋割りは准教授もいるので2部屋を男女で分けている。

荷物をもってホテルのロビーから部屋に移動していると、ロビーには昼間見かけた修学旅行生がたむろしていた。

修学旅行達はお土産を買いに来てそのままロビーに居座った様子でざわざわと騒がしい雰囲気だ。

「修学旅行生と一緒になっちゃいましたね」

「こんな大きなホテルは修学旅行の団体でも入れないとやっていけないよ」

山葉さんはキャスター付きのバッグを引っ張りながら、機嫌のよさそうな表情だ。

僕はフロントでもらったお知らせの紙を眺めた。

「時間帯によっては露天風呂付大浴場は団体客用に貸し切りになると書いてありますよ。もうすぐその時間ですね」

栗田准教授はそれまでにお風呂に入ってしまうつもりだったらしい。

「そうか、その後で入ると荒れているかもしれないから、いっそのこと家族風呂でも借りようか」

彼女は暗に、家族風呂をこっそり借りて二人で入ろうと言っているのだ。

僕は彼女に答えようとして、ロビーがしんと静まっていることに気が付いた。

僕たちの会話が聞こえていたらしく修学旅行生が一斉に聞き耳を立てたのだ。

彼女もそれに気が付き、顔を赤らめた。

「やっぱり今日はやめておこう」

言い訳のようにつぶやくと、彼女は足を速める。

ロビーを通り過ぎてエレベーターホールに着いたとき、僕たちの背後から悲鳴が上がり、ざわめきが広がるのが聞こえた。

僕たちが振り返ると、ロビーのテーブルでボードゲームのような紙を広げていた一団の中で、女子生徒が倒れているのが見える。

「英子ちゃん。どうしたの英子ちゃん」

傍らにいた生徒が肩を揺らしてもその生徒の首は力なく揺れるだけだった。

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