第87話 百年の苦悩

 覚醒夢というのは、自分が夢を見ているとはっきり自覚しながら見る夢のことだ。言葉の定義としては夢を見ている者の意識が覚醒状態に近く、自分の意思で夢の中の状況をコントロールすることができるとある。

 僕が見ている夢は少し違っており、夢を見ていながら自分の意識が覚醒状態に近いのは同じだが、バーチャルリアリティーのコンテンツを見ているように夢の内容に干渉はできないようだ。

 僕がシンクロした霊は生前の記憶の中で炭焼き釜の前に立ち煙突から出る煙の色を見て、釜に送る空気の量を調節していた。

 炭焼き釜の中には、断ち割ったウバメガシが並べてあり、既にまんべんなく火が回っている。

 ここから釜に入る空気を塞いで蒸し焼きにしていく過程が炭焼きで最も大事なところだ。

 薪炭材にはクヌギがよく使われるが南房総では常緑樹のカシ類が多く、ウバメガシで作る自分の炭はクヌギの炭より火持ちが良いと自負している。

「おじいちゃん。今日も家に戻らないの?」

 いつのまにか孫の一人の雄基が足元に来ていた。

 炭焼き小屋に寝泊まりしている自分を気遣って毎日のように来てくれる優しい子だった。

「ああ、今が一番大事な時だから炭焼き釜の様子を見ていないといけない。家のみんなにはわしは元気にしていたと言ってくれ」

 雄基に言葉をかけながら、僕がシンクロした人物はもう一人の姿を探した。雄基といつも一緒に来ていた彼の従妹、公輝の姿が見えなかったからだ。

「今日は公輝は来ていないのか」

「公輝はもうここには来ないよ。僕と一緒に遊んだらいけないと一馬おじさんに言われたからだ」

 僕は孫の言葉を聞いてため息をついた。

 自分の息子達、一馬と雄馬の諍いはいつ果てるともわからず続いている。そして、それは子供の代にまで及ぼうとしていた。

 その諍いの種を作ったのが他ならぬ自分だということは自覚していた。

「おじいちゃんは公輝と仲良くしていたらご褒美をくれると言っていたが、もう貰えなくなってしまった」

 雄基の残念そうな言葉を聞いて僕は慌てて言った。

「そんなことはない。これからどれだけ先になっても公輝と仲よくしたらちゃんとご褒美を上げるからな」

「本当!?」

 雄基の嬉しそうな顔は少しばかり僕の心を明るくした

 隠居の身で、炭焼き小屋に入り浸っているのも自分の子が兄弟でいがみ合うのが見るに堪えなかったからだ。

「おじいちゃん、もう帰るからね。炭焼きが終わったら家に戻ってよ」

 いつも連れ立っていた公輝がいないと雄基は気づまりなようで、早々に家に帰ることにしたようだ。

 炭焼き釜の軒下から外に出て見送ると、雄輝は山道を駆け下りていき、途中で振り返ると小さな手を振って再びふもとに向かって駆け出していった。

 僕は炭焼き釜の前にある小屋の中に入り、炭を焼く間寝泊りするための粗末な小屋の板の間に腰を下ろして頭を抱えた。

 自分が蒔いた種が収拾がつかなくなっていることが口惜しかった。

 何とかしてこの争いをやめさせないと死んでも死にきれない。

 後悔をかかえた老人の意識が残ったまま僕は目を開けた。

 起き上がった場所は自宅の自分の部屋だ。

 しかし、後味の悪い感覚が目覚めてもよみがえってくる。

 昨日僕たちに詰め寄ってきた霊はどうやら僕の中に入り込んだようだ。それはやはり西山さんと景平さんの祖先にあたる辰吉さんだったらしい。

 山葉さんが除霊するときに霊感が強い僕が近くにいると、彼女が祓おうとした霊達たちは、この世に思い残した執着があるので、現世にしがみつくために僕の中に逃げ込んでくることがある。

 今ではそのこと自体はさほど気にならなくなっていた。

 逃げ込んだ霊に憑依されて操られたと感じたことは今のところないからだ。

 それよりも今回は霊が思い残した後悔の念と、西山さんと景平さんの現状が微妙にかみ合わないのが気になった。

 仲たがいした家系のそれぞれの末裔である二人が結ばれるなら、僕の中に入り込んだ辰吉さんにしてみれば、歓迎すべきことなのではないだろうか。

 それなのに、二人の夢枕に立って何事かを伝えようとしているのが不可解だった。

 僕は身支度をして出かける準備をした。

 日曜日の今日は、カフェ青葉のアルバイトはお休みなのだが、夢に現れた辰吉さんのことを山葉さんに相談したかったのだ。

 僕は天気がいいので、バイクで行くことにした。

 寒いからという不精な理由でしばらく乗っていなかったGSX400Sのエンジンをかけると、最初ぐずっていたエンジンは環状七号線に出るころにオイルが温まってきたみたいで機嫌よく回り始めた。

 道なりに南下していくと、あっという間に高円寺の陸橋を過ぎる。

 電車で移動する場合と距離感覚が違ってくるのが不思議だ。

 ほどなくカフェ青葉に到着した僕は裏口ににバイクを止めてお店のバックヤードに入った。

 ヘルメットを抱えてガレージとコーヒー豆の焙煎機の横を抜け、厨房兼スタッフ用食堂を覗くとちょうど雅俊と細川オーナーがが賄いを食べているところだった。

「あら、今日はアルバイトはお休みの日でしょ?」

 細川オーナーがナイフとフォークで厚切りベーコンを切っていた手を止めて僕に訊いた。

「ちょっと、山葉さんに相談があってきたんです」

 僕は話が長くなりそうなので簡単にオーナーに告げたが、今度は雅俊が僕に訊く。

「バイクに乗ってきたのか。ええなあ、山葉さんに相談って昨日のミッションの続きのことか?」

「自分もニンジャ400持ってるんだから乗ればいいじゃん。それから、昨日の指令書の件はひとまずおしまい。今日来たのは昨日持ち込まれた霊が僕に憑りついたみたいで、昨夜僕の夢に出てきたから、彼女に相談に来たんだ」

「何だそんなことか。彼女ならお店に来た栗田准教授と話していたよ」

 霊に憑りつかれたうえに、それが夢に現れたと言っても、雅俊のリアクションは「何だそんなことか」であり、僕たちは新霊現象にどっぷりとつかりすぎているのかもしれない。

 僕は細川オーナーに会釈してから、ヘルメットとリュックサックを自分のロッカーに入れて、カフェ青葉の店中に入った。

 店内では、雅俊の言葉通りに、カウンターに座った栗田准教授が、カウンターの中にいる山葉さんと話をしていた。

 僕に気付いた栗田准教授が嬉しそうに手招きする。

「内村君、丁度君の話をしていたんだ。山葉さんが言うには昨日現れた辰吉さんの霊は、彼女に浄霊されまいと君に逃げ込んだのではないかと言っている。何か心当たりはないかな。」

 僕はちらっと山葉さんの顔を見た。振り返って僕の顔を見ていた彼女は慌てて目をそらす。

「そのことで彼女に相談しに来たんです。辰吉さんの霊が僕の中にいるみたいで、昨夜僕の夢に彼の記憶が流れ込んできたのです。夢の中で僕は山中の炭焼き小屋で炭を焼いていましたよ。」

「そうか、もっと詳しく話してくれないか」

 栗田准教授は相好を崩した。山葉さんは僕に視線を戻すと申し訳なさそうに言った。

「すまない。昨日そのことを伝えようとしたのだが、ウッチーが別の話と勘違いしたみたいなので途中でやめてしまったのだ」

 そう言われてみたらそんなことがあったような気がする。

「もういいですよ。それよりも夢の中で辰吉さんは自分が原因となって息子たちが諍いを続けているのをひどく悔やんでいたんです。その夢に登場した孫には従妹と仲良くしたらご褒美をあげると言っていました」

「そのお孫さんの名前は憶えているか」

 栗田准教授は手帳を開いてメモを見ながら僕に訊いた。

「ユウキと言う名前だったと思います。もう一人の夢には出てこなかった彼の従妹がキミテルだったと思います。」

 栗田准教授は食い入るように手帳を眺めていた。

「すごい。西山君に提供してもらった系図に出てくる名前だ。雄基さんが西山君のおじいさんで公輝さんが景平さんのおじいさんに当たる。これだけでも僕には驚天動地だ」

「彼は、夢の中で見た事柄を詳細に思い出すことができるようです。ちょっとした特技ですね」

 彼女の言い回しは微妙なのだが、僕は褒めてくれていることにした。

「僕たちには、人物を特定できるような特徴は見えなかったのに、西山さんや景平さんにはなぜ辰吉さんの顔が見えたのでしょうね?」

 昨日からの僕の疑問に、山葉さんが自分の考えを口にした。

「それは辰吉さんの霊が長い年月この世に執着している間に、細かい情報が失われてしまったからではないかな。それゆえ、私たちには人としての細部が見えないが、西山さんや景平さんは彼の直系の子孫にあたるから何か不可思議な方法で辰吉さんだと認識しているのだろう。そのうえで二人はアルバムなどで見た辰吉さんの顔のイメージをアイコンのように張り付けているのではないだろうか」

 山葉さんの説はものすごく理屈っぽいが、筋は通っている。

 僕は彼女の説の盲点を突いてみた。

「でも、以前江戸時代中期ごろの祖先の霊を連れてきた人がいましたけど、衣類や持ち物の詳細まで見ることができましたよ」

「歌舞伎草創期のいなせな役者さんの霊のことだな。その人の場合は時間と空間を飛び越えて直系の子孫の守護役として現れたから詳細が失われていなかったのではないかな」

 そこまで言うなら物事全てがどうとでも説明できるかもしれないが、僕もそんなことで言い争うつもりはなかった。

「西山さん達の夢枕に立った時に辰吉さんが何も言わないのは、彼が言葉を伝える能力を失っているためだと言いたいのですか」

「そのとおりだ。そこで僕にちょっと考えがあるのだが、お二人に協力してもらえないだろうか」

 僕の言葉に、今度は栗田准教授が食いついてきた。

「何なりとお申し付けください」

 山葉さんは笑顔を浮かべて答えた。僕にしても栗田准教授の依頼に協力するのはやぶさかではない。

「辰吉さんの霊の所在も分かったことだし、西山さんと景平さんに同行してもらって、下北半島でいたこをされている方に口寄せを頼もうかと思うのです。もちろん霊が取り付いている内村君には同行してもらいますし、できれば山葉さんにも来ていただきたい」

 僕と山葉さんは顔を見合わせた。「いたこ」と言えば恐山が有名で死者の言葉を伝えてくれるというのを聞いた事がある。僕の知識はその程度だ。

「ぜひ私も同行させてください」

 山葉さんが答えた。もとより僕が同行するのは栗田准教授の中ではすでに既定の事項のようだ。

 僕たちは日程の都合がつくときに下北半島まで出かけることになった。

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