第83話 トラウマの原風景

僕がツーコさんの心臓マッサージを続けていると、山葉さんの声が響いた。

「少しペースが速いみたいだ。『世界に一本だけの花』くらいのテンポがいい」

「どんな曲でしたっけ」

気が動転していると、タイトルだけでは曲を思い浮かべることができないこともある。僕は手を止めないで叫んだ。

「それを知らないなら、そうだなアニメのパンパンマンのテーマならわかるだろ」

瞬間、僕の頭の中にパンパンマンのテーマが流れ始めた。その曲に合わすと、僕が両手に力を込めるペースは少し遅くなった。

「そうだそれくらいでいい、今救急車がこっちに向かっている」

人の命に係わるシチュエーションにそぐわない、のどかなアニメのテーマを思い浮かべながら僕は必至で心臓マッサージを続けた。

「ツーコ。いったいどうしたの。目を開けて」

クラリンは涙ぐみながら呼びかけ続けていたが、彼女は答えない。

全力で心臓マッサージを続けていた僕は息が切れてきた。

その様子を見ていた山葉さんは僕の肩に手をかけて言った。

「交替しよう。ウッチーは表に出て救急車を誘導して救急隊員を連れてきてくれ。クラリンはツーコさんの家族に連絡だ」

「わかりました」

僕は、はじかれたように立ち上がると、カフェ青葉の店内を横切って外に出ようとした。僕の慌てた様子が目に留まったのか雅俊が声をかけてくる。

「どうしたんやウッチー、顔色が真っ青だ」

僕は足を止めずに答えた。

「ツーコさんが倒れたんだ。心停止しているかもしれないから救急車を呼んだ。もうすぐ着くはずだから表に出て場所を知らせに行く」

「なんだって、どうしてそんなことに」

僕は答えずに表のドアを開けて通りに出た。遠くから微かに救急車のサイレンが聞こえ始めている。

救急車が到着した後は、僕と雅俊は店の中から状況を見守るしかなかった。救急隊員がAEDを使うからと言っていざなぎの間から締め出されたからだ。

オーナーの細川さんが居合わせたお客さんに、急病人が出たのでお騒がせしますとお詫びを言って回っているが、お客さんの方は驚いたものの、病人の具合を気遣う人が多いようだ。

しばらくして、店のバックヤードから担架に乗せられたツーコさんが運び出された。

雅俊が先に立って店のドアを開けに行く横で、クラリンが僕に囁いた。

「心拍と自発呼吸が戻ったけど、とりあえず病院に運んで様子を見るんやって。私は付き添いで一緒に行くから、搬送先の病院がわかったら連絡するね」

クラリンはそれだけ言うと硬い表情のまま、救急隊員の後を追った。

僕が店のバックヤードに戻ると、山葉さんは緊張の糸が切れた様子でいざなぎの間に座り込んでいた。

「私のせいだ」

彼女は、ぽつりとつぶやいた。

「どういうことですか」

僕はいざなぎの間に上がり込むと、畳の上に座り込んでいる山葉さんの前にしゃがみこんだ。

「彼女の心臓が止まったのは、私のせいなのだ。私が邪霊だと思って神上がりさせた霊はツーコさんの魂の本質の部分だったようだ」

「そんなばかな、どうしてそんなことが起きるんですか」

山葉さんは、畳の上に視線を落としたままだ。

「彼女の中に確かに彼女自身の霊が存在していると思ったのだ。だが、そちらの方が偽物だったのかもしれない。本物がいなくなったら偽物だけでは彼女の体を支えきれなくなったのだ」

僕は霊のことはよくわからないが、山葉さんが責任を感じて打ちひしがれていることだけはわかった。

「もしもツーコさんが死んだら私も責任を取って死のう」

彼女がつぶやいた言葉を聞いて、僕の中で何かがぶちっと切れたのがわかった。

僕は彼女の頬をぺちっと叩いて言った。

「いい加減にしてください、あなたが死んでも何も解決しないんです。間違えて神上がりさせたのなら、呼び戻せばいいでしょう」

僕が無言で山葉さんを見つめていると、彼女はゆっくりと顔を上げた。

「呼び戻す?」

僕はうなずいて見せた。

別に当てがあっていったわけではなく?送り出せるものなら呼び戻せるに違いないと勝手に決めつけていただけだった。

「そうだ。そんな祭文があると聞いたことがある。お父さんに教えてもらおう」

彼女は袂からスマホを取り出すと通話を始めた。どうやら四国にいるお父さんに、いざなぎ流の儀式を新たに教わる気のようだ。

立ち聞きするのも悪いような気がして、僕はカフェ青葉の店内に戻った。カウンターの中で食器を洗っていた雅俊が僕に言った。

「搬送先の病院は関東第一病院だって。今から行くのか?」

「そうだな気になるから山葉さんと一緒にタクシーで行ってみるよ」

「その山葉さんはどうしている?。」

「四国のお父さんに、いざなぎ流の秘儀を教わっているみたいだ」

「そうか、山葉さんが帰ってくるまでは俺がアルバイトに入っているから時間は気にしないでいいと言っておいてくれ」

僕がうなずくと、雅俊は手元を見ながら仕事を始めた。本当は雅俊も様子を見に駆け付けたいに違いない。

数分後に、山葉さんは巫女姿のままで店内に現れた。榊や御幣が入っているらしい大きなトートバッグも担いでいる

「彼女の搬送先は判ったのか?」

「世田谷の関東第一病院だそうです。これから行きますか」

山葉さんがうなずいたので僕はタクシーを呼んだ。タクシーの車内で彼女はスマホにつないだヘッドホンで何かを聞き続けている。

「何を聞いているんですか」

僕が尋ねると、彼女は片方のイヤプラグを外していった。

「え?」

「何を聞いているんですか」

「ウッチーが勧めてくれた、神上がりした御霊を呼びもどす祭文だ」

「できるんですか?」

「自分がやれと言っておいて何を言っているんだ」

彼女は再びヘッドホンのプラグをはめると、祭文を記憶することに没頭し始めた。

先ほど電話した時に彼女の父親が教えた祭文を録音して聞いているようだ。

これも、口伝の一形態なのだろうかと疑問が湧いたが、きっとその範疇に入るのだろうと僕は強いて自分を納得させることにした。

搬送先の病院に到着してみるとツーコさんは搬送先の病院で個室の病室をあてがわれていた。

心拍計の音だけが病室に静かに響いている。

「心拍も自発呼吸も安定しているから、人工呼吸器の必要はないって先生が言っていた。ツーコのお母さんとお姉さんが新幹線でこっちに向かっている」

「意識は戻ったのか?」

僕の質問にクラリンは黙ったままで首を振った。その横で山葉さんはヘッドホンを外すと、トートバッグから榊や御幣を取り出し始めた。

「ここでまたご祈祷するんですか」

クラリンは不安そうな顔をした。先ほど、祈祷の最中に倒れたのだから当然かもしれない。

「黄泉がえりの祭文を使ってみる。あの世から御霊を呼び戻す術だ。私の父が封印していたものだ」

「そんなことができるんですね」

「問題は使い方だな。水難事故で亡くなったばかりとか、不慮の事故で亡くなった人で、遺体の痛みが少ない場合限定で使われていたらしい。そうでないと、呼び戻されて気が付いたら腐った死体に封じ込められていたりしたら、その人も後々がつらいだろう」

僕とクラリンは互いに顔を見合わせた。いざなぎ流の奥義を使えばキョンシーとかゾンビを製造できるかもしれない。

「近隣の病室に迷惑にならないようにドアを閉めよう」

言われるままに僕は病室のドアを閉じた。

丁度昼食時らしく、病棟の廊下はざわざわとした雰囲気だ。

山葉さんが祈祷をしても、騒音に紛れて目立たないはずだ。

山葉さんは御幣を振ると祭文の詠唱をはじめた。

その内容はいつもと違う。

山葉さんは祭文を詠唱しながら舞う。

今日のそれはいつもよりも激しい動きだ。

彼女の詠唱に気を取られていた僕は、病棟の廊下のざわめきが聞こえていないことに気が付いた。

クラリンにそのことを話そうと思ったが、彼女も動きを止めていた。

世界のすべてが動きを止めた中で、僕と山葉さんだけが動いている。

山葉さんの詠唱がさらに高まったとき、彼女が用意していた式神達がかさかさと動き始めた。やがてそれらは、ザアッという音とともに、中空に舞い上がると、ふっと姿を消した。

式神達は、いずことも知れぬ時空へと移動していったのだ。山葉さんの詠唱が続く中で、姿を消していた式神達は、一つ、また一つと、ファサッっという音とともに、病室の床の上に舞い降り始めた。

時を止めた病室の中で山葉さんの詠唱だけが響いている。

やがて、姿を消していた式神の最後の一つが姿を現した。

式神がツーコさんを絡めとって現われることを予期していた僕は期待外れな気分だった。だが病室内を見渡した僕は、そこに人影が増えたことに気が付いた。

病室の床の上に、体育座りをしている女性がいたのだ。確かめるまでもなくそれはツーコさんの姿だった。

「山葉さん、ツーコさんがそこに居る。」

僕の声に気が付いた山葉さんは詠唱をやめた。そして動きを止めているクラリンを見て室内の異変に気が付いたようだった。

僕と山葉さんは、目の前に現れた野生動物を捕まえるようにジワジワと、床に座るツーコさんの霊体に近づいたが、彼女は身じろぎもせずに体育座りをしたままだった。

「千紗さん聞こえますか。」

山葉さんが声をかけるが彼女は反応しない。目は開けているのだが、その双眸には何も映っていないようだ。

床に座るツーコさんは霊体のようで、彼女の肉体はベッドに横たわったままだ。

僕は、何とかして彼女の霊体を体の中に戻さなければと思って彼女の肩に手をかけたが、その瞬間電撃を受けたような衝撃に見舞われた。

そういえば、霊に触れると相手の記憶に巻き込まれることが多かったなと僕は思い出したが、時すでに遅しだった。

目の前の情景が、どこかの家のリビングルームらしき映像に切り替わり、険しい表情の男性が見える。

僕と山葉さんは彼女の記憶を追体験し始めていた。

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