第82話 心室細動
「なあクラリン。山葉さんって人にも私に何か取り憑いていないか見てもらうのはどうやろうか」
物思いにふけっていた僕はツーコさんの声に顔を上げた。
「そうやな、ウッチーの告白に対する反応も見てみたいし、今からカフェ青葉まで出かけてみようか。」
僕は慌てて二人を止めようとした。
「ちょっと待って、彼女も少し時間をくれと言っていたのだから、昨日の今日ではまだ返事を決めていないかもしれないだろ」
クラリンは笑顔で両手を上げて僕を押えるしぐさをする。
「誰もその件を露骨に聞いたりせえへんよ。主なお題はツーコのドッペルゲンガーの相談やから別にええやろ」
ツーコさんも穏やかな笑顔を浮かべてうなずく。
彼女は自分のドッペルゲンガーが出現しているかもしれないと言いながら、あまり危機感を感じてなさそうなのは人柄だろうか。
「それじゃあ、私はちょっと洗濯物を取り込んでおきたいから、ツーコとウッチーは先にカフェ青葉に行ってくれる?。」
「えいよ。ウッチーさん一緒にいこか」
事態の主導権は完全に同級生女子二名に握られていた。
僕は仕方なく腰を上げるとツーコさんと一緒にクラリンの部屋を後にした。
マンションのエントランスを出ると、春めいた日差しを感じる。
こんな明るい昼間に幽霊が見える気がしない。
駅の前で見たツーコさんによく似た人影は他人の空似だったのかもしれない。
そんなことを考えていたら、ツーコさん本人がエントランスから出てきた。
「待って内村君、女性と歩くときは相手にペースを合わせなさいよ」
「ごめん、そんなところに気が利かなくて」
僕は答えながら、何となく違和感を感じた。
クラリンの部屋に忘れ物を取りに行くと言って戻った彼女は、小走りに戻ってきたらしくて少し息を切らしている。
「カフェ青葉に、クラリンのお相手の東村君もバイトに行っているんでしょ。彼とは何回か顔を合わせているけどあいさつした程度なの。内村君から見たら彼はどんな感じの人?」
「一言で言うのは難しいな。いいやつなのは確かなんだけど」
人物評は難しく、相手に対する自分の主観がもろにでてしまいそうで迂闊に口にできない気がする。
五分もすれば本人に対面できるのならば、見てもらったほうがよさそうだ。
「内村君もそういうところは割と気を遣うのね」
考えを読まれたような気がして、僕はツーコさんを振り向いた。
彼女は道路に沿って建物の隙間から除く空を見上げていた。横顔から微かにハミングが聞こえる。
僕の視線を感じたのか彼女はゆっくりと振り向いて笑顔を浮かべる。
先ほどまで話していたツーコさんと何処も変わらないのだが、どこかが違うような気がする。
その時、僕は違和感の原因の一つに気が付いた。マンションを出てから彼女の話し方が標準語アクセントに変わったのだ。
それ自体はよくある話だ。大学では地方出身の人は大勢いて、それらの人は同郷の友達とはなじみのある方言で話し、それ以外の人とは標準語アクセントで話して使い分けている人が多い。
彼女もそうしていると思えばいいのだが、言葉だけでなく表情の作り方や立ち居振る舞いが微妙に違う。
さっき駅の前で会いませんでしたか。と訊いてみたかったが、度胸のない僕は口にすることができなかった。
カフェ青葉に着くと、店内は比較的空いていた。
ウィークデーなのと大学生が長期休暇中の影響かもしれない。
テーブルの食器を片付けていた雅俊が僕達に気付いた。
「ウッチーにツーコ、今日は店には来ないと思っていたのに」
雅俊は両手に目いっぱい食器を持って運びながら言う。
「それがな。急に山葉さんに私のことを見てもらおうって話になったんや」
ツーコさんはゆっくりとした口調で答えた。あ、関西弁になってるしと僕自身も関西系の言葉使いで考えながら彼女の顔を見た。
当たり前だが彼女の様子は先程までと大きな変化はない。
雅俊はカウンター内のシンクに食器を置きながら僕たちに言った。
「どうせクラリンも後から来るんだろ。厨房のテーブルで待っているといいよ」
「山葉さんは何処にいるの?」
「コーヒー豆の買い出しに行ったよ。もうすぐ戻るはずだ」
雅俊は肩をすくめて見せる。
僕はツーコさんを厨房に案内した。
厨房の隅のスペースにスタッフが賄いの食事をとったりするテーブルがあるのだ。
僕とツーコさんがテーブルに座ると、あまり時間を空けずに雅俊が現れた。
「ほれ、コーヒーでも飲んでくれ。ツーコちゃん久しぶり。山葉さんに相談とは穏やかでないね、どこかで浮幽霊にでも取りつかれたのか?」
「ええ、そんなところですね」
いや、その内容はそんなに、穏やかに交わす会話ではないと思い、僕はこめかみのあたりを押えた。
周囲の人々が次第に心霊になじんでいることの方が怖い。
雅俊がお店に戻ったのと入れ替わりにクラリンと山葉さんが厨房に入ってきた。
山葉さんは僕の顔を認めると一瞬足を止めたがうつむいたまま通り過ぎた。
でも結局はテーブルを挟んで向かい合って座るのだからうつむいて視線を避けてもさして意味はない。
クラリンはツーコさんの差し向かいの席に山葉さんを座らせると、マンションで僕に話したのと同じようにツーコさんのドッペルゲンガーの話をした。
「ふむ、ドッペルゲンガーらしき人影が目撃されただけならまだしも、宿題のレポートまでやってくれるとは面妖な」
山葉さんは腕組みをしてうなった。
「知らないうちに買い物をされて趣味のいい服が増えていることもあるそうです」
「どうせ私は趣味が悪いですよ」
クラリンとツーコが話を付け足したが、山葉さんは眉間にシワを寄せてツーコさんを見つめていた。
「もう一人いるようないないような」
山葉さんがつぶやいた。
「え、何か見えはるんですか」
ツーコさんが大きな声で山葉さんに尋ね、クラリンは僕に、見えるのか?と言いたげに目配せをするが僕は何も見えないので首を振る。
「いや、例えば先祖の霊があなたを守るためにくっついているのかもしれないので、いきなり浄霊するのは乱暴かもしれないな。それよりも、知らないうちにレポートが仕上がっていたりするのは解離性人格障害の疑いもあるが、病院でそんな診断を受けたことはありませんか」
「いいえ」
ツーコさんはまったりと答えながら首を振って見せた。
彼女はその系統の精神疾患にはおよそ縁がなさそうな穏やかなメンタリティーの持ち主のように見える。
山葉さんは、はす向かいに座っている僕と目が合うと、気まずそうに視線をを外した。そしてツーコさんに向かっておもむろに言う。
「気になるようなら、浄霊の祈祷をしてみましょうか。先祖の霊のような大事な霊だったらそのまま残っているくらいのレベルで祓えば害はないはずだ」
「そんなにうまく調整できるものなんですか」
僕が尋ねると、山葉さんは僕の顔を見て微笑んだ。
「強固に取りついた霊は、それが良きものであれ、悪しきものであれ、簡単に引きはがすことはできない。無理に引きはがすと今度は近くにいる霊感の強い人間に潜り込んだりするのは体験済みだろ。」
僕は山葉さんと知り合ってから2年ほどの間に、彼女が祓った霊が僕に潜り込んで逃れようとしたことが、二度三度とあることを思い出してうなずいた。
「わかりました。浄霊をお願いします」
ツーコさんが依頼すると山葉さんは笑顔でうなずいた。
「それでは支度をしてきますので、少しお待ちください」
彼女は僕たちに軽く会釈して廊下に出ていった。二階にある自分の部屋まで巫女姿に着替えに行ったのだ。
「意外とあっさり引き受けてくれはったなあ」
「そりゃ、私達の友達だもの。丁寧にしてくれはると思うよ」
クラリンとツーコさんコンビの会話を聞きながら僕は席を立つと厨房から廊下を挟んだ反対側にあるいざなぎの間に向かった。
とりあえず準備をしておこうと思ったのだ。
祭壇をしつらえたりしていると、巫女姿に着替えた山葉さんが大きなプラケースを抱えて畳に上がる。
いざなぎの間は和室なのでフロアより一段高くなっているのだ。
「ありがとう、ウッチー」
彼女はプラケースから取り出した式神をみてぐらにセットしながら僕に礼を言う。御幣を整えようと僕が手を出した時に彼女も手を差し伸べたので、互いの手が触れた。
彼女は電気に触れたようにびくっとして手をひっこめた。
束の間、僕たちの間に気まずい沈黙が流れた。そして、沈黙を破ったのは山葉さんだった。
「すまないウッチー。ペンダントの件にお答えするのはもう少し時間をくれないか」
折り目正しく頼まれては、僕としても待つことしかできない。
「ええ、いいですよ」
色よい返事をいただけるならいくらでも待とうと僕は腹を決めた。
彼女の反応は決してネガティブな反応ではないと信じたからだ。
「二人で仲良く手をつないで何をしてるんですか」
クラリンの声に僕たちはビクッとした。
「いや、手などつないでいたわけではない、祭祀の準備をしていただけだ」
山葉さんが咳払いしながら答えた。クラリンはニヤッと笑う。
「準備はできたみたいですね。そろそろツーコを呼んできましょうか」
山葉さんはうなずいてから、クラリンに尋ねた。
「そのツーコと言うのはあだ名だろ?。本名を教えてくれないか」
「彼女の本名は二宮千紗です」
「わかった」
山葉さんは、呼吸を整えるときりっとした表情を浮かべた。それは陰陽師としての彼女の顔だ。
ツーコさんが前列に座り、僕たちが後ろに控えた形で祭祀が始まった。
山葉さんは声を張り上げるわけではなく、静かな口調で淀みなくいざなぎ流の祭文を詠唱する。
そして祭文と共に、流れるような動きで舞った。
異変が起きたのは山葉さんが僕たちの頭上を御幣で払い、ひときわ強く念を込めて詠唱していた時だった。
僕たちの前に座っていたツーコさんが横ざまに崩れ落ちたのだ。
「ツーコどうしたんや、大丈夫か」
クラリンが助け起こそうとしたが、彼女は力なく横たわったままだ。
山葉さんと僕も駆け寄ったが、彼女は目を開けることはなかった。そして時折しゃくりあげるような音を立てている。
僕は保健体育の授業で救急救命法を教わったときのことを思い出した。しゃっくりのような呼吸は死線期呼吸といって心停止した時のサインだ。
「救急車を呼んで。心室細動を起こしているかもしれない」
僕の言葉を聞いて、山葉さんが119番に通話を始めたのが聞こえた。僕は茫然としているクラリンを押しのけるとツーコさんのみぞおちの上、胸骨があるあたりに両手を押し付けると力任せに押し始めた。
心臓マッサージで血流を確保できるかどうかが、彼女の生存を左右する。
僕は組み合わせた両手を力の限りに押し続けた。
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