第64話 彼女の手首

僕はセーラー服姿の少女が姿を消した辺りを呆然と見詰めていたが、気を取り直して道路を渡り、迂回路を求めて歩き始めた。

最近は幽霊を見たと思ってもさほど慌てなくなっている自分に気がついたが、怖くないと言えば嘘になる。

この世ならぬものが自分だけに見えているとなればあまり気持ちがいいものではない。

本当なら山葉さんに、話を聞いて貰いたいところだが、カフェ青葉を出て自宅に帰ろうとしている途中でまた戻るのはおっくうだし、昨夜の一件もあるのでなおさらである。

しかし、事故現場の混雑から抜け出して、裏通りから駅に着いた時、僕は妙に気になることを思い出していた。

以前山葉さんがセーラー服姿の女子中学生の霊を見かけたら捕まえてこいと言っていたのを思い出したからだ。

山葉さんが話していた幽霊とセーラー服のラインの数やネクタイの色まで一致しているような気がして落ち着かない気分になった。

山葉さんが捕まえてこいと言うからにはそれなりの理由があるはずで、僕のアルバイトの予定は次の日のお昼前からだったから、明日カフェ青葉に出かけるときにその霊を見かけたら捕まえてみようかなとぼんやり考えていた。

翌日、日曜日の午前中に下北沢駅で電車を降りた僕はさりげなく駅前の人混みに視線を走らせ、昨日のセーラー服を着た女子中学生の霊を探したのだ。

しかし、闇雲に探してそう簡単に見つかるわけもなく、それは生身の人間を捜すのと同じだった。

それでも、僕は目的地のカフェ青葉を目指しながら、通行人や道の周囲に視線を配るのは止めなかった。日頃はぼんやりと歩いている道でも注意して見ると普段とは違う姿が見えてくる。

あそこに座り込んでいるお年寄りはきっとホームレスだとか、この通りは道幅の割に交通量が多くて危ないとか、いつもは気がつかないことを考えている最中に、前から来てすれ違った少女の顔が昨日の女子中学生に似ていたことに気がついた。

僕は思わず振り返った。

人違いかもしれないと思ったのは、すれ違った子はセーラー服ではなくて、もっとカジュアルな格好をしていたからだ。

その子は、僕に注意を向けることなく足早に歩いていたが、向こうから走行してくるタクシーが接近すると足を止め、いきなり車道に飛び出した。

タクシーを運転していた高齢の運転手は歩行者が飛び出したのに気がつくと急ブレーキを踏みながらステアリングを切った。反射的に歩行者との衝突を避けようとしたのだ。

タクシーはブレーキを踏んだために車輪が完全にロックし、対向車線にはみ出して逆方向から来ていた乗用車の側面に衝突した、そしてバウンドして、道の歩道側に戻ってくる。

そこはとりもなおさず僕がいるところだで、タクシーは一段高くなった歩道に乗り上げてなおも僕の方に迫ってくる。

慌てて逃げようとすると、突っ込んでくるタクシーを見て立ちすくんでいたらしい中年の男性と鉢合わせしてしまった。

タクシーに轢かれると半ば覚悟した時に背後から鈍い衝突音が聞こえた。

そちらを見ると、歩道に乗り上げたタクシーは電信柱に衝突して止まっていた。

エンジンルームまで電信柱がのめり込み、ラジエーターから水漏れしたのか白い煙が立ち上っている。運転席ではエアバッグが開いているのが見えた。

「危ないところだった」

僕がつぶやくと、中年の男性が答えた。

「本当だな、逃げようと思ったのに足がすくんで何も出来なかった。あの運転手一体何故あんな操作をしたんだ。見通しのいい直線で何もないところなのに」

「中学生ぐらいの女の子が道路に飛び出したんですよ」

中年の男性には先ほどの少女は見えていなかったようで、男性は首を傾げた。

「そんな子供いなかったと思うが」

「多分僕の陰に隠れて見えなかったんですよ」

男性は納得していない風に見えたが、スマホを出して緊急通報し始めた。

僕は事故現場から離れて、周囲に集まり始めた人混みの様子をうかがってみた。

集まってきた人々は日曜日だけに様々な年齢層の男女が入り交じっている。

僕はその中に、タクシーの前に飛び出して事故を誘発した女の子を見つけた。

デニム地のスカートにTシャツを合わせてリュックサックを背負っているが顔は昨日見たセーラー服の子と同一のようだ。

僕が近寄ろうと一歩踏み出したとき、彼女も僕の存在に気がついたようだった。その子はいつの間にか人垣の後側に移動して、人の隙間から僕の方に微笑むとすうっと姿を消した。

乗用車が2台からむ事故だったので、周辺はすぐに渋滞し始め、緊急車両のサイレンが聞こえてきたので僕は現場を離れることにした。

目撃者として証言を求められたら面倒になると思ったからだ。

タクシーのドライバーは明らかに少女の姿を認めて、回避するための操作をしていたが、目撃者には少女は見えていなかった人が多そうだった。

証言が割れたときに少数派の見えていた方にいると、あれこれ聞かれて厄介なことになりそうだ。

カフェ青葉に着いた僕はエプロンを着けて仕事を始めた。

店内はそこそこのお客の入りだで、先に来た雅俊が仕事を始めている。

「ウッチー。俺が食器を引いてくるから洗い物を頼むよ」

「いいよ」

先にアルバイトに入っていた雅俊が、食事を終えたお客の後片付けを始めていた。

僕は、セーラー服の女子中学生の件を尋ねたくてカウンターの内側のオープンキッチンでコーヒーを淹れている山葉さんに話しかけようとしたが、彼女の方が先に口を開いた。

「ウッチー。一昨日の件はノーカンだからな」

「何ですか。ノーカンって」

僕は新しい流行語でも出来たのかと思って、彼女に聞いてみた。

「ノーカウントの略だよ知らないのか」

「そんな略語知りませんよ」

「私の通っていた高校では普通に使っていたぞ」

「きっと、四国ローカルの言い回しなんですよ」

僕が答えると彼女は口をとがらせたので、僕は、まずい気に障ったかも知れないと少し慌てた。

そのうえ、ノーカウントと言われても彼女がどういうつもりでその言葉を使っているか解らない。

「この間は、僕は山葉さんを部屋まで運んだところで記憶が途切れているんですけど」

ありのままに聞いてみると、彼女は手を止めて振り向いた。

「ほう、それでは何で私のベッドで寝ていたんだ」

今度は僕が慌てる番だった。一緒に寝ていた記憶はないがベッドから蹴り落とされて目が覚めたような気がしないでもない

「多分、運んできてそのまま倒れ込んだんですよ」

僕の答えを聞いて彼女は黙り込んだが、ややあって口を開いた。

「なるほど、それならつじつまが合う。要は何もなかったということだな。家まで運んでくれてありがとう」

僕は何がつじつまが合うのか解らなかったが、先ほどの女子中学生の霊の話を先に話すことにした。

「山葉さんは以前、セーラー服を着た女子中学生の霊を見かけたら捕まえて来いと言っていましたよね」

コーヒーのドリップを再開していた彼女は、しばらく考えていたようだが、今度は手を止めないで答えた。

「確かにそんなことを言った覚えがあるが、あの一件は解決済みだ。伝えてなかったとしたら私がど忘れしていたのだ。申し訳ない。」

てっきり、その話だと思っていた僕は当てが外れたが、同じような風体の女子中学生の霊が交通事故を誘発している事をかいつまんで話した。

「それは性質の悪い霊だな。その女の子のヘアスタイルを憶えているか」

「ショートワンレングスでしたね。きれいなストレートヘアだったから憶えてます。」

「私が見たやつは、少し癖毛だったからやはり別人だと思う。手が空いたら私も事故現場に行ってみよう。これ以上事故を誘発しないように浄霊しなければならない」

後ろ姿なので表情は伺えないが、彼女から立ち上るオーラがいつもに戻ったような気がした。

「でも、以前見た浅野さんの霊は地縛霊になって事故現場から離れることも出来なかったのに彼女の場合は何故自由に場所を移動したりできるんですか」

「それは霊的な素質とかが影響しているのだろうな。生前から霊感が強いタイプだったので、生きている人の波動を使って自由自在に移動できるのかもしれない」

女子中学生の霊は僕が接近する気配に気付いて姿を消した。

僕はその様子を思い出して、そう簡単には捕まえることは出来ないのではないかという気がしていた。

カフェ青葉のランチタイムが終わり、片付けも粗方終わったところで、僕と山葉さんは休憩時間を貰って外に出かけることになったが、何か勘違いしたらしく雅俊がニヤニヤしながら見送ってくれた。

店を出たところで山葉さんは言う。

「効率よく探すために二手に別れよう。私は昨日の事故現場に行くからウッチーは今日、事故が起きた現場を探してくれ」

「昨日の事故現場って解りますか」

僕が尋ねると彼女は答えた。

「夕方駅前に行ったときに現場検証をしているのを見たから場所は解るよ」

彼女は、日差しがまぶしいのかサングラスをかけると僕の方に振り返った。お仕事用のポニーテールがふわりと揺れる。

「首尾良く捕まえたら電話してくれ。そのうえで絶対に手を放さないようにして店まで連れてくるんだ」

「わかりました」

彼女と別れた僕は今朝の事故現場に向かった。既に事故車両は撤去されていたが、ガラスの破片や漏れたオイルの跡は残っている。

近くの路地には警察のパトカーが止まっており、現場では二人の警察官が事故を起こしたタクシーの運転手らしき人と何か話していた。

大した怪我もなく、現場検証をしているようだ。

さすがに、女子中学生の霊は現れないだろうなと思って周囲を見渡した僕は目を疑った。

いたのだ。

彼女は頭の後で両手を組んで、ブロック塀にもたれた格好でつまらなそうに現場検証の様子を眺めていた。

僕はツカツカと近寄ると彼女の手首をがっちりとつかんだ。

ビクッとした彼女は僕の手をふりほどこうともがき始めた。

「何するんだよ、このエロオヤジ。その手を放せよ」

中学生から見たら、大学二年生の僕もオヤジの範疇に含まれるらしい。

「話をしたいんだ。ちょっと一緒に来てもらおうか」

「くそ。昨日から私をつけ回しやがって。この変態ロリコン野郎。放せったら放せよ」

彼女は騒ぎ始めたが。僕は周囲の人間には彼女の声は聞こえないはずだとたかをくくってそのまま引っ張って行くことにした。

彼女をつかんだ手を放さないようにしながら、僕は山葉さんにスマホで連絡した。

「いま問題の霊を捕まえました。このままカフェ青葉まで連れて行きます」

「わかった。先に店に戻っているようにする」

僕は手短に答える山葉さんに聞いてみた。

「彼女の声聞こえますか」

「いや、スマホ経由で聞く事はできないが、怪しい波動は伝わってくるよ」

心なしか山葉さんが苦笑したような気がした。僕の横では女子中学生の霊が絶叫し続けている。どうやら僕がひるんで手を放すことを期待しているらしい。

「誰か助けて~。怪しい人に連れて行かれそうです~。警察に電話して~」

僕は辟易したが、彼女の手は離さなかった。

カフェ青葉にたどり着いた僕は、何食わぬ顔で店内を通り抜けると、山葉さんが待ち受けるオープンキッチンの中に急いだ。

首尾良くターゲットを捕まえたので、得意げな顔をしていたかもしれない。

だが、山葉さんはきょとんとした顔で僕を見詰めていた。

「ウッチー。一体何を持ってきたんだ」

彼女に問いかけられて、僕は中学生の霊を捕まえているつもりの右手を見ると、僕がつかんでいたのは二の腕の途中で寸断されたひからびた手首だった。

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