第60話 テキーラショットガン

一之助さんが案内してくれたのは六本木のクラブだった。

僕の着ているカジュアルな服は何となく場違いな雰囲気だが、救いなのは夏場なので何を着ていても悪目立ちしないことだ。

山葉さんはブランド系のワンピースに着替え、いつものポニーテールと違って長い黒髪を降ろしてセレブな雰囲気を漂わせている。

エントリー料金を払った一之助さんはお店のスタッフと何か話していたが、スタッフは僕たちを丁重にフロアの端にある箱席に案内してくれた。

フロアを横切ろうとしていたら、一之助さんの知り合いらしい女性が声をかけてきた。

「一之助ちゃん。踊らないうちからVIPルームにおこもりになるなんてどうしたのよ」

「いや、今日はこの人に相談事があってね」

一之助さんは至って真面目に答えた。

「またまた、相談とかいってゆっくり口説く気でしょう。そっちの男の子は後輩のタレントさんかしら」

少し酔っているらしい女性は、からみ気味に追いかけてきた。

「この人達はね、すごい霊能力者なんだよ」

「まじっすか」

女性の足が止まった。ちょっと怖いものを見る系の目で僕たちを見ている。

「まじっす」

一の助さんは女性の口まねをしながら笑顔を浮かべて手を振った。そして僕たちをVIPルームに押し込んだ。

VIPルームはゆったりしたソファーやテーブルがおいてあり、豪華な内装だった。

DJブースからはレゲエっぽい曲が流れ、音楽の音量は会話が出来ないほどではない。

雰囲気に飲まれている僕と違って、山葉さんは一之助さんがボトルで頼んだスパークリングワインをクピクピと飲んでいた。

「お好みの飲み物があれば追加しましょうか」

「そうだな。折角だからテキーラをもらおうか」

山葉さんはさりげなく答えた。一之助さんは少し意外そうな顔をした。

「ボトルで頼みますか」

山葉さんはうなずきながら言った。

「ショットガン用の炭酸も頼んでください」

「すごい。通なんですね」

一之助さんは心なしか嬉しそうにオーダーしていた。テキーラと言えばアルコール度数が四十度を超える強いお酒だ。

僕は山葉さんがやけ酒を始めるのではないかと気が気ではなかった。

テキーラが運ばれてくると山葉さんはショットグラス三つにテキーラと炭酸水を半々ぐらいに注いだ。

彼女は人数分作ってくれたのだ。

「グラスを手でふさいでからテーブルにたたきつけて、溢れる前に一気に飲むんだ」

山葉さんは言ったとおりに、ショットグラスをテーブルにたたきつけて、一気に飲み干した。僕は意味がよくわからないまま真似をしたが、手のひらに泡が溢れてくるのを感じて慌てて口に運んだ。テキーラの香りが口に広がる。

テーブルにたたきつけることで、テキーラと炭酸水が一気に混ぜられて泡立つようだ。

山葉さんと一之助さんは時折、くし切りのライムをかじりながら、タン、タンとグラスをたたきつけてテキーラをあおっている。

僕はテキーラ早飲み競争をしているような二人にペースを合わす努力を放棄し、テーブルに運ばれてきたスモークサーモンをつまみながらスパークリングワインをチビチビ飲むことにした。

本日はお酒を飲み過ぎないための相談ではなかったのかというぼくの疑問をよそに、一之助さんは感心したように言った。

「お強いんですね」

「いや、あなたほどではないよ。お酒に飲まれてしまうタイプかと思ったが、少しも酔ったように見えませんね」

山葉さんはテキーラと一緒に運ばれてきた岩塩を舐めながら答え、既にテキーラのボトルは半分以上空いている。

「人と飲んでいる時はまだいいのですが、帰り際に飲み足りないような気がして一気飲みしたり、家に帰ってから改めて強いお酒をんだりするので、その辺を家族や友人に指摘されているのです」

テキーラショットガンを矢継ぎ早に飲んだ後で、物足りないと言い出しそうな彼の飲酒量に僕は眩暈を感じた。

山葉さんは彼の顔を見ながら尋ねた。

「やはり、心理的な問題が背景にあるのかもしれませんね。あなたの場合は伝統的な演芸の後継者になることに抵抗があるのではありませんか」

彼は、少し考えてから答えた。

「それはないと思いますね。うちの場合、小さな子供の頃から歌舞伎の基礎を教わっていますが、自分が向いてないと思ったら無理に跡を継がなくてもいいと言い聞かされていました。今は自分の道として極めていきたいと思っています。ただ・・」

「ただ?」

彼が言葉を切ったので、山葉さんは続きを促した。

「伝統を守っていくだけで、自分の業界が存続していけるのか、少し不安を感じているのです」

「真面目なんですね」

山葉さんはつぶやいた後で、再びショットグラスにテキーラと炭酸を注ぐとテーブルにたたきつけてから一気飲みした。

考え込むような表情で拳に岩塩を乗せた山葉さんは、それが無くなるまでペロペロ舐めていた。そして、おもむろに口を開いた。

「誰もが、自分が生涯続ける仕事について不安を感じる時期はあります。あなたはご自分の仕事に更に自信が持てるようになったら、アルコールに逃げるようなことはなくなると思いますよ」

「僕はお酒に逃げていたんですか」

一之助さんは真剣な表情をして、自問するように言った。

「あなたは真面目すぎるのだと思いますよ」

山葉さんは笑顔で一之助さんに告げると、ふらっと立ちあがった。

「折角なので少し踊ってきます」

そう言い残して山葉さんはフロアの方に出ていった。

残された僕と一之助さんの間に気詰まりな空気が流れ、彼は何だか深刻な表情で考え込んでいる。

僕は何か話の接ぎ穂がないかと彼に目を向けた。そして、彼の二の腕に青白い光の塊を一つ見つけた。

新たに寄って来たのだろうか。僕は深く考えずにそいつをつかみ取っていた。少し酔ったせいか抑制がきかなくなっている。

飢えに苦しんで死んだ霊だとすれば、今の日本に転生すれば食に不自由しないから天国のような世界かもしれないと考え、ぼくは気を込めてそいつを未来へと送り出した。

よく考えたら僕は素面では決して霊を捕まえて来世に送り出すような真似はしない。

そして霊を未来に送ろうとした時、様々な印象が僕の心に流れ込んできた。

それは僕が送り出した魂が未来で体験する事象のようだった。

しかし、その内容を反芻しようとすると印象はつかみ所無く消えてしまった。

「今何をしたんですか」

驚いた様子の一之助さんが僕に尋ねた。僕は彼に何のことわりもしなかったことに気がついて慌てて説明した。

「さっきお祓いしたのと同じようなものが新たに取り憑いていたので取り除きました」

「いや、その時に知らない町の風景や人の顔がちらっと浮かんだような気がするのだが」

どうやら彼は霊感が強い人らしい。

「山葉さんは、亡くなった人やお祓いして霊が転生するときに、近くにいる人間は永遠を垣間見るのかもしれないと言っています」

「ふーん、難解な話だな。でもそんな世界が存在するのは何となく感じられたね。」

うまく除霊できたと思った僕は、得意げに説明していたかもしれない。

しかし、僕は目の前のテーブルをこつこつと叩く音に気がついて顔を上げた。そして、テーブルの向かい側にハッキリとした人影を認めて凍り付いた。

僕の様子を見た一之助さんもテーブルの反対側に目を向けて、そこに何かを認めたようだった。

「俺にも見える。そこに何かいるよな」

僕に見えていたのは何かいるなどという曖昧な姿ではなかった。

「ちょんまげを結って、着流しの着物を着た男の人です。今、懐から螺鈿細工の箸入れみたいな物を取り出して開けています。その中には和風のパイプみたいなのが入っています」

「そいつは煙管っていうんだよ」

一之助さんが僕のボキャブラリーの不足をさりげなく補足した。

「螺鈿細工の煙管入れはどんな模様になっているか解るか」

一之助さんに聞かれて僕は目をこらした。

「招き猫の絵柄があります」

「知っていると思うが、うちの屋号は猫屋っていうん」

僕は一之助さんの顔を見た。

「猫屋の名跡の一つが寛三郎だ。螺鈿細工で招き猫を描いた煙管入れを二代目寛三郎のゆかりの品として見せてもらったことがある」

「いつ頃の時代の人なのです」

「元禄時代だ。西暦なら千七百年代の初めの頃だね。ご先祖様だとして俺に一体何の用事があるのだろ。」

僕達が見詰める前で、彼は煙管に煙草を詰めると懐から取り出した種火で火を付けた。そしてフーッとうまそうに煙を吐き出してみせる。ハッキリした目元が一之助さんの風貌に少し似ていて仕草の一つ一つが妙に格好よく決まっている。

「その人は今何をしているんだ。」

一之助さんは僕のように詳細が見えないらしい。ぼくは実況中継風に説明してみた。

「ソファーに座って煙管でタバコを吸っています。今吸い終わったみたいで、テーブルに煙管をカンとぶつけて中身を出しました。火のついた煙草の塊を手のひらで受けて熱くないのかな。」

彼は火のついた塊を手のひらでコロコロと転がして温度が下がった頃合いでぽいと灰皿に捨て、僕の方を見てにやりと笑う。

ちょっとしたパフォーマンスだったらしい。

煙草を吸い終わった彼は布きれを取り出して煙管を拭くと、煙管入れに収納した。そして「さてと」という感じでおもむろに立ちあがった。

「おい、その人こっちに来ようとしているんじゃないか?」

一之助さんが慌てた様子で言った。

「そうみたいですね。テーブルを回ってこちらに向かって歩いています」

その時僕は気がついた。カフェ青葉のいざなぎの間で山葉さんが祈祷した時に僕の前にへろへろと漂ってきた光はこの人だったのではないか。そして何らかの方法で僕の中に潜んでいて頃合いを見て姿を現したのではないか。

「おい、どうするんだよ」

一之助さんは僕の腕にしがみついた。祖先の霊だとしても、うっすらと見える幽霊が自分に近づいてくるのは、相当怖いはずだ。僕は山葉さんが戻ってこないかとVIPルームの入り口を伺ったが、彼女が戻ってくる気配はなかった。

肝心な時にどうして席を外すんだよと、僕は心の中で彼女に苦情を言うが彼女に聞こえるわけもない。

僕たちの傍らに立った二代目寛三郎と思われる人影は、僕の肩にぽんと手を置いた。その瞬間、僕は電撃のようなショックを受けた。

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