第52話 秘密
田代さんは浅野さん宅の玄関のドアチャイムを押し、ドアを開けて応対する聡子さんに事情を説明する。
「実は帰る途中で同級生の佐知子の妹に会ったんです。真一さんのことを話したら自分も中学生の時に勉強を教えてもらったからどうしてもお参りしたいと言い出しまして。ご迷惑だと思いますがお家に上がらせていただけませんか」
田代さんは年の功なのか山葉さんよりも家に入り込む口実を付けるのがうまかった。
「迷惑なんてとんでもないです。どうぞお上がり下さい。主人も大勢の人にご焼香してもらえて喜びますわ」
「それが、彼女のお家は神道を信奉しているそうで、自分の流儀でお祈りさせてもらえないかと言っているのですが、よろしいかしら」
聡子さんは一瞬口ごもったが笑顔で答えた。
「ええ、構いませんとも、どうぞお上がり下さい」
僕たちを家の中に招き入れる聡子さんに、山葉さんも会釈した
「宮崎です。真一さんが亡くなったことを存じませんでした。無理を言ってすいません」
山葉さんは無難に田代さんの言葉に話を合わせた。
その横で、ご本人の真一さんの霊は無言のままで、じっと奥さんを見つめていた。数ヶ月ぶりにやっとの事で自宅にたどり着いた彼は何を思っているのだろうか。
真一さんの位牌が置いてある部屋に入ったとき聡子さんはくんくんと部屋の匂いを嗅いだ。
「どうしたんですか」
僕が尋ねると彼女は首を振った。
「いえ今、夫がいつも使っていたコロンの香りがしたような気がして」
僕は山葉さんが、人間の脳は感知した事象を理解しやすいように翻訳すると言っていたことを思い出した。
彼女も気配を感じ取って真一さんのコロンの香りと解釈したのかもしれず、真一さんの霊は奥さんの横に寄り添っていた。
山葉さんは御幣を手に祈祷を始めようとしている。
早く聞くべきことを聞かなければと焦った僕は無意識のうちに真一さんの腕をつかんだが、感電したようなショックを受けて僕は立ちつくした。
気がつくと、周囲の皆は動きを止めており、真一さんはしゃがみ込んで娘の美佳ちゃんを抱き上げようとしていた。
しかし、彼の腕は子供の体を突き抜けてしまい抱き上げることが出来ない。
真一さんはあきらめて立ちあがったろうとし、横に立っていた山葉さんの手に触れた。
彼女はビクッとして周囲を見回した。以前にも経験があったので彼女は状況を理解したようだった。
「あなた達が私を助けてくれたのですね」
真一さんは接触できるのは僕と山葉さんだけだと悟ったようで僕たちに語りかけてきた。
山葉さんは、真一さんにうなずいた。
「ええ、私たちはあなたの同級生に頼まれて、ある質問をするためにあなたを捜していたんです」
彼女が答えると、真一さんは部屋の中で凝固している人々を振り返った。
「あそこにいるのはやはり田代だったんだな」
「最初から見えていたのですか」
僕の問いに彼は首を振った。
「いや、事故にあった場所ではちらついた感じでよく見えなかったが、今はちゃんと見えている。彼女は僕に何を聞きたかったんだ」
「あなたと田代さんそして宮崎さんの3人が高校生の時にテーマパークに遊びに行ったときのことを憶えていますか」
横から山葉さんが話に割り込むと、真一さんはあごに手を当てると懐かしそうに言った。
「そんなことがあったな。メールで呼び出されて訳もわからず出かけていったら2人が現れたんだ。結局3人で1日遊んですごく楽しかったのを憶えている」
僕は、言いづらいことを切り出さなければならなかった。
「彼女たちの一人が末期癌で余命がわずかとなっています。そして、真一さんが二人の内のどちらに好意を持っていたか確かめて欲しいと言っているのです」
彼はしばらく考えてから口を開いた。
「余命幾ばくもないのは、宮崎の方だな。そこにいる田代は元気そうに見えるからね」
真一さんは消去法であっけなく真相を見抜いてしまったため、僕はやむなくうなずいた。
「それなら、宮崎に僕が好意を持っていたのは彼女だと伝えてくれ」
その答え方安直に過ぎないかと、僕は内心面白くない思だったが、それは彼に伝わったようだった。
「気に入らないようだな。だが事実そうだったからいいんだよ。それに、もし僕が田代に好意を抱いていたとしても、そう言ったら後に残される彼女が気に病むことになる」
「本当のことを告げるのがちょうどいいと思われたんですね」
山葉さんの問いに彼は微笑んだ。
「そうです。田代には佐知子ロス症候群にならないようにと僕が言っていたと伝えてください。そして佐知子には」
彼は言葉を切った。僕と山葉さんは息を止めるようにして次の言葉を待った。
「こわがらなくてもいいと伝えてください」
僕は拍子抜けした。田代さんへの言葉も、ペットロス症候群じゃないんだからもっと他に言い様はないものか。
しかし、託された言葉は伝えなければならない。僕は気を取り直して彼に告げた。
「わかりました。必ず彼女達に伝えます」
彼はうなずくと愛おしそうに奥さんや子供の方を眺めた。接触することで彼と同期して話が出来るのは、僕や山葉さんのように霊感がある者だけのようだ。
「聡子に伝言を頼むことはできませんか」
シチュエーションを考えると無理に伝えても彼女が信じるとは思えなかったので、僕は考えた末に答えた。
「手紙にして投げ込むくらいならできます」
「それでいいです。聡子には、一緒にいられなくなってすまない。君と一緒になれて幸せだった。美佳のことをよろしく頼むと伝えてください。」
「わかりました」
僕は後で何とか伝えなければと必死になって彼のセリフを憶えようとした。その横で、山葉さんがつぶやいた。
「あなたを事故現場に縛り付けていたのは奥さんと娘さんの強い想いでした」
「え」
真一さんは山葉さんを振り返った。
「奥さんの、あの交通事故がなければ良かったのにという強い想いがあなたを事故現場から動けなくしていたのです。やむを得ないのでその想念は私が断ち切りました。あなたは沢山の人に愛されていたのですね」
「なんだか照れるなあ」
彼は頭をかいた。そして言葉を続けた。
「僕はこれからどうなるのですか」
山葉さんは居住まいを正して言った。
「あなたはこの家の守神として家族を見守ります。そしていつか新しい命として生まれ変わります」
「そうなんだ。天国とか地獄は無いのですか」
「それは人の心の中にあるのですよ。今からあなたを奉る祈祷をしていいですか」
彼はゆっくりと自分の家の中を見渡してからうなずいた。山葉さんはダウンジャケットを脱ぎ捨てると御幣を手にして真剣な表情で祭文を唱え始めた。
霊が帰属する停滞した時空の中では時間の制約がないので、彼女は端折らずに全ての祭文を唱えたようで、僕には長い時間に感じられた。
彼女が祈祷を終えたとき真一さんの姿は見えなくなっていた。
同時に、周囲の皆が動きを取り戻していた。美佳ちゃんが床に落ちていたダウンジャケットを拾って山葉さんに差し出した。
「ありがとう」
受け取った山葉さんの額には汗が浮かんでいた。
「あら、どうなさったの。すごい汗、体の具合が悪いのではないの」
聡子さんが心配そうに言った。
「何でもありません坂道を登ったからでしょう」
山葉さんは平然と答えると、仏壇に手を合わせた。了承を得ているとはいえ宗教が違うのを考慮して柏手も音を立てずにしている。
「よかったら奥様とお嬢さんもこれを供えてもらえませんか」
山葉さんは榊の枝を示した。
聡子さんはうなずくと、美佳ちゃんと一緒に榊を供えて手を合わせた。
山葉さんは榊を回収すると丁重に礼を言って浅野家を辞した。
浅野家から離れて歩き始めたとき、田代さんが口を開いた。
「真一君はどうなったのですか。彼に話を聞けなかったのですか」
田代さんは僕たちが彼と話したことは感知していない。山葉さんはゆっくりと話し始めた。
「真一さんはお家に連れて帰ってちゃんとお奉りすることができました。内村君が話を聞いたので彼に聞いてください」
やはり僕に振るのだなと思い、僕は観念して田代さんに告げた。
「真一さんにお二人のことを話して、どちらに好意を持っていたか聞きました」
田代さんは立ち止まった。
「彼が好意を持っていたのは宮崎さんだったそうです」
彼女は俯いて唇を噛んだ。
「そう。私はあの2人の邪魔をしてしまったのではないかしら」
「違いますよ。彼からあなたに佐知子ロス症候群にならないようにと伝言を頼まれました」
「彼がそんなことを言ったの?」
田代さんはしばらく佇んでいたが顔を上げて歩き始めた。
「佐知子に伝えてあげないと。今日はありがとうございました。私はこれから佐知子の病院に向かいます」
「あの、私が車で送りましょうか。それに彼は佐知子さんにも伝言を預かっているみたいですし」
山葉さんが田代さんに申し出た。
「そうなの」
田代さんが僕の顔を見たので、僕は黙ってうなずいた。
「車をお願いしていいですか」
遠慮がちに尋ねる田代さんに、山葉さんが答えた。
「もちろんです」
「俺が車を取ってきます」
雅俊がパーキングに向けて駈けていった。
「お仕事は大丈夫なのですか」
心配そうな田代さんに、山葉さんは笑顔を向けた。
「お昼を食べてゆっくり帰ってきていいと言われているんです。時間は大丈夫です」
オーナーの細川さんは、外に出たときは他の店で食事をして勉強してこいと言うことが多かった。
車に乗った僕たちは逗子のホスピスに向かった。
車の中で田代さんは僕たちに言う。
「佐知子が気落ちしてはいけないから、真一さんが亡くなったことは伏せておいてくれませんか」
「そうですね」
山葉さんはあっさり答えたが、僕はどうしようかと迷っていた。
逗子のホスピスに着くと、病室には佐知子さんの家族も詰めていた。彼女の両親と妹さんだ。妹さんは身重らしくマタニティウエアを着ていた。
「田代さんいつもありがとう」
佐知子さんのお母さんが挨拶した。
「いいえ。私が好きでしていることですから」
田代さんは答えながらベットのそばに急いだ。ベッドで寝ている佐知子さんは鼻の下に酸素吸入用のチューブを当てられており、容体が余談ならないことが見て取れる。
「佐知子、あの人達が真一さんを見つけて話をしてくれたのよ」
佐知子さんはうっすらと目を開けた。そして、田代さんと僕たちを認めると彼女は口を開いた。
「お父さんお母さん、それに真知。少しはずしてくれないかしら」
彼女の家族が病室から出たところで、僕は佐知子さんに話し始めた。
「僕と雅俊が真一さんを探したのですが、彼は4ヶ月前に交通事故で亡くなっていました。僕たちは事故現場で地縛霊になっていた彼を見つけて話を聞いてきたのです」
「ちょっと」
話が違うと抗議しようとした田代さんを佐知子さんが手で制した。
「続けて」
佐知子さんに促されて僕は続けた。
「真一さんは、その頃好意を寄せていたのは佐知子さんだと言ってくれました。そして僕にあなたあてのメッセージを託したのです」
「彼は何と言ったの」
「こわがらなくてもいいと伝えてくれと頼まれました」
彼女の顔に嬉しそうな表情が浮かんだ。
「不思議ね。私は幽霊とか信じない方なのにあなたの言っていることは真実だとわかる。私は高校生の頃、宮沢賢治が好きだったの。彼にその話をするとそんな子供っぽい著作よりもっと面白い本があると馬鹿にされたわ。でも彼もちゃんと宮沢賢治を読んでいたのね」
「雨にも負けずですね」
山葉さんが問いかけると、彼女はうなずき、そして微笑んだ。
「彼は私の不安を取り除こうと、自分も死後に存在していることを伝えてくれたのね」
彼女はしゃべり終えると目を閉じた。そして彼女は会話が負担になったのか苦しそうにあえぎ始めた。
田代さんはナースコールのボタンを押すと僕たちに言った。
「廊下の家族の方を呼んできて」
雅俊がすぐに廊下に走った。
「佐知子、ごめんなさい私が真一君と佐知子が仲良くなるのを邪魔したのかもしれない」
田代さんは佐知子さんの手を握って耳元で語りかけた。
「ううん。そんなことない。今までありがとう」
佐知子さんが答えるのが微かに聞こえた。
家族の人達が病室に入るのと入れ替わりに僕たちは病室を出ようとした。その時僕はあの黒い影がゆらりとベッドに近寄ろうとするのを見た。そして、その影はいつしか浅野真一さんの姿を取っていた。
死を司る者が親しい者の姿を借りるなんて許せないと思った僕は影の前に立ちふさがろうとしたが、影は何気ない口調で僕に言う。
「なんだ君か。さっきは世話になったね」
「本物なのか」
影はうなずくと言った。
「僕は子守歌を聴きながらうたた寝していたが、突然起こされたんだ。どうやらお迎え役を仰せつかったらしい」
その時、山葉さんが僕の腕をぐいと引っ張って部屋から連れ出していた。
「あれはこの世の理の一部だと言っただろう」
山葉さんに咎められて僕はうなだれた。
「すいません」
廊下の端に置いてある長いすに座った僕たちは顔を見合わせた。
「今日は引き上げた方が良さそうだな」
雅俊の言葉に僕も山葉さんも同意した。
取り込み中の時には部外者は席をはずしたほうがよい。
僕たちが腰を上げたときに僕たちの目の前に二人の人影が出現した。それは佐知子さんと真一さんだった。
真一さんと腕を組んだ佐知子さんは晴れやかな笑顔を浮かべている。
僕と山葉さんが口を開こうとした時、二人はそろってお辞儀をすると現れたときと同様に忽然と姿を消した。
呆然としている僕と山葉さんを交互に見ながら雅俊が言った。
「二人共どうしたんだ。帰るんじゃないのか」
「そうだな。帰ろう」
山葉さんがぽつりと言った。
雅俊には二人の姿は見えていなかったわけで、僕たちはホスピスを後にし、僕と雅俊はカフェ青葉まで同乗させてもらうことになった。
人の死に立ち会ったためか、帰りの車中で僕たちの口は重かった。
「あの黒い影に対面したときに私たちは永遠というものを垣間見るのかもしれないね」
山葉さんが沈黙を破った。彼女はいつものように大きめのサングラスをかけてステアリングを握っている。
「どういうことですか」
雅俊が尋ねた。彼は途中から蚊帳の外に置かれたように感じたらしく、ちょっと面白くない様子だ。
「真一さんを送り出したときに聡子さんがこちらをのぞき込む顔が浮かんだのだ。彼女は身重だったから、真一さんは彼女の息子として新たな人生を歩むのかもしれない」
「あ」
ぼくは、思わず口を押さえた。僕が覗き見た、リビングルームのソファーで頑張った時に出来たのではないだろうか。
「どうしたウッチー」
「いや、なんでもありませんよ」
僕は山葉さんの顔を伺いながら、あれは僕自身がしたことではないから後ろめたく思う必要ないんだと自分自身に言い聞かせ、彼女に言う。
「それじゃあ、佐知子さんも妹さんの子供として転生していつか二人は同級生として再会するかもしれませんね」
山葉さんはフッと笑って言った。
「その発想は何だか楽しいな。今から十六年後くらいに憶えていたら確かめてみようか」
十六年先なんて言われても僕には永遠と同義語くらい遠い未来に思えたが僕は言った。
「そうですね。絶対一緒に確かめに行きましょう」
「その時は俺にもちゃんと声をかけろよ」
後部座席の雅俊の声を聞いて、僕と目を合わせた山葉さんは柔らかく微笑んだ。
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