第51話 地縛霊
そもそも、道端にサラリーマン風の男性がしゃがみ込んでいること自体が普段遭遇しないシチュエーションだ。
近づいてみると、その人は顔をうつむき加減にして目を閉じているが、全体に色あせた雰囲気だ。
「あの」
僕は、声を出さずに思念で呼びかけてみた。その人は姿勢はそのままで、目を大きく開いてこちらを睨んだ。
僕は思わず後ずさった。前髪越しに大きく開いた目が上目遣いにこちらを見つめており、その目には生気がない。
僕は気を取り直してもう一度近寄ろうとしたが、その時男性の姿はフッと見えなくなった。
キョロキョロと周囲を見回す僕を見て雅俊が言った。
「どうしたんやウッチー。何か見えたのではないのか」
「ああ、今ここにいたと思ったのに急に見えなくなった」
僕は、幹線道路の歩道の上で周囲を見渡したが、自分のすぐ後に何かいるのがちらりと見えた。
振り返ってみると、先ほどの男性が僕の背後に張り付くように立っていた。
「うわっ」
僕は、彼から離れようとして車道に飛び出したが、通りかかった配送用の4トントラックがクラクションを鳴らしながら通り過ぎていった。もう少しで幽霊の仲間入りするところだ。
「危ないなあ。何してるんやウッチー」
雅俊があきれている横で、田代さんが僕の方に近寄っていた。
「もしかしてそこに真一君がいるの」
田代さんは意外と勘が鋭いようだ。
僕は彼女にうなずき、霊の容貌を確認する。
影が薄いが、顔立ちの基本形から判断すると遺影で見た真一さんに間違いない。
「私の言葉が聞こえるかしら」
今度は僕は首を振った。
「今の彼には田代さんが見えているかどうかも怪しいですね」
田代さんは口を押さえて佇み、僕は自分にしか見えていない死霊に向かって、もう一度思念を送ってみた。
「真一さんですよね」
彼は僕の方に、じわりと近寄りながら初めて思念を返してきた。
「俺が見えるのか」
「ええ、見えていますよ」
いつの間にか僕と信一さん以外は時間が止まったように凝固しており、彼はさらに僕に近づいて、手を差し延べてきた。
「俺を助けてくれ。この坂を登った所に俺の家がある。俺は何度も家に帰ろうと歩いて登っていくのだが、いつの間にかここに戻ってしまうのだ」
僕は途方に暮れた。彼は自分の死後、自宅に帰ろうと試みたが、事故現場に引き戻されていたのだ。
それは、何かの話で聞いた地縛霊という言葉を思い起こさせた。
「あなたは交通事故で死んでしまったんですよ。車にはねられた時のことを憶えていないのですか」
露骨に告げるのもどうかと思ったが僕は言ってみた。すると彼は僕の言葉を聞いてうなだれた。
「やはりそうなのか。青信号で渡ろうとしたときにいきなり車が突っこんで来たのを憶えている。俺はその後で、この場所に立って誰かが救急車で搬送されるのを見ていたんだ。自分はここにいるから、自分以外の誰かに違いないと思っていた。あれは俺自身が搬送されるところだったのだな」
僕は彼の気持ちを考えると気の毒に思ったが、どうにも出来なかった。
真一さんは僕と意思疎通が出来ることがわかって少し落ち着いてきたようだが、田代さん達の話は切り出せそうな雰囲気ではない。
「なあ、俺を家まで連れて帰ってくれないか」
「一緒に歩いてみましょうか」
僕は地縛霊と化している真一さんと並んで歩き始めた。坂道を上り初めて5メートルほど歩いただろうか。
僕が彼に話しかけようとした時、彼の姿はフッと消えた。
僕は周囲を見回した。周囲の世界は動きを取り戻し、雅俊と田代さんがきょとんとした顔で僕を見ている。
その後ろ、先ほどの事故現場で真一さんが佇んでいるのが見えた。
「真一さんはあそこから動くことが出来ないみたいですね」
「ウッチー、お前今瞬間移動したみたいに見えたけど」
雅俊の問いに答えようとしたとき、田代さんが心配そうに言った。
「ちゃんと供養してあげなくてもいいのかしら」
無論、彼の葬儀は執り行われているはずだが、事故現場に縛り付けられていた彼自身はそのまま取り残されている。
「山葉さんにどうしたらいいか聞いてみます」
ぼくは、スマホで山葉さんに対応策を聞いてみることにした。2回目のコールで彼女は出た。
「どうしたウッチー。今日はバイトはお休みの日だろ」
「今、田代さんの依頼の件で浅野さんの自宅を訪ねていたのです。浅野さんは交通事故で亡くなったのですが、近くの事故現場に行ったら彼が地縛霊になってそこから動けなくなっていたのです」
「ほう、事故現場にいたのか。それで田代さん達に関する話は聞けたのか」
彼女の声にかぶって聞こえていたレッドホットチリソースのナンバーが消えた。
どうやら最初は自動車の運転中だったらしいく、どこかに自動車を止めてオーディオのボリュームを絞ったらしい。
「本人は家に帰りたがっていて、その話を切り出せる雰囲気ではないのです。家に連れて帰ろうとするとすぐに元の場所に戻ってしまいます」
「そうか、様子を見に行きたいが、今はコーヒーの生豆の買い出しで横浜の桜町コーヒーに来ているところだ。都内に戻るまでしばらくかかるよ」
「僕達も横浜にいるんです。浅野さんの自宅が保土谷の駅の近くなのです」
「そこの町名と地番がわかったら教えてくれ」
僕は、その辺の電信柱に記載されていた町名を告げた。彼女は車のナビに設定しているようだ。
「わかった。十分もかからずにそこに行けると思うからそこで待っていてくれ」
彼女との通話を切ってから、僕は田代さんと雅俊に告げた。
「ちょうど、横浜の桜町コーヒーに来ていたみたいなので、ここに寄ってくれるみたいです」
「ああ、そのお店知っていますよ。コーヒー豆を買いに行ったことがあります。オリジナルブレンドがおいしいんですよ」
「僕たちのお店は自家焙煎しているのでそこから生豆を仕入れているみたいですね。」
田代さんと雅俊がコーヒーの話をしている間に、僕は事故現場に戻った。
「真一さん。今僕の知っている陰陽師を呼びました。きっとなんとかしてくれますよ」
「ありがとう」
彼は礼を言うと俯いてしまった。ちょうど時間があるから田代さんの件を切り出そうと僕が思った時だった。
遠くから自動車の甲高い排気音が聞こえると思った時、目の前を紺色のBMWがヒュンと通り過ぎていった。
「今の山葉さんとちゃうのか」
雅俊がつぶやき、僕が目で追っているとBMWは百メートルほど向こうで急停車すると、ハザードランプを付けてバックで戻ってきた。
山葉さんも往々にして近眼なのだ。
ハザードランプを付けたままで車を止めた彼女は車を降りると僕たちの方に歩いてきた。
黒のパンツに白いシャツを合わせたシンプルな出で立ちでダウンジャケットを羽織っている。
バリスタをしているときはポニーテールにしているが今日は髪を下ろしていた。
彼女は、花が供えられている事故現場まで来ると、眉間にシワを寄せて周囲を見た。
「山葉さんにも見えますか」
「うん、道端にいるのがわかる」
山葉さんは肩にかけていたトートバックからノートを取り出すとページを1枚破り取った。
ノートは罫線が入っていない白紙のタイプだ。
彼女はバッグからはさみも取り出すと、切り取った紙を二つ折りにしてからチョキチョキと切り始めた。のぞき込んでいる僕たちに気がつくと彼女は言った。
「そうだ、ヒガシ君、車を向こうのコインパーキングに置いてからその辺にあった花屋で榊の枝を一束買ってきてくれ。ウッチーは向こうのゴミステーションに庭木の剪定クズがあったからその中から五十センチメートルくらいの竹の枝を3本拾ってきてくれ」
「はい」
僕たちは言われたことをやるべく走った。
彼女が示したゴミステーションまで行くと、ちょうど可燃ゴミの収集日だったようでポリ袋に入った家庭ゴミに混じって庭木を剪定した枝を束ねたものも置いてあった。その中には竹の切れっ端らしきものもある。
僕は周囲を見回して人目がないのを確かめると、竹を四、五本引き抜き、手頃な長さの物を三本手に取った。
僕が竹の棒を持って事故現場に戻ると、雅俊も榊を買って戻っていた。
山葉さんが切っていたのは、祈祷に使う式神だった。オンザキ様の式神を僕が持ってきた竹の先にはさむと、山葉さんは二本を僕に持たし、残りの一本を自分が持って祈祷を始めた。
いざなぎ流の祈祷は神楽とも呼ばれており、ゆっくりとした動きの舞踊に近い。
昼間、それも街中で山葉さんが御幣を振り回して踊る様は結構目立つ。
式神を持たされた僕は彼女の脇で立っていたが、雅俊と田代さんは薄情にも僕たちから距離を取って他人のふりをして世間話を始めた。
幸い、通りかかった人たちは、最初は注目するものの、宗教がらみの行事と気付くと関わりになりたくないのか、目を合わさないようにしてそそくさと立ち去って行く。
山葉さんは、一心に祈祷を続け、最後に御幣で事故現場の周辺を厳かに祓うと、少し息を切らしながら言った。
「これで浅野さんを家まで連れて帰れるはずだ。ご自宅に行ったら先祖祭りの祈祷をして神上がりしていただこう。」
彼女の言葉で、僕たちは浅野さんの家に向けて歩き始めた。先ほど真一さんが事故現場に引き戻された辺りを過ぎても彼の姿は僕たちと共に移動を続けている。
僕が山葉さんの方を見ると、彼女はうなずいて見せた。
しかし、僕にはまだ懸念があった。
僕たちはつい今しがた故人の顔見知りとして焼香させてもらったばかりだ。
「山葉さん、僕たちはさっき浅野さん宅で焼香したばかりです。上がり込む口実はどうしましょうか」
「そうだな、ウッチー達はどんな知り合いとして焼香させてもらったんだ」
「僕たちが近所に住んでいて小学生の時に浅野さんに家庭教師をしてもらったという設定ですよ」
雅俊が答えると、山葉さんは言った
「私もウッチー達の同級生で、同じように家庭教師をしてもらったという設定にしよう。君たちが帰る途中にあったので自分も焼香したくなったと言えば自然だろう」
「それ、山葉さんが僕たちの同級生という部分に無理がありますよ」
雅俊が指摘すると、山葉さんは彼を睨んだ。
「なんだと、どうして無理なんだ」
雅俊が答えあぐねていると、田代さんが口をはさんだ。
「あの、私がうまく説明してみます。佐知子の妹で、真一さんの顔見知りと言うことではどうかしら」
山葉さんは渋々といった感じでうなずいた。
そんなことを話している間に僕たちは浅野家の玄関まで来ており、真一さんは感慨深そうに玄関のドアを眺めている。
僕は田代さん達についての質問をしたかったが、彼に話しかける暇が無くてやきもきしていた。
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