第46話 left alone
お客がいないこともあって、僕たちは飲み物を片手にテーブルでお茶をしながら雑談する格好になった。
「結界のカスタマイズはいいが後藤さんはこれからどうするつもりだ。彼女も大学が休みとはいえここに長期間軟禁状態にされても困るだろう」
山葉さんが尋ねると、美咲嬢はカフェ青葉のメニューを片手でめくりながら答える。
「黒崎が新しい部屋を見つけてきました。柏木に気付かれないうちに荷物を運び込んでそちらに引っ越してもらうつもりです」
「そもそも、柏木が逮捕された後に転居しなかったのか」
「しましたわ。ただ、裁判の判決までの過程のどこかで彼女の新住所を漏らした人間がいたのでしょう」
「裁判所の人が個人情報を漏らす事なんてあるのですか」
ぼくは思わず口をはさんだ。司法に関わる人間がそんなへまをするとは思えなかったからだ。
「警察や検察関係者も気を遣ってはいるはずですけど、罪状認否でうっかり被害者の住所氏名を読みあげたりしたらそれで終わりですわ」
そんなものなのか。僕は口をつぐんだ。
「奴が執行猶予判決で外に出てきた時には既に彼女の住所をつかんでいたのだな」
山葉さんの言葉を聞いて美咲嬢はメニューから顔を上げた。
「そう。新住所の近くで柏木の姿を見かけた彼女が不安になって私に相談してきましたの。計画では、柏木にしばらくの間体調不良で寝込んでもらって、その隙に引っ越す予定でしたが、どこぞの陰陽師さんが私の術をはじき返したので計画はおじゃんになりました」
美咲嬢も柏木氏を呪殺するつもりはなかったようだ。
「それは悪かったな」
山葉さんはブスッっとしてつぶやいた。
「でも大丈夫2、3日のうちに引っ越せる手はずが整いました。夜闇に紛れて車で移動すれば姿を眩ませるはずです」
「わかった。それまでは後藤さんをここでお預かりしよう」
「助かりますわ。黒崎。私はこの鯵の開きバーガーを頂くわ。オーダーしてちょうだい」
「もう聞こえてますよ。黒崎さんも召し上がりますか」
僕が黒崎氏に話しかけると、美咲嬢が彼に目配せし、黒崎氏はうなずいた。
「セットにするとドリンクとサラダが付いてお得ですよ」
「二人ともそちらをいただきます」
黒崎氏が答えた。
執事的な役割の黒崎氏は要件があるとき以外は寡黙だ。
僕はオーダーされた料理を作るためにカウンターの中の厨房に入った。
その時、店の固定電話が鳴った。
細川さんの趣味で店の電話はダイヤルの付いた黒い電話機だ。
昭和の時代の品物だがケーブルをモジュラージャックに対応するように改造して使っているそうで、僕は最初、ダイヤルの使い方がわからなかった。
手近にいた山葉さんが受話器を取ると、どうやら陰陽師関連の依頼らしく、彼女は相手の状況を聞きながらしばらく話し込んでいた。
僕が鯵の開きに火を通している横で、山葉さんは受話器を置き、固い表情のままでテーブル席にいる三人に告げた。
「柏木が陰陽師としての私に祈祷の依頼をしてきたのですが、彼の個人的な悩みのようなので引き受けました。三十分後に彼が来るので後藤さんは私が呼ぶまで二階に隠れてください」
後藤さんの表情が固くなった。美咲嬢は不満げに口を開いた。
「ストーカーなどに何故そこまで肩入れしますの。放っておけばよろしいのに」
「彼は弁護士の阿部先生に紹介されてここに祈祷を受けに来ていたのだ。相談を受けて無下に断るとかえって不自然だ。とりあえず七瀬さんは結界を解除してくれ」
山葉さんは気乗りしない雰囲気で言った。明らかに彼女も柏木氏を好んでいない。
後藤さんはエプロンをはずし、皆に会釈をしてからそそくさと店の奥に入っていった。
後藤さんが姿を隠すのを見届けると美咲嬢は言った。
「今結界を解除しましたわ。私たちもここで様子を見させてもらってよろしいかしら」
「そうだな、お客がいないのも不自然だからいてもらった方がいいと思う」
山葉さんは、そこまで言って首を傾げた。
「あなたは、何もしなくても結界を張れるのか」
「ええ、私は大仰な儀式は必要としませんの」
美咲嬢はすまして答えた。
あたかも陰陽師の儀式が大仰だと馬鹿にしているようだ。
僕ができあがった鯵の開きバーガーのセットを持って行くと、美咲嬢は目を輝かせてかぶりついた。
「黒崎、久々のヒットです。これはなかなか美味しい一品ですわ」
「僕は鯵の開きに頭とかも付いている方が好きですね。」
「一般的にはそれはNGですわ。頭や骨を取り除いて食べやすいほうが人には受けますもの」
聞こえてくる二人の会話は執事と雇用主というわりに仲が良さそうな雰囲気だった。
おおむね三十分後、柏木氏はカフェ青葉に姿を現した。それまでには、結界が解除されたことによって店を認識できるようになった常連客が2人ほど店に来ていた。
出迎えた山葉さんはテーブル席に彼を案内した。
柏木氏の背後に美咲嬢達のいるテーブルが来る位置関係だ。
僕のいるカウンターからは遠くなるので会話は聞き取りづらい。
他にもお客がいるのでそちらにオーダーを受けた飲み物を運んだりしていると、美咲嬢が僕を手招きしていた。
近寄ってみると、彼女は柏木氏のペンダントを手に掲げて見せている。
「それを彼に返せと言うことですか」
僕が囁き声で聞くと、彼女はうなずいた。結界をカスタマイズするために必要な情報は得たらしい。
ペンダントを受け取った僕は柏木氏の前に回ってペンダントを差し出した。
「さっき、これを落としたのではありませんか」
柏木氏は、ペンダントを受け取ると僕に詫びた。
「さっきは悪かったな。この店の場所がわからなくて苛立っていたんだ」
「この辺は道幅が狭くて見通しがきかないから道に迷いやすいみたいですね」
「そうなんんだよ。駅から歩き直したらすんなりすんなりたどり着けたからおかしなものだな」
普通の人は結界の存在など考えも及ばないから当然なのだが、彼は結界で見えなくされていたとは気がついていないようだ。
「ウッチー。柏木さんに除霊の祈祷をするからお店をしばらく頼んでいいか」
お店にはオーナーの細川さんもいるから十分手は足りる。
「いいですよ。一時間くらいですか」
「そんなものだな。柏木さんにはどうも生霊が憑いているようだ。とりあえず除霊を行って様子を見てみようと思う」
「生霊ですか」
僕は思わず柏木氏の周囲を見回した。僕にはそれらしき物は何も見えない。
「僕は自分が父親に電波で操られているのではないかと思うことがあるのです。お二人は阿部先生から聞いていると思うのですが僕が警察沙汰を起こした時もつきあっていた相手が浮気しているという妄想と、その相手を殺してしまえという父親の声に突き動かされてしまったのです」
柏木氏は頭を抱えた。僕はにわかに彼が気の毒になった。僕が見る限り彼は心の病に冒されているとしか思えない。
「今は舞さんに危害を加えるつもりは無いのですね」
柏木氏は少し間をおいてからうなずいた。
「それでは又祈祷をしてみましょう。ウッチー私たちはいざなぎの間に行くから後を頼む」
山葉さんは柏木氏を促して店の奥にあるいざなぎの間に入っていった。
いざなぎの間にはカメラが設置してあって、店内からモニターできるようにしてある。僕は自分のタブレットを取り出すとWifi経由で部屋の様子をモニターし始めた。
だが、店内にはお客さんも入り始めて、付きっきりで見ているわけにはいかない。僕は考えた末、美咲嬢達のテーブルに向かった。
「このタブレットで祈祷の様子をモニター出来るのですが、心配なので見ていていただけませんか」
美咲嬢と黒崎氏はタブレットをのぞき込んだ。
「そうですわね。陰陽師さんが刺されても困りますし」
美咲嬢が露骨に僕の心配を言い当てたので僕は凝固した。
「さっきの話を聞く限りでは、柏木は統合失調症の疑いがありますわ。病気の疑いで情状酌量したあげく、治療は医師任せで、完治しないまま野に放ってしまうのが日本の司法ですの」
彼と山葉さんを二人きりにして大丈夫だったのか、僕の心配の度合いが跳ね上がった。
「私たちが見ていて危ないと思ったら駆けつけますよ」
黒崎氏が請け合ってくれたので僕は少し安心した。傍らで美咲嬢はメニューをめくっている。
「座っているだけなのも申し訳ないから、この手羽元と根菜のポトフ風煮込みとバゲットのセットを頂きますわ。黒崎、あなたも頂きなさい」
「はい」
それは数量限定の本日のランチメニューだった。青葉のパン類は二丁目のパン屋さん「アンジェリーナ」に頼んで焼いてもらっている。
バーガーのバンズもしっかりとしたボリュームがあるものなので結構お腹が張るはずなのだが、それでも物足りないと仰る彼女の食欲に僕は少々あきれた。
美咲嬢と黒崎氏がポトフ風煮込みのセットを食べ終わる頃に山葉さんと柏木氏は何事もなくいざなぎの間から出てきた。
「生霊というのは本人の無意識の願望などが凝り固まったものです。あなたのお父さんに会って、その件で諍いを起こしてはいけませんよ」
「わかりました」
柏木氏は素直にうなずいた。
柏木氏を送り出してから数分後、美咲嬢が口を開いた。
「柏木専用にカスタマイズした結界を張りましたわ。これで一般のお客さんは普段どおりに来店できても、彼だけはこの店に近づけないはずです」
「それだけのことを、考えただけで出来るのか。器用な奴だ」
感心する山葉さんに美咲嬢は微笑んだ。
「たいしたことはございませんわ。黒崎、上門さんを呼んでちょうだい」
「はい。今日は都合のいい場所で待機させていますから五分ほどお待ち下さい」
黒崎氏は僕たちに振り返ると告げた。
「後藤さんをお迎えに上がる時は改めて連絡します」
山葉さんは無言でうなずいた。
その日、僕はアルバイトを早めに切り上げた。後藤さんも店に出ており仕事の手が足りていたからだ。
美咲嬢のカスタマイズ結界は効果を発揮しているようでお店の客足は元に戻りつつあった。
カフェ青葉を出て下北沢駅に向かって歩いていた僕は、突然首筋に激しい衝撃を感じてその場に崩れ落ちた。
体の自由がほとんどきかないが、ちょうど顔の向いた方向に
男が一人立っているのが見えた。
それは柏木敏夫だった。手には電動シェーバーくらいの機械を持っている。どうやらスタンガンのようだった。
「あの後気が付いたんだが、本来なら陰陽師さんは後藤舞の名前を知っているはずがないんだ。名前をご存じということは弁護士先生辺りとの繋がりで舞の居場所を知っているということだな」
僕は山葉さんがうっかり舞さんの名前を口にしたことに気がついた。
関係者が情報を漏らすとはこういう事なのか。
彼は僕の脇の下に手を入れて近くに止めてあった黒塗りのセダンまで引きずり、トランクルームに放り込むと僕を見下ろした。
「人気のないところで彼女の居場所を教えてもらおうか」
彼は言い捨てると、トランクルームの蓋を閉じた。僕は暗闇の中に取り残された。
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