第44話 陰陽師と妖怪の対峙
営業用の笑顔が消えた山葉さんは、硬い口調で令嬢に言う。
「あのようなきつい呪詛をかけて、行動抑制も無かろう。下手をすれば死ぬかもしれぬというのに」
美咲嬢は悪びれもせずに答える。
「あら。あの男の素性をご存じの上でおっしゃっているのかしら。邪推して恋人に手を挙げるような男など、のたうち回って苦しめばいいのですわ」
山葉さんはため息をついて続けた。
「その話は聞いた。しかしここは法治国家だ、執行猶予判決を受けて保護観察中の人間に私的な制裁を加えるのはいかがなものかな。呪詛もそのままはじき返せば術者のあなたに返るから、みてぐらに納めて人目に付かないところに捨てた。文句を言われる筋合いはないはずだ」
令嬢はフッと鼻で笑った。
「被害者よりも犯人の人権を尊重するような片手落ちの司法に何が出来るのかしら。未然に防げたはずなのに逆恨みの凶行で命を落とした女性は数知れませんわ。私の邪魔をするなら彼女の安全に責任を持っていただけるのかしら」
「本人に相談されたら、対応しよう」
「そう。結構ですわ」
令嬢は高級ブランドのバックから、装飾が施されたカード入れを取り出した。
「黒崎」
令嬢があごで示すと、黒崎と呼ばれた執事らしき青年が恭しく名刺を受け取った。名刺を持った彼は、山葉さんの前に進み出ると名刺を差し出す。は直接名刺を渡したりしないらしい。
「臨床心理士、七瀬美咲」
山葉さんが読み上げると彼女は口角を挙げて微笑を浮かべた。高い鼻梁と切れ長の大きな目が華やかな印象を与える顔立ちだ。
「カウンセリングセンターを開設していますの」
「憶えておく」
山葉さんは名刺を自分の前のカウンターに置いた。
臨床心理士の美咲嬢は言いたいことを言ったらしく黒崎氏に目配せして引き上げそうな素振りだったが、僕と目があった。彼女は僕にオーダーを訊かれていたことを思い出したようだ。
「そうね。飲み物を頂いていこうかしら。私はカフェラテを、黒崎あなたも好きな物を頼みなさい」
言葉の後半は執事の黒崎氏に向けられた。
「同じ物を頂きます」
黒崎氏は言葉少なに答えた。
「カフェラテ二つですねお待ち下さい」
僕はメニューを回収すると、カウンターにオーダーを伝えに行った。あれだけやり合った後でお茶をしていく神経が理解できない。
カフェラテを淹れるのは無論山葉さんだ。彼女がラテマシーンの前でラテアートを描いているのを見て僕は口を開いた。
「あんな奴にラテアート書いてあげるんですか」
「ご挨拶だからいいだろう」
山葉さんは意外と機嫌よくオーダーに応じている。
「こちらをお嬢様に出してくれ」
彼女の指示どおりにサーブしてぼくがカウンターの方に引き上げていると背後で美咲嬢の声が響いた。
「黒崎。私のラテアートがワンちゃんの絵柄になっているわ、あなたの猫ちゃんのと変えてちょうだい」
「御意のままに」
僕はこけそうになった。
子供っぽい命令を受けても、黒崎氏は寡黙に応じている。
カフェラテを飲み終えた彼女たちの支払いを僕はレジで処理した。
「貧相なお店だけどカフェラテはおいしかったわ。また来させていただこうかしら」
「ありがとうございます。お待ちしています」
接客マナーとして僕は低調に礼を言った。
貧相なお店だけどが余計だとおもいながら僕は黒崎氏に見慣れない色のクレジットカードを返した。
何かプレミアムが付いたカードかもしれない。
美咲嬢は僕に向かって妖艶な微笑みを浮かべた。初対面のはずだが何となく僕のことを知った風な素振りが気になる。
「黒崎。車を回してちょうだい」
美咲嬢が命じると、黒崎氏は既にスマホを手に既に連絡していたようだ。
「上門さんが、信号に引っかかったから2分待ってくれと言っています」
「上出来です」
美咲嬢は鷹揚にうなずいた。
「今まで周囲をぐるぐる回っていたのですか。」
思わず僕は尋ね、美咲嬢は平然として答えた。
「ええ、ここは道幅が狭いですから車を止めて待たせておくわけにはいきませんわ。」
傍若無人に見えて周辺に気配りもしているのだなと僕は少し意外に感じる。
迎えが来て、店の出入口に向かおうとした時、彼女はぼそっとつぶやいた。
「人の仔の分際で小癪な」
僕の耳にはそう聞こえた。
臨床心理士の七瀬美咲嬢と執事が店の前に横付けした黒塗りのリムジンで姿を消すと、カフェ青葉は平穏を取り戻した。
「ウッチーあの女には気をつけろ。気を許すと意のままに操られかねない」
「どういうことですか」
僕は怪訝に思って訊いた。
「あの女が使った呪詛の術は、いざなぎ流でも知識として伝わっているのみだ。生身の人間がその術を使いこなすことなどあり得ない」
「それでは彼女は何者なのですか」
僕が尋ねると、山葉さんは丁寧に説明する。
「私の故郷には七人御崎という妖怪の伝承がある。あの女の名前は七人御崎をもじった偽名の可能性が高いな」
「あの人がその妖怪だというのですか」
僕は見咲嬢の微笑を思い出した。端正すぎて人間離れしている感が無きにしもあらずだ。
「七人御崎は亡霊のような存在だ。あの女は生身の体を持った存在で、明らかに異なる。おそらく出自をごまかすために格上の妖怪から取った偽名を使ったのだろう」
山葉さんの話す内容は浮世離れしていて僕の理解は及ばなかった。
翌日、アルバイトに出掛けた僕がは問題の柏木敏夫さんからの連絡を受けた。
柏木氏は頭痛などの症状が治まったと告げて、
山葉さんに礼を言う内容だった。
口調も礼儀正しく印象としては悪くない。ストーカー被害が懸念されるDV男とは思えなかった。
山葉さんに電話をつなごうとすると彼女は手を振って断った。居留守を使えと言っているようだ。
柏木さんに陰陽師は不在だと告げると、彼は依頼したい事があるのでまた連絡すると言って電話を切った。
「阿部先生にも言われたが、あまり関わりを持ちたくない。連絡が来ても取り次がないでくれ」
山葉さんも彼のことは好ましく思っていないようだ。彼女には珍しくにべもない反応だった。
その時、カフェ青葉の出入り口のベルが鳴った。
入ってきた女性は僕たちを店のスタッフと認めると真っ直ぐに近寄ってきた。
「すいません。別役山葉さんという方はどちらにおいでですか」
外出着の上にコートを羽織った彼女は、小旅行に行くようなキャスターバックを引きずっていた。
「はい私が山葉ですが」
山葉さんが華やかな笑顔を浮かべて答えた。無愛想だった彼女もクラリンがレクチャーした営業用スマイルが板に付いてきたのだ。
「この近くのカウンセリングセンターの七瀬先生から紹介していただいたのですが」
「ほう。どういった内容で紹介されて来たのですか」
山葉さんは僕の方を振り返ると困ったような表情を浮かべた。七瀬美咲の名前が出たと言うことは柏木氏に関連した話のようだ。
「私の名前は後藤舞といいます。七瀬先生からお聞きかもしれませんが、柏木敏夫という男からストーカー被害を受けそうなのでどこかに身を隠したいのです。七瀬先生はこちらに来たら匿ってもらえるというので慌てて荷物をまとめて来たのですが」
後藤さんは時々出入り口の方を振り返る。
柏木に後を付けてこられたのではないかと気にしているのだ。
山葉さんは眉毛をハの字にして救いを求めるように僕の方を見ていたが、あきらめきりっとした顔に戻ると後藤さんの方に向き直った。
「わかりました。ここをシェルター代わりに泊まっていただけるようにオーナーに許可を取ります。まずは外から見えない部屋に案内しますからこちらにおいで下さいって事態は切迫していたのだ。
後藤さんを店の奥にあるいざなぎの間に案内した山葉さんは店内に戻ってくるといきまいた。
「七瀬の奴、厄介事を押しつけてきやがって」
「でも、山葉さんは本人が相談に来たら対応すると自分で言ってましたよ」
「ウッチー君。君は誰の味方だね」
「すいません」
言葉とは裏腹に、彼女は後藤さんを守ることを心に決めていたようだ。
山葉さんがオーナーの細川さんに相談すると、細川さんは経緯をあらかた聞いていたらしく、すぐに後藤さんを匿うことを了承した。
「私が占いをしていたころにも、そんな話はよくあったよ。安全になるまで泊めてあげたらいいよ」
オーナーの許可ももらったので、山葉さんが後藤さんに事情を聞いた上でこれからのことを相談することになった。
ちょうどお客の少ない時間帯だったので、細川さんと僕が店番をして、山葉さんが後藤さんの話を聞くために店の奥に入っていった。
「細川さんも誰かを匿ったりしたことがあるのですか」
残された僕は、細川さんに訊いてみた。
「占いというのはね、相手の話を聞くのが仕事の大半なのよ。身の上話を聞くうちにこの子は帰らさない方がいいなと思って匿う羽目になったことも一度ではないよ」
僕は彼女が下北沢の母と呼ばれていた理由を垣間見たような気がした。
お客が少ない時間帯と言っても皆無な訳ではない。僕は帰ったお客の食器の片付けなどをしていた。
カウンターの奥で食器を洗っていると、店の前に黒塗りのリムジンが止まったことに気がついた。
七瀬美咲だ。執事の黒崎を伴って現れた彼女は、今回はカウンターのスツールに腰掛けた。コートは気を利かせた黒崎氏がハンガーに掛けてくれている。
「私の顧客の後藤さんが来ていないかしら」
「さっきお見えになりましたよ。今、山葉さんが話を聞いています」
僕はオーダーされたカフェラテをサーブしながら答えた。
「そう。約束を守ってくれるなら助かるわ」
やはり彼女は山葉さんの言葉を言質に後藤さんを送り込んだのだ。
「柏木は接近禁止命令があるので彼女の住居には近寄らない。でも遠くから監視されて仕事や買い物でアパートを離れる時に後を付けられたら手薄なところを狙われる可能性がある。ここで預かってもらうのは有効ですの」
意外と真面目に後藤さんのことを守っていたのだなと、僕が考えていると彼女が言った。
「今何かおっしゃいませんでした」
「いいえ何も」
口に出したつもりはなかったので僕は慌てた。
「彼女がここにいるのがわかったので、次はここに結界を張りますわ」
「結界ですか」
「そう。後世の人間は稚拙な使い方をしていましたが、本来は母となった獣が巣穴に残した子供達を守る技。その使い方見せて差し上げますわ」
彼女の言葉の意味を僕が身をもって知ったのはその翌日のことだった。
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