第38話 指輪の霊障
「内村君行くよ」
僕が座敷童の間の壁一面に並べられた人形達を凝視していると、栗田准教授の声が響いた。
「はい。今行きます」
僕は、栗田准教授の後を追うが、彼は廊下の付き当たりにある階段を上りかけている。
旅館青風荘の内装は古民家の建材を使ったそうで、磨き込まれて黒光りするような板張りの廊下に漆喰の壁、吹き抜けの廊下の頭上には、太い木材の梁ものぞいている。
僕は使い込まれた日本建築の風情が好きで、清風荘に宿泊出来て微妙にうれしい。。
清風荘は部屋に食事を運ぶスタイルではなく一階は大食堂と露天風呂で大半が占められており、僕たちが泊まるのは部屋は2階にあった。
僕は自分の荷物を降ろした後、車からビデオカメラ二台と三脚を運んでいたが、廊下でクラリンとすれ違った。
「ウッチー晩御飯は6時半からやから、それまでに温泉にはいる暇があるよ」
彼女は既に浴衣と丹前姿でタオルを片手に抱えている。
「僕も行く」
僕は温泉があるからには入らねばと、先を急ごうとしたが、クラリンはルームキーを差し出した。
「栗田先生にウッチーが戻ったら渡してくれって頼まれていたから」
栗田准教授は隣の部屋のクラリン達にルームキーを預けてさっさと温泉に行ったらしい。
僕はクラリンから鍵を預かり、自分が宿泊する部屋にカメラと三脚を降ろしてから温泉がある階下に向かった。
温泉は無論男女で分かれており、宿の規模の割に広い洗い場と露天風呂が完備している。
「内村君お先に入っていたよ」
露天風呂の湯船の中から栗田准教授の声が聞こえた。
「今日は運転お疲れさまでした」
僕は簡単に体を洗ってから露天風呂に入る。
今日の行程はほとんど栗田准教授が運転したのでなんだか申し訳ない気分だ。
露天風呂から見ると周囲には建物も見あたらず空が広く感じられ、遠景には雪を頂いた山々も見えた。
「何ていう山でしょうね」
僕が聞くともなく言うと栗田助教授が答えた。
「蔵王連峰だよ。山形平野の南東側は蔵王だ」
「そうなんですね。僕は蔵王って宮城のイメージが強かったんです」
湯船から見上げた空には東京では見たことがないほど沢山の星が輝いており、僕はふと気になって栗田准教授に尋ねた。
「今日は特に座敷童の気配を探したりしなくていいのですか」
すると、助教授はのんびりとした声で答える。
「僕が思うに、座敷童は血眼になって探していると出てこないが、皆がわいわい騒いで記念写真とか取っていたら、ちゃっかり写真に写り込んでいたりするんではないかな。探して探せる相手ではないから自分たちが温泉宿を楽しんでいればいいのだよ」
栗田准教授の言うことはもっともで、僕は彼の言葉に従うことにした。
「それでは、特に何もしないのですね」
「うん。せっかく持ってきたからビデオカメラはセットするが、それ以外は特に何もしないでのんびりしましょう」
栗田准教授の意向を聞いて、僕の気分は思いきりゆるんだ。
露天風呂の縁は竹垣になっているがその向こうは女風呂になっているらしく山葉さんとクラリンの声が聞こえてくる。
この向こうで彼女が露天風呂に入っているのだ。僕がぼんやりと竹垣を見つめていると、洗い場に行った栗田准教授が割と大きな声で言った。
「内村君覗いたら駄目だよ」
「助教授なんてことを言うんですか。向こうに聞こえたら僕が本当に覗いているみたいじゃないですか」
現に、さっきまで聞こえていた彼女たちの話し声がピタッと聞こえなくなった気がする。
「そうか、それでは二人には食事の時に、未遂に終わったから大丈夫でしたと言っておくよ」
「それでは僕が覗こうと意図していたことになってしまうじゃないですか」
僕は抗議したが栗田准教授は、取り合わないで先に上がってしまった。
今しがたのやり取りが隣に聞こえていたらどうしようと思い、僕は湯船に顔まで沈めてぶくぶくと息を吐いたが、気に病んだところでどうにもならない。
のぼせてしまいそうになってから僕は温泉から上がった。
浴衣を着て外に出ると、僕は女湯から出てきた山葉さんと鉢合わせする格好になった。
僕を見た彼女は微妙に顔を赤らめたみたいだ。
僕は先ほどの顛末を説明しようと口を開きかけたが、彼女はぷいとそっぽを向くと足早に廊下を歩いていってしまった。
やはり誤解されているではないか。
僕はげんなりとしながら部屋まで戻ると、栗田准教授に泣きついた。
「栗田准教授。やっぱり女湯に聞こえていたみたいですよ。なんとかしてくださいよ」
「わかった。後でちゃんと説明するから大丈夫だ。それより、ビデオカメラをナイトショットモードに設定できるかな」
「赤外線ではなくて高感度モードの方ですね」
僕は、カメラの設定の話になると、急に現実に引き戻された気がした。
「うん。そっちの方がいいだろう」
僕は持ってきたビデオカメラのうち一台を三脚にセットして露出を高感度にしてから長時間録画が可能な画質モードで録画を始めた。部屋の中の様子が粗方見えるアングルだ。
「さっき倉橋君に話してみたが、女性の部屋にセットするのは断られた。もう一台は宿の女将さんに頼んで座敷童の間にセットさせてもらおう」
「そうですか。それでは食事の前にフロントに頼んでセットして来ますね」
僕は栗田准教授に頼まれた用事をすることで気を紛らわせるようにカメラのセットに集中した。カメラの一台は普段カフェ青葉で使っているものも持ち込んでいる。
フロントで女将さんに頼むと、人形が並ぶ小部屋にカメラを設置する件はあっさり許可してもらえた。
テレビ局で紹介されたこともあるので同じような要望は多いと女将さんはいう。
座敷童の間に入った僕は、入り口脇の比較的邪魔にならない場所に三脚とカメラをセットした。
カメラの設置位置は高さは一メートルほど、あまり高い位置にセットする必然性はない。
カメラの露出の設定をいじっていると、僕は横に何かの気配を感じて振り返っった。
そこにはいつの間に二人のか女の子が立っていた。
背格好から見ると小学校の低学年ぐらいだろうか、もしや座敷童ではと気色ばむ僕を他所に女の子は言った。
「それ動画をとれるカメラでしょ私を撮って」
あどけない雰囲気の彼女は、肩まで届くソバージュのかかった黒い髪で所々に赤いリボンを付けている。着ているのは旅館備え付けの子供用らしき浴衣と丹前だ。
「撮って撮って」
背後からも声が聞こえた気がしたので振り返ると、そこにも同じくらいの背格好の女の子がいた。
後ろに居た子は、ストレートのロングヘアーだけど髪の色が金髪だ。
着ているのはもう一人の女の子と同じ浴衣と丹前。二人とも丸顔でぱっちりした目がかわいらしく、雰囲気はよく似ている。
僕は二人を見比べながら尋ねていた。
「君たち双子なの」
「双子じゃないよ。いとこだもんね」
「ねー」
二人の女の子は妙に息の合った会話を展開する。
「ここに泊まりに来ているのかな」
僕が尋ねると二人は同時にうなずいた。
かわいらしいので二人のリクエストどおりに録画してあげようかと思ったが、露出をナイトモードにカスタム設定した後なので、元に戻すのが面倒くさい。
「明るいときの方がきれいにとれるから明日撮ってあげようか」
僕はそれらしい理屈をっ付けて、撮影を婉曲に断ろうとしたが二人の女の子は僕の考えを見透かしたように答えた。
「今撮って欲しいのに。けちー」
「けちー」
僕は微妙に気を悪くしつつも、彼女たちをフォローする。
「わかった。それじゃあ、後で送ってあげるのに便利だからスマホで撮ろうか」
二人は納得した様子で僕の前で思い思いにポーズを取り始めた。
僕はポーチからスマホを取り出してムービーで録画を始めるが、動画だから静止する必要はないのに、思い思いのポーズで固まっている彼女達が微笑ましい。
可愛らしいなあとスマホの液晶を見ながら僕は思った。
もし山葉さんに娘が出来たら母親に似てもっとかわいいだろうか、いやそもそもその場合の父親は誰だ。
そんなことを考えているといつの間にか女の子二人は横から僕を眺めていた。
「このお兄ちゃん何ヘラヘラしているんだろう」
「きっとエッチなこと考えてるんだよ」
「やばー」
彼女たちの会話に我に返った僕は慌てて打ち消した。
「ちがう。ちょっと考え事していただけだ」
二人はケラケラと笑ってから僕に言った。
「動画取ってくれてありがとう」
ソバージュの女の子が礼を言った。
「明日お父さんかお母さんにメアドを教えてもらってよ。それがあれば送ってあげられるから」
僕が告げるとその子は片手をあげる。
「うんわかった。ばいばい」
「ばいばい」
二人は手を振って去っていった。どうやら一階の奥の方に泊まっているらしい。
ビデオカメラのセットを終えて二階に戻ろうとしていると、階段を栗田准教授と山葉さん。そしてクラリンが降りてくるところだった。
「もう御飯の時間だよ。二階に戻る用事ある」
クラリンが尋ねるので僕は首を振る。
財布もスマホも持っていたので僕も一緒に大食堂に行くことにした。
青風荘は小さな旅館ながら料理はおいしそうで山形牛の陶板焼きや鯉のうま煮をはじめ、様々な料理が並べられていた。
「内村君。覗き見疑惑は晴らしておいたからね」
栗田准教授は僕の懇願を聞いて山葉さんとクラリンにちゃんと状況を話してくれたようだった。
「でもな、普段の素行が悪いから先生の一言で私たちは信じてしまったんやで」
クラリンが説教じみたことを言うが、僕は自分の素行が悪いとは思えない。
「僕の何処が素行が悪いんだよ」
「悪いことをしているという意味ではなくて本音を口に出さないで内面に抱えているって意味や」
クラリンは僕の心にサクッと突き刺さるような本質的な意見を述べる。
「そうだな、抑圧されて性犯罪に走っても困るし」
山葉さん、あなたにそこまで言われる筋合いはないと僕は思ったが口には出さずに前菜を突っつくにとどめた。
「大丈夫今回のように未遂で終わるように私が目を光らせますから」
栗田准教教授の言葉を聞くに及んで僕はやけになってビールをあおった。今回は当然のようにクラリンがビールを注いでくれたので大人の方々も黙認しているようだ。
僕は周囲の人々の集中攻撃から耳をふさぐようにして料理を食べようとしたが、大広間で食事をしていた他のグループの若い女性が突然席を立つとばたばたと走っていくのが見えた。
席を立った女性の母親らしい人が慌てて後を追う。
そのグループは、僕たちと同じ時間帯に到着したので僕の記憶に残っており、大学生ぐらいの女性とその両親が家族旅行をしているといった様子だった。
「なんやろう。もしかしてつわりかな」
クラリンがひそひそ声で言った。
「考えられるシチュエーションとしたら。里帰り出産のために実家に返っていて、家族でちょっと旅行に来たとかそんな話かな」
山葉さんが答えた。僕にはその辺は想像力が及ばないところだ。
話の矛先が僕からそれたので、食事は和やかに進み始めた。鯉のうま煮など初めて食べたが、鯉のぶつ切りの脂の乗り具合と甘辛い味付けが絶妙なバランスでおいしい。
しばらくして、先ほど広間から出ていったお母さんらしい人が戻ってきた。
僕たちの席に来ると、お食事中にお騒がせしましたと丁寧に挨拶する。
山葉さんは穏やかな表情で尋ねた。
「おめでたですか」
すると、婦人は表情を曇らせた。
「いいえ。実はうちの子が二週間ほど前から食欲がなくなって困っているのです。無理に食べようとすると先程のようなことになる始末で」
「ほう。それは大変ですね」
山葉さんは本心から同情した様子で言う。
「かかりつけの医者に紹介してもらって医大病院まで行って診てもらったり、拒食症のカウンセリングも受けたのですが原因がわからないのです」
先程の女性は思った折も深刻な状況のようだ。
「この旅館にはあの子が高校生の時に座敷童に会おうと遊びに来て泊まったのですが、料理がすごくおいしいと喜んでいたのです。それでここの料理なら喜んで食べるかと思って連れてきたのですが駄目でした」
女性が肩を落として話す様子は、打つ手が無くなって途方に暮れているようだ。
山葉さんはしばらく考えてから言った。
「実は私は陰陽師のようなことをしています。神道のお祓いみたいなものですがそれでよければ相談に乗りましょうか」
婦人は一瞬うさんくさそうな顔をしたが。やがて言った。
「そうですね。お願いしてみようかしら」
山葉さんは営業用のスマイルを彼女に向けた。
「明日の朝で結構ですから娘さんといらしてください。私は二号室に泊まっている別役と申します。」
「私は佐藤と申します。5号室に泊まっています。それでは明日はよろしくお願いします」
佐藤さんは深々と礼をしてテーブルに戻っていった。
「意外と深刻な話だったんですね」
僕は山葉さんに水を向けると、彼女は真面目に答える
「うん。何かの縁だから話を聞いてみよう。ひょっとしたら力になれるかもしれない」
彼女は力強く言うと、ほどよく焼けた山形牛の陶板焼きをほおばった。
食事が終わって僕たちはそれぞれに部屋に引き上げ、僕は一階のトイレに寄ったが、出てきたときにトイレの出入口にある手洗い用のシンクの前で何か硬い物を踏んづけた。
足の裏に半ばめり込んでいた物を見てみるとそれは指輪で、結構大きなダイヤがはめ込まれている。
佐藤さん達が落としたのかもしれないと思ったが、直接部屋に持って行くのは何だか気が引けた。
僕は仕方なく一階にある旅館のフロントに行ってみたが呼び鈴を押しても誰も出てこない。
僕は翌朝一番にフロントに持って行くことにして、指輪を持って自分の部屋に戻った。
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