第33話 リビングルームに佇む男
夕方になり、僕がカフェ青葉の業務を忙しくこなしていると、お祓い依頼の客が訪れた。
最近常連客となっている眼鏡をかけた大学生風のお客さんの依頼を受けて、山葉さんはいざなぎの間で呪詛返しの祈祷を行っていた。
例によって僕がセットしているビデオのモニターでは、チェックのシャツをストレートジーンズに突っ込んで着こなしたお客さんが座り、その前で山葉さんが巫女姿で華麗に祈祷を行っていた。
彼が山葉さんお目当てで足繁く依頼に来ているのは想像に難くないが。
そんな時にお店の固定電話が鳴った。オーナーの細川さんが電話をとって応対したが、その様子からすると、親しいお客さんのようだ。
「ウッチー、電話よ」
声を掛けられて僕は少し慌てた。僕の知り合いならスマホを使って直接連絡してくるはずだから、お店の固定電話にかけてくる相手は想像がつかなかったのだ。
電話の相手は弁護士の阿部先生だった。
「内村君か。昼間相談した後藤さんやけどな、相当切羽詰まっていたみたいで明日にでもマンションのお祓いを頼みたいと言ってきたんや。山葉さんにお願いできないかな」
後藤さんの依頼の件は、山葉さんからオーナーの細川さんにも話が伝わっており、優先的に対応することになっていたので、僕は答えた。
「大丈夫だと思います。時間帯は何時頃がご希望ですか」
「住人の今井さんはお昼からが都合がいいらしい。山葉さんの都合が良ければ後藤さんが自分の車で現地まで送迎すると言っているよ」
「わかりました。山葉さんの意向が確認できたらまた連絡します」
僕は電話を切ると雅俊にメールをした。僕と山葉さんがご祈祷に出かける間、ヘルプを頼むためだ。
返事は直ぐにきた。特に予定はないので、クラリン一緒にバイトに入るという内容だった。
「阿部先生はどんな要件だったの」
細川さんの問いに僕は答えた。
「お昼過ぎに見えていた阿部先生のクライアントの方が、明日の午後、ご祈祷してもらいたいという要件でした」
「あなたも一緒に行くなら、お手伝いに来てくれる人を頼まないといけないわね」
細川さんはさすがに困った表情を浮かべる。
「雅俊と倉橋さんが暇だから来てくれると思います」
「そう。それじゃあ話が決まったら二人に頼んでおいてね」
細川さんは、バックヤードの厨房に戻っていき、入れ替わるように店の奥から山葉さんが出てきた。
彼女はまだ巫女姿のままで、儀式が終わって依頼者を送り出しに来たようだ。
僕は、着替えるために再び店の奥に入ろうとする彼女に、阿部先生の話を伝えた。
「ほう、やはり追い詰められていたのだな。日曜の午後にカフェの仕事が出来ないのは細川さんに申し訳ないが、祈祷に行かなければならないな」
彼女は阿部先生には自分が連絡すると伝えて、着替えるためにお店のバックヤードに戻っていった。
翌日のお昼前に僕はカフェ青葉に出かけた。
僕は雅敏とクラリンに当座の用事を説明すると、白衣と紺の袴に着替えて山葉さんと共に出かける準備をした。
儀式で使う榊や式神等を輸送用のコンテナに入れていると、クラリンが様子を見に来た。
「今日は連続変死事件のマンションに行くんやろ。頑張ってね」
彼女は文字通りの意味で励ましてくれているのだが、その事実を出来るだけ忘れようとしている僕には逆効果だった。
僕は大きくため息をついて言った。
「うん頑張るよ」
「なんか元気ないな」
僕の様子に気がついた彼女は心配そうな表情を浮かべたが、僕は気分を変えようと強いて元気な声を出した。
「いや、そんなことはないよ」
努めて元気を装う僕の横で、山葉さんは粛粛と準備を進めていた。
「今日は遺漏がないように仕上げよう。近くに怪しい奴が来たらすかさず捕まえて私の所まで連れてきてくれ」
彼女は自身の浄霊のスキルに自信をもった様子で告げる。
祈祷に出かける目的地は武蔵野市の江田島団地にあるマンションの一室だ。
下北沢駅から電車に乗ってもそう遠くないが、依頼者の後藤さんが自ら乗用車を運転して迎えに来てくれた。
後藤さんが僕たちを乗せてくれた車は国産自動車メーカーの高級セダンだった。
「いい車ですね」
助手席に乗せてもらった僕は、緊張をほぐそうと車の話を始めた。後藤さんは気さくに答えてくれる。
「ああこの車ね、これは国内では有名な車だけど日本でしか売っていないんですよ」
「え、そうなんですか」
「うん。以前は日本の5ナンバーの規格一杯のサイズで作っていたから、海外メーカーの
同クラスに比べて妙に幅が狭かったりしたらしいですよ。今はさすがに5ナンバー規格を
気にしてはいないが、車の成り立ち自体がガラパゴス携帯に似ているのかもしれませんね」
僕には少し意外な話だった。
「このメーカーの上級車種だから海外でも評価は高いのかと思っていました」
「日本車は欧米では高級イメージはありませんからね。それゆえにプレミアム的なブランドを別に作ったりしている。まあこの車は私のような小さな不動産屋の親父が乗るのにちょうどいいんですよ」
ゆったりとした乗り心地に豪華な内装。僕が社会人になっても自分で買えると思えない車だが、社長クラスの人から見れば車の格としてはトップではないらしい。
「車の話もいいが、今日祈祷をする部屋の住人について教えていただけませんか」
後ろの座席から山葉さんが尋ねた。
「これは失礼しました。問題の部屋にお住まいなのは今井さんです。ご夫婦に高校生の男の子一人と小学生の娘さんが二人いる五人家族ですが、ご主人は仕事で福岡に単身赴任されています」
運転をしながら、後藤さんはよどみなく答えた。
「ほう、ご主人が単身赴任。それでは得体の知れない気配を感じたりしたら奥さんはさぞ心細かったでしょうね」
「そうなんですよ。それゆえ、近所の方に前の住人が立て続けに変死していることを聞いて怒り心頭のようなのです」
後藤さんはステアリングを握っていなければ頭をかきそうな雰囲気だった。
「後藤さん、最初にクレームが来た時にちゃんと謝罪はしたのですか」
「ええ、私にも後ろめたい部分がありますから謝罪はしたのですが、阿部先生が言われるように、誠意が足りなかったのかもしれませんね」
後藤さんは、バックミラーでちらっと山葉さんの方を見た。
「今日は山葉さんにも来ていただいたので、ちゃんと誠意があることを示して許していただけるように頑張りますよ」
僕は昨日から思っていたのだが、僕や山葉さんと後藤さんの間には、基本的な認識の相違があった。
僕と山葉さんは住人の連続変死に絡んで心霊現象があることを確信しているのに対して、後藤さんは儀式を執り行うことを現在の住人に対する謝罪の一部と考えているのだ。
そのことが新たなトラブルの元にならなければいいがと僕は思った。
目的地の江田島団地は武蔵野丘陵を切り開いた高台の上に広がっていた。日本の経済が急激に成長した昭和の時代に建てられた団地は、十階建て程度の集合住宅が沢山集まって一つの街のような様相だ。
建物はさすがに古びた感じが否めないが、団地内には緑地や公園も整備されている。都心のタワーマンションに住むのに比べても環境は悪くないような気がする。
後藤さんの案内で今井さんの部屋を尋ねると奥さんと小学生の娘さん達が玄関まで出迎えてくれた。娘さんは小学校六年生で双子だ。
玄関の奥には息子さんらしき高校生くらいの男の子とご主人らしき中年の男性の姿が見え、二人とも会釈をしてくれた。
ご主人も休日なので赴任先から帰ってきているのだろうか。
「お祓いしてもらったぐらいで、おかしな気配が無くなるのですか。私たちは早く引っ越したいと思っているぐらいなのに」
「奥さんそう言わずに、今日お祓いをして、その結果どうなるか様子を見ていただけませんか。今日来ていただいたのは霊験があると有名な陰陽師の方です。私が懇意にしている弁護士の先生に紹介していただいたんですよ」
後藤さんは本当のことを言っているのだが、弁護士の先生が陰陽師に詳しいとは限らない。
今井さんは仕方なさげに首を振ると、僕らを部屋の中に案内した
「言われたとおりに、リビングを片付けてスペースを作っています」
案内された今井さん方は建物の外見と違って、現代風にリフォームされていた。
後藤さんの説明では、キッチンとリビングを仕切っていた壁を取り払い、カウンターキッチンを設置して広々とした感じを演出したのだそうだ。
その他にも、襖がはまっていた押し入れを折戸で開閉するウオークインクロゼットに改造する等、結構工夫を凝らしている。
リビングルームで方角を確かめた山葉さんは家族の方と、後藤さんに座ってもらい、祈祷を始めた。
いざなぎ流の祈祷は神楽と呼ばれ、舞いながら祭文を唱える。目を閉じて座る一同の頭上をはらい清めた後に、山葉さんの祭文を詠唱する声が響いた。
その時僕は、妙なことに気がついた。今井家のご主人と思っていた中年の男性が家族に加わらずにぼんやりとした表情でリビングルームの隅に佇んでいるのだ。
そして、先ほどから違和感があったのは彼の服装だった。皆がこれから冬に向かう季節の服を着ている中で、彼だけがやけに薄着に見えるのだ。暑がりなのだとしても、そのギャップは極端だった。
山葉さんを見てみると、彼女は祭文を詠唱する合間に僕に向かって口パクで何か伝えようとしていた。
それは字数にすれば九文字、そして口の動きは母音がイ段の時が横に大きく開き、次にア段の時の口の開き方が大きい。
僕がなけなしの脳みそで必死に考えた結果は、彼女が伝えようとした言葉は「そいつをつかまえろ」だというものだった。
僕は部屋の隅に佇む男性につかつかと歩み寄ると、男性の右手をガシッとつかんだ。
その瞬間、周囲の風景が揺らいだような気がしたが、僕は構わず言った。
「あなたは今井家の方ではありませんね。一体何者なんですか」
その時、僕がつかんだ男性の皮膚がずるりと動くのがわかった。まるで手袋を脱がすように皮膚が剥けていく。
同時に、息が詰まりそうな悪臭が僕を襲った。それは人の死体が発する腐敗臭だった。皮
が剥けた男性の手は赤茶色の腐肉に覆われ、その中には白い骨が見えている。
僕は助けを求めるように山葉さんの方を見た。そして、彼女や今井家の家族が凝固して動かなくなっていることに気がついた。
先ほど、風景が揺らいだ用に感じた時から、僕と目の前の男性以外は凍り付いたように動きを止めていた。
「こんな事をしても、俺を追い払おうというつもりなのか」
男性はくぐもった声を発したが、その顔は青黒く、大きく開いた目が白く濁りかけていた。
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