第19話 彼女の父

谷を走る国道はやがて正面を遮る山に遮られつづれ織りの急坂に代わった。

「家はそこから脇道に入った方向です」

山葉さんの案内で栗田准教授は脇道に入り、センターラインがない一車線の道を進む。

「さっきの道はどこに続いているのですか」

「その峠を越えたらもう徳島県だ。後は東に向かって下っていくだけだよ」

県境に向かう峠道からわかれた小道は程なく行き止まりとなった。そこには小さな駐車場と倉庫のような建物があるだけで、集落と言えるようなものは無かった。

「山葉さんの家は何処にあるんです」

僕の質問に彼女は目で上の方を指した。

「言っただろ。私の家はこの山の上にある。ここからは歩いて登ろう」

そこには、これまで見て来たのと同じような樹木に覆われた急斜面が遙か上まで続いていた。

彼女に促されて僕たちは倉庫のように見えた建物に向かった。そこには農機具のような機械が鎮座していた。

「これは住民用のモノレールだ。私は動かせないから歩いて登ろう」

モノレールと言っても、幅2センチメートルくらいしかないレールが急斜面の森の中に続いている。その上を人や荷物が乗ったモノレールが走るのだ。

山葉さんはレールの脇にある登山道のような道を登り始めた。栗田准教授と僕は慌て荷物を持って後を追う。

モノレールは直線的に斜面を登っているが、人の歩く道はつづれ折りになって高度を稼いでいく。

道の幅は一メートルもなく、周囲の森は一抱えもありそうな巨木で構成されており、木々の梢は遥か上だ。

木々が茂りすぎているためか下草は少ないが、岩や木の根がごろごろしていて歩きにくかった。

「この山は何という山ですか」

僕が聞くと山葉さんはこともなげに答えた。

「別役峰という山だ」

「この辺で標高はどれくらいあるんですか」

今度は栗田准教授が聞いた。

「多分標高五百メートルを超えているでしょう」

「なるほど、朝とはいえ涼しいわけだな」

栗田准教授と山葉さんの会話を聞いて初めて気がついたが、周囲の気温は都内に比べて随分涼しかった。東京よりはるか南の四国に来ているのに意外な話だ

その時、すぐ近くでがさがさと大きな音がした。見ると、3頭のシカが岩を蹴散らしながら走っていくところだった。

「この辺にもシカがいるんですか」

僕はシカと言えば奈良県しかイメージできなかったため、思わず尋ねていた。

「高知県側だけで7万頭もいるらしい。そのうち人口よりもシカの方が多くなるかもしれないね」

彼女の言葉が終わらないうちに、走り去ったシカを追うように2頭の別の動物が走るのが見えた。

「この辺にはオオカミもいるのですか」

「いや、オオカミはいないと思う」

山葉さんが答えるが、走っている動物はシェパード犬くらいの大きさで顔立ちはオオカミにそっくりだ。

その2頭は、僕たちに気がつくと方向転換して一気に駆け寄ってきた。近くまで来た2頭を見た山葉さんは叫んだ。

「カイ、セイラ、私を憶えているのか」

2頭のうちの大柄な方がワオンと吠えて山葉さんに飛びついた。どうやら狼ではなく犬だったらしい。

柴犬やビーグル犬より一回り大きい犬が、走ってきた勢いでそのまま飛びかかったので山葉さんはひっくり返った。

しかも、そいつは彼女の顔をペロペロなめている。

もう一頭も加わって、山葉さんは犬のよだれだらけだが、本人はあまり気にしていない様子だ。

「この子たちは隣で飼っている猪猟につかう猟犬だ」

僕はセイラの頭をなでてやろうと近寄ったが彼女は牙を剥きだしてうなった。

「気をつけた方がいい、家族以外にはあまりなつかない」

僕と栗田准教授は思わず後ずさりした。

幸いオオカミ犬たちは山葉さんと一緒なら襲ってこないようだった。

「土佐日本犬という土地に固有の犬種だ。他所ではあまり見かけないはずだ。」

カイとセイラは秋田犬とか紀州犬みたいな地域に固有の犬らしい。

僕たちは付かず離れず走る2頭の犬に守られるようにして、山葉さんの実家に着いた。

そこは標高七百メートルを超える場所なのだが、不思議なことに急な斜面を登り切るとテラス状の平坦な土地があり、そこに家や田畑が存在している。

家の周囲は、畑になっているので見晴らしがよく、小さな谷を挟んだ近くの山は岩肌が露出した険しい山容を見せ、遠景には山また山が広がっていた。

家の庭にはインパチェンスやノウゼンカズラが咲いていて、庭木のサルスベリも色鮮やかな花をつけている。

家に入ると山葉さんのお母さんが迎えてくれた。

「まあまあ、遠くからよう来たね。今スイカを切るき、そこに座わっちょきや」

「お父さんは仕事に行っちゅうが?」

「そおよ。途中で会わんかったかね」

「うん。でも、車がなかったきそんなことやと思った」

お母さんと山葉さんの会話は土地の方言を使い速いテンポで交わされる。

僕は、お母さんを相手に話す時、山葉さんが地元の言葉に戻っているのが微笑ましかった。

地元の建設会社に非常勤の仕事もしているという山葉さんのお父さんは所用で街に降りたとのことだ。

別役家の離れの大きな和室のちゃぶ台を囲んで座っていると、山葉さんのお母さんがスイカを乗せたお盆を抱えて入ってきた。

「家の前の畑で取れたスイカよ。遠慮なく召し上がれ」

裕子さんが進めてくれるスイカはシャリっとした食感で果汁をたっぷりと含んでいる。

よく冷やされたスイカは、ちょっとした山登りをしてきた僕たちには最適なデザートだ。

僕たちがスイカをあらかた食べ終えた頃、彼女のお父さんが帰っていた。

「遠くからよう来てくれたね、離れは使ってないから好きなだけ泊まってくれてかまんきね」

ブルージーンズに白のTシャツを来たお父さんは、アフロヘアーを揺らしながら僕たちに気さくに挨拶する。

煙草を唇に貼り付けてにこやかに話す姿は、作務衣とか袴姿の厳格な人をイメージしていた僕の想像を超えていた。





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