第20話 天空の宴

栗田准教授は山葉さんのお父さんである孟雄さんを相手にインタビュー形式で聞き取り調査を始めた。

僕の仕事は要点をまとめてパソコンでテキストにしていくことだ。

レコーダーも使って録音もしているのだが、後日テキストに起こす手間を考えると、その場でざっくりとまとめた方が使い勝手が良い。

栗田教授は嬉々として孟夫さんを質問攻めにし、インタビューは昼食をはさんで午後まで続いた。

夕食時になると、別役家の広間の畳の上に座卓が2つくっつけて並べられ、宴会場風のセッティングができあがっていた。

座卓の上には、直径50センチメートルはあろうかという大皿が数個並べられていた。

大皿の種類は大別して三種類あり一つには、カットした巻きずしや魚介類の料理、果ては唐揚げや羊羹まで所狭しと積み上げられている。

別の大皿には活け作り風の鯛を中心に、僕には判別不可能な数種類の刺身がびっしりと並んでおり、もうひと皿は鰹のたたきのようだ。

「皿鉢料理といいます。皿鉢というのは大皿の呼び名で、その上に載せて提供する料理の総称です」

山葉さんが簡潔に説明してくれた。

「これを、お家で作ったんですか」

栗田准教授が聞くと、山葉さんのお母さんが首を振った。

「鰹のたたきは家の野菜を使って盛りつけたけど、後の二皿鉢は大栃の仕出し屋さんに頼んだのです。私が取りに行こうかと思っていたのですが、配達してくれたのですよ」

「ここまで配達してくれるんですか」

僕は驚いて問い返す。自分たちが昇った険しい山道を思い出したからだ。

「この辺の仕出し屋さんは根性あるきね」

山葉さんのお母さんは、ふわりと笑顔を浮かべた。

僕は大きな皿を抱えた人が途中で転んだりオオカミ犬に襲われないでたどり着けたのは奇跡のような気がする。

「鰹は朝一で船を出して釣ってきました」

お父さんの孟雄さんが口を挟む。

「お父さん、無理に話を盛らない」

山葉さんが咎めると、お父さんはシュンとした雰囲気で告白する。

「ごめん、県外からのお客さんなら鰹のたたきがマストアイテムだと思って、ネットでお取り寄せしました。」

「いや、そこまで内幕を話さなくてもいいんだけど」

山葉さんは慌てて止めに入る。

「いえいえ、お気を使わせてすいません」

栗田准教授が無難に話を引き取り、山葉さんが気遣いする横で、僕と栗田准教授は素直に皿鉢料理を楽しんだ。

鰹のたたきにはネギや大葉、ミョウガに加えてスライスしたニンニクが薬味としてたっぷりのせてあった。

カツオはお取り寄せだが、野菜は家の前の畑でとれたものを使っているらしい。

ゆずの香りが効いた醤油ベースのたれで食べるカツオは絶妙な美味しさだ。

「いつも、うちの山葉がお世話になっています」

お父さんが、僕にビールを注ごうとするのを山葉さんが見とがめた。

「ウッチーはまだ未成年でしょ」

僕は助けを求めるように栗田准教授を見る。

「僕に飲んでもいいかと聞かれると、駄目と言わざるを得ないな」

栗田准教授の意外と固いコメントを聞いて、僕はあきらめて麦茶をもらった。

宴が盛り上がった頃に、いつの間にか顔ぶれが増えていた。隣家の小松さん一家が、話を聞きつけて、参加したのだ。

持ち込まれた鹿肉のすき焼きや、日本酒の一升瓶が食卓に加わる。

喧噪の脇で山葉さんがお父さんを捕まえて、真顔で話していた。

「お父さん、まだ私に教えていない祭文を教えて。それに今やっている祈祷も問題がないか確かめてほしい」

山葉さんのお父さんは意外そうな表情を浮かべた。

「いざなぎ流を継ぐのは止めたと言っていたのに、気が変わったのか?」

「私はもう一度覚えなおすことにした。東京に行って霊障に苦しむ人をたくさん見たからだ。でも、浄霊をしたときに、その霊が近くにいたこの子に取り憑くことが続いて起きた。私は時間をかけずに祭祀をしているし、どこかで間違っているのかもしれない」

お父さんは、しばらく考えてから言った。

「新しい祭文を覚えればいい訳ではなさそうだな。山葉に教えてないのは、呪詛の類だ。人に災いを及ぼしたり、利益を得るために使う術だ。その術は僕の台で終わりにして、誰にも伝えまいと思っている」

「それでは私はどうしたらいい」

「一緒に原因を考えてみよう。そんな時は焦ったらいかんきね」

お父さんが優しく言うと、彼女は無言でうなずいた。

その時、ビールと日本酒で酔っぱらった栗田准教授が割り込んだ。

「お父さん。せっかく今まで伝えてきた技を絶やしては駄目です。山葉さんに伝えないなら僕に伝えてください」

「そうか、それでは今度、犬神を作ってみますか。作り方を教えます」

お父さんは、栗田准教授を近くに呼ぶと小声で教え始めた。

僕が見ている前で、栗田准教授のテンションが見る間に下がっていくのがわかった。

やがて准教授は言った。

「すいません。実際に作るのは勘弁してください。でも知識としては教えて欲しいのです」

お父さんは柔和な笑みをうかべてうなずいた。

「もちろんいいですよ。喜々として取りかかるような人だったら、教えるのは止めようと思っていました」

それを聞いて、栗田准教授の表情が明るくなった。元気を取り戻した栗田准教授は、再びあれこれと聞き始めた。

その傍らで、隣家の小松さんの娘、高校生の栄子さんが、山葉さんに話しかけていた。

「山葉ちゃん。私が飼っていた猫のトムが一ヶ月前から姿が見えないの。今どこにいるか調べてくれない?」

「いいよ。向こうの部屋で見てみようか」

山葉さんは立ち上がると栄子さんと僕を手招きする。

山葉さんは僕たち伴って隣室に行くと、神棚の前に供えてあった式神を使って僕らの頭上を祓った。そして、祭文を唱えながら、いざなぎ流の祈祷を始める。

祭文を唱え終えると最後に一礼してから、山葉さんは栄子さんに言った。

「猫は寿命が近づくと人の眼に触れないところに自分の姿を隠してから死ぬ。トムは天寿を全うしたんだね」

栄子ちゃんは、それを聞くと目頭を押さえた。

「やっぱりそうだったのね。ありがとうこれであきらめがついた」

彼女は礼を言うと広間に戻って言った。

栄子ちゃんがいなくなると。山葉さんは僕の足下に座り込んだ。

「ニャア」

「もしかして、トムがいるんですか」

「最初から彼女と一緒に来ていた」

山葉さんがお祓いをしたのでトムは僕の所に来たらしい。

それはこれまでの浄霊に失敗した場合と似た結末なので僕は彼女が落ち込まないか心配だった。

「ウッチーは動物にも好かれているのだな。みんなの所に戻ろう」

幸い、彼女はそれほど落ち込んでもいないようだ。

元の部屋に戻ると宴は盛り上がり、皆が声高に話していて何だか騒々しい。

今度は、山葉さんのお母さんが心配そうな表情で山葉さんに告げる。

「お隣の美恵さんがヘルパーの仕事をしゆうがやけどね、要支援で一人暮らしのおばあちゃんの家が、他に誰もいないはずなのに、妙に人の気配がしたり、話し声が聞こえるような気がするんだって。」

隣には美恵さんがいる。母娘なので栄子さんと風貌が似ている。

「御子山の亀子さんのお家なんだけど。今度お祓いしてもらおうと話していたところなの。でも、たけちゃんが忙しそうだから、山葉ちゃんにお願いできないかしら」

たけちゃんとは山葉さんのお父さんの事に違いない。

彼女はちょっと考える様子だったが、美恵さんに言った。

「準備もあるから明日、とりあえず様子を見に行って必要ならその後でお祓いをするようにしようか。」

「ありがとう。私も明日のお昼から訪問支援に行く予定やき、その時に一緒に来てや。」

山葉さんはうなずいた。

宴はいつ果てると無く続いていたので、僕は途中で辞して床についた。

その夜、僕は隣で眠る栗田准教授のいびきに苦しめられた。疲れているはずなのに、何かが耳に付き始めると眠れないことはあるものだ。

僕が眠りについたのは明け方近くだろうか。うとうとしていた僕は何者かの気配に気が付いた。

やっと眠りについたばかりだが、誰かが動き回る気配がしてはそう眠っていられるものではない。

目を開けた僕は、布団の脇に立って僕の顔をのぞき込む巫女姿の女性に気が付いた。

僕は慌てて上体を起こす。

「あなたは誰ですか?」

その女性は二ッと笑いを浮かべた。その笑顔は山葉さんがたまに浮かべる素の笑顔に似ている。

「私の名はクマ。おクマと呼んでくれ」

女性は巫女の衣装を着ていた。

緋色の袴と白衣の上に千早という、プルオーバーの上着のような形の巫女さん特有の上着を羽織った姿だ。

おクマさんの顔は山葉さんに造作が似ているが、少し丸顔で、身長は山葉さんより一回り小柄だ。

「おぬしは私の末裔にとって大事な男じゃ。あれがいざなぎ流の技を伝えることができるように力を貸してくれ」

その辺に至って僕は自分が夢を見ているらしいと気づいた。夕方の宴の席でもおクマさんなる人にはあっていないし。自分のいる場所も就寝した別役家の離れの部屋とは異なっていたからだ。

「おクマさんは山葉さんのご先祖様なのですか」

僕は夢の中特有の焦点の定まらない思考の中で懸命に意識を集中して彼女に尋ねた。

「そうじゃ」

おクマさんはぶっきらぼうに答える。山葉さんの先祖だけあって彼女は聞かれたことしか答えない。

わざわざ僕の夢の中に現れたのなら要件をもっと丁寧に話してほしいものだと僕が考えていると、彼女はコロコロと笑った。

「それもそうじゃの。実は稀人が訪ねて来たと聞いて覗きに来たら気付かれてしまっただけの話なのじゃ。おぬしは強い力を持っている故、きっとあの娘を助けることができると思う」

夢の中では思考も言葉と同じように相手に伝わるのかもしれない。彼女は僕の隣でいびきをかき続ける栗田准教授にも視線を投げると、眠っている准教授の胸の上に丸くなっている猫に目を止めた。

それは白い毛並みの大きな猫で首輪をはめている。僕は夕方に山葉さんが林家の高校生の英子ちゃんに頼まれて猫の祈祷を行ったことを思い出した。

「トム?」

僕が口に出すと猫は顔を上げてニャアと泣いた。

「ほう、トムと言う名なのだな。名がわかったからには私が神上がりさせてくれよう」

おクマさんはいざなぎ流の祭文を唱えながら神楽を始めた。

いざなぎ流の祭文は何回か聞いて聞き覚えがあるものだった。

やがて、おクマさんの祭文に合わせて「みてぐら」から式神たちがふわりと浮き上がって部屋の中をヒラヒラと飛び始めた。

式神は和紙を切って作ってあるが、様々な種類があるようだ。

龍のような形のものもあれば、どこか人の姿に似たものもある。それぞれの式神の顔の部分には目もあり、部屋の中を沢山の式神がぐるぐると飛び回るさまはどこか不気味だ。

『式神と式王子は私の使い魔だ。山の神をはじめ水神や龍神、みこ神たちが私を助けてくれる。神々を使役することに報いるために私はこうして祭文を唱えて神を讃え、舞を踊って感謝の意を示すのだ』

おクマさんは祭文を唱えながら踊り続けているのだが、彼女の思念が僕に流れ込んでいた。

ひとしきり祭文を唱えたおクマさんは動きを止めて強く気を込めた。

栗田准教授の胸の上に座っていたトムはその姿を次第に失って鬼火のような青白い光の塊に変容していく。

そしてトムが姿を変えた青白い光はおクマさんの掌の上に引き寄せられていった。

おクマさんがひときわ強く気を込めると手のひらの上に載っていた青白い光はふっと姿を消す。

それは送り出すと言う彼女の言葉通り、時空移動してどこか別の世界に送られたようだった。

「明後日の方向に送り出したのじゃ」

「明後日?」

僕はおクマさんの言葉が妙な表現だと思ったので、問い返した。

「明後日は明後日じゃ」

おクマさんはぶっきらぼうに答えた後で、自分でもそれに気付いたらしく、クスクスと笑った。

「いざなぎ流が口伝によってのみ伝えられるのは、やみくもに伝えて誤った形になることを防ぐためじゃ。口伝を伝授するのは能力があるもののみ。そうしないととんでもない間違いを伝えてしまうことがある」

おクマさんはひらひらと飛び続ける式神を見ながら話しを続ける。

「その昔、口伝を伝えるべき能力者がおらぬ時代があったという。時の博士や太夫はやむなく自分達の子にいざなぎ流の術を託し、子達はよく勤めた」

おクマさんは、まっすぐに僕の目を見て話を続けた

「しかし、要らぬ工夫をするものが現れて誤りが生じた。死者達を送り出す先を極楽浄土に変えてしまったものがいたのじゃ。ありもしない場所に送り出された死者たちは行き場所を失い、里には死者の霊があふれたと言う。ことが収まったのは死者の御霊を見る能力を持つ旅人が訪れて事態に気づき、いざなぎ流の技を継いでくれた時じゃ。」

おクマさんはそこまで話すと僕に柔らかな笑顔を向けた。

「我が子孫をたのんだぞ」

おクマさんが去り際のような言葉を口にしたので僕は慌てた。まだ聞かなければならないことはたくさん残っていたからだ。

おクマさんは僕たちがいたあばら家を出ると、樹木がまばらに生えた尾根道を飛ぶように歩いて行く。後を追おうとした僕は目の前に出現した木の枝にさえぎられて立ち往生した。

木の枝を脇に押しやろうと苦労していると、それは太い足に変貌していた。気が付けば、僕は栗田准教授の足を胸の上に載せてうなされているところだった。

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