第14話 待ち伏せ

刀を頭上に構えて微動だにしない侍を前に、亮吉は足場を確かめようと視線を下に落とした。

急斜面では足場一つで形勢は逆転するからだ。

しかし、その瞬間に恐ろしいほどの勢いで日本刀が振り下ろされ、亮吉はかろうじて山刀で受け止める。

刀の腹で受ける無様な太刀さばきだが、侍は受け止められた事を意外そうに、二の太刀、三の太刀を左右に打ち込む。

亮吉は山刀で受けたものの斜面の下の方に押しやられ、もう一人の地侍がじりじりと後ろに回り込もうとしている。

亮吉は詰め寄ってくる侍の周囲を見回し、あえて一歩踏み込んで間合いを詰める。

侍は再び上段から刀を振り下ろそうとした。

しかし、亮吉を追い詰めるうちに彼は一本の枝が横に伸びた下に差し掛かっていた。

上段に振りかぶった状態から振り下ろそうとした侍の刀は、頭上の木の枝に食い込んでいた。

亮吉は間合いを図ってそれを狙っていたのだ。

侍は枝にかみ込まれた刃を離そうとするが、生木に食い込んだ鋭い刃は簡単にはとれない。

亮吉はありったけの速さで踏み込んで、山刀の切っ先を侍のみぞおちの上辺りに突き刺さしていた。

侍の顔に驚愕の表情が浮かんだ。

「おぬしは今まで人しか斬ったことがなかったのであろう、立木の枝の性質を知っておれば刀を枝から抜こうとしなかったはず」

亮吉が語り掛けるが侍は声も出せない。

侍は太刀が木の枝に食い込んだ瞬間に、刀を捨てて脇差しを手にするべきだったと亮吉は思う。

脇差しを抜いて亮吉と対峙すれば彼の優位はさほど揺るがなかったはずだ。

亮吉が侍の胸元に刺さった山刀を引き抜くと傷口からごぼごぼと血が流れ落ちた。

侍は自らの体から流れ落ちる鮮血を見て、やっと刀から手を離すと膝を折って崩れ落ちた。

「おのれ、かようなことをしてただで済むと思うな。」

背後から聞こえた声に亮吉が振り返ると、もう一人の地侍が亮吉に斬りかかろうとしていた。

突きの構えから繰り出された刀は亮吉の僕の手元に伸びてくる。

相手の指を落として戦力をそぐ技だ。

亮吉は刀を払いのけると、山刀を頭上にかざしてやや左に傾けて構えた。

今し方、自分が倒した侍の構えをまねたのだ。

格下の地侍は間合いを計りかねて、足を止めたが、亮吉はその隙に踏み込み、声にならない気合いを込めて亮吉は山刀を振り下ろす。

地侍は頭上に刀を構えて亮吉の斬撃を防いだが、亮吉は山刀を右手に持って後ろに引き、態勢を低くしてすれ違いざま、地侍の向こうずねに山刀をたたき込んだ。

亮吉は地侍向こうずねに一寸ほど食い込んだ刀を引き離すことができない。

打突の勢いが残っている亮吉は、やむを得ず山刀を放して斜面を転がった。

一回転して起きあがると、慌てて背中の刀を降ろす。

シダや葛が生い茂った山道を駆ける時に邪魔になるからと戦用の刀を背中に背負ったおかげで肝心の闘いに使うことができなかったわけだ。

亮吉は日本刀を抜きはなって、地侍に向き直ったが、彼は既に戦える状態ではなく、向こうずねの真ん中辺りに、ざっくりと山刀が食い込んだまま、斜面に座り込んでいる。

格上の侍はまだ事切れていなかった。胸の傷から止めどなく血を流しながら座したままでいる。意識はないようだが、まるで立ち往生しているような様だ。

日本刀を構えた亮吉は侍の首に一気に切り下ろした。

力を込めて振り切ったので侍の首は一撃で落ちた。既に流れきっていたのか血はさほど出ない。

次に亮吉は格下の地侍に近づいくが、亮吉の動きに気づいた彼は、鋭い目でにらみつけた。

「殺すなら早く殺せ」

亮吉は余裕の表情で袂から和紙を取り出すと、日本刀に付いた血糊を拭き取って鞘に収めた。

血糊を残していると刀はたちどころに錆を生じる。

「おぬしは海際の里の郷士であろう。山之内家への忠義立てご苦労なことだな」

侍の顔は痛みに加えて怒りで白くなったような気がした。

新しい領主に付き従うことに複雑な思いがあったに違いない。今彼にとどめを刺せば、呪詛に使うための良い道具が作れると亮吉ひそかに考えた。

人や動物の怒りや妄執が凝り固まった瞬間に殺すと、その思念を呪詛に使うことができると口伝は伝えている。

しかし、今の亮吉にはそんな暇はなかった。

「どれ、そいつは帰してもらおうか」

膝に食い込んだ山刀を引き離すと地侍は苦痛に顔をゆがめ、傷口からは血が溢れた。

「おぬしにとどめは刺さぬ。自分で血止めをして、這ってでも里に帰るがいい。片足が使えなくとも野良仕事ぐらいできよう」

侍は唇をかんだ。生への執着と侍としての矜持が葛藤しているようだ。

亮吉は格上の侍の首を丁重にさらしで包むと腰に下げた。あまり気持ちがいいものではない。

しかし、それは掛川の地から土佐に赴任し、何処ともしれぬ山中で命果てた者への礼儀だった。

「かたじけない」

立ち去ろうとする亮吉の耳に、先ほどの地侍の声が届いたが亮吉が一瞥しても彼は眼を合わそうとはせず、亮吉も無言のままで先を急いだ。

亮吉はさらに、立川の谷も越え、再び深い森に覆われた山の斜面を急ぐ。

自分たちの里から山を越えて北に来ると森の下生えの草が少なくなる。気候が寒冷なためだろう。

山刀で薙ぎ払う必要がないので道程ははかどるが、ぶつぶつとつぶやく声が亮吉の耳に付きはじめた。

その声は腰にぶら下げた生首から聞こえてくるようだ。

無論、生首がしゃべるわけがない。そこにまとわりついた霊魂の声が亮吉には聞こえるのだ。

「やれやれ、これだから人を殺めるのはいやなのじゃ」

亮吉はぼやきながら『声』に意識を集中した。それは、誰かに向けた言葉ではなく独り言のような内容だった。

屋敷に残してきた奥方や子息の名前、賤ヶ岳の闘いで上げた武勲のことや掛川でお気に入りだった料理屋の一品、さらには上方で催されたお茶の席の出来事。

命を奪った自分にしてみれば、そのようなことを聞かされては気がとがめることこの上ない。

「わしに恨み言を申さぬのは見上げた心がけじゃ。良いところに送ってやろう」

亮吉は山肌に生えている榊の木を見つけ、手頃な枝を山刀で断ちきると、それを御幣の代わりに振りながら、弔いのための祭文を唱え始めた。

本来なら、口伝に従って舞を捧げなければならないが、亮吉は先を急いでいるので祭文の詠唱だけにとどめた。

ぶつぶつ言っていた侍の霊もそれに気が付き沈黙する。

亮吉は侍の名前すら聞いていなかったので、祭文を唱えるにも少し具合が悪い。

「のう、おぬしの名は何と申すのじゃ。弔いに必要故、わしに教えてくれぬか」

亮吉が問いかけると、かすかな声で侍が名乗った。

亮吉は侍のためにその生涯を称える祭文を唱え、最後に両手を目前に差し出して気を込めた。

侍の霊魂は青白い光の塊と化して亮吉の両の手の上に乗り、亮吉は全身全霊の気を込めて祈る。

さすがにそこだけは足を止めた。人一人を司っていた霊魂をあさっての方向に送り出すのだ。

いざなぎ流が口伝のみで伝えられる事には意味がある。

霊魂の存在を感じられる者に直に伝えなければならないからだ。

上代でも能力者が不在の世代はあり、その時に誤りが生じた記録があった。

霊魂を関知できぬ者が伝える際にいらぬ工夫をしたのだ。口伝は極楽浄土に霊魂を送ると変えられてしまい、「あさって」の方向に送り出せなかった霊魂は多少なりと能力を持つ者に寄りついて害をなしたという。

祈りを終えると亮吉は先ほどまであった侍の気配を感じなくなった。

自分を斬り捨てようとした相手なのに、言いようのない寂寥感が残り、ただの骸と化した腰の生首をいやがおうにも意識する。

「伽がいなくなると寂しいものじゃのう」

亮吉はつぶやくと山中を歩き始めた。

本山郷に入ると、高石右馬ノ介が立てこもる場所を突き止めなければならない。

しかし、山之内家の軍勢も入り込んでいるから先ほどのように鉢合わせする事は避けたかった。

亮吉が里の方に降りていこうかと迷っていると、岩陰に娘が二人座っているのが目に付いた。

その場所は下の方から来る者を身を隠して見張るには適していたが、斜面の上からは丸見えだ。

亮吉は気付かれないように忍び寄って後ろから声をかけた。

「おい」

二人の娘は文字どおり飛び上がった。

一人がへたり込んだ横で、もう一人が口を開けて叫びそうに見えたので亮吉は慌てて口をふさいだ。

「大きな声を出すでない。わしは高石右馬ノ助に加勢に参ったのじゃ。あやつが立てこもる場所を教えてくれぬか」

娘は亮吉の手を引きはがすと、亮吉の身なりを上から下までじろじろと見てからまくし立てた。

「おぬしが加勢に来たという証拠はあるのか。何処の馬の骨ともわからぬものに高石様の居場所は明せぬ」

気丈な娘だった。亮吉は腰にぶら下げた包みを差し出して言った。

「道中で討ち取った山之内家の侍じゃ」

娘は何の気無しに包みを受け取ったが、亮吉の言葉の意味を理解すると共に恐慌が波のようにその顔に広がっていった。

「ぎゃー」

娘は、大仰な悲鳴を上げると包みを放り投げた。

「ああ、投げてしまいおった」

亮吉は仕方なく包みを拾いに行き、土埃を払ってから再び腰にぶら下げた。

元の場所に戻ると、二人の娘は落ち着きを取り戻していた。

「あなたも捕えられたらただでは済まないでしょうに」

「わしは、高石殿を逃がそうと思って加勢に来たのじゃ。捕えられるつもりはない」

亮吉が答えると二人は顔を見合わせた。

やがて、最初にへたり込んでいた方の娘が話し始めた。

「高石様は滝川の谷奥に砦をかまえて立てこもっておられます。里の者には山之内勢に問われたら無理矢理、食料を奪われたと申すように言い残されました」

右馬之助の言いそうなことだ。里の者が被害者に見えるよう口裏を合わせたのだ。

「山之内勢はどうしておる」

「本山の代官の手勢にお城下からの応援を加えて、砦の下から数十挺の鉄砲を撃ちかけているとか」

「おぬし達はここで何をしておったのだ?」

「見張りをしておりました。山之内勢に狼藉を受けぬように女子供はこの奥の谷に逃げ入っているのです。他所者は街道を外れて奥山には入って来ませぬ故」

2人の足下を見ると油紙に包んだ火縄銃が1挺置いてあった。かなわぬまでもここで戦って時間を稼ぐつもりなのか。

「火縄銃などそこに埋めてしまえ。見とがめられたら言い逃れができぬ」

二人は考え込んでいたがやがてうなずいた。

「わしは山上から回り込んで砦に合流してみる。礼を言うぞ」

亮吉が立ち去ろうとすると、二人の娘はいつまでもその姿を見送っていた。

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