第10話 後悔の後先

僕たちはとりあえず店の中に移動した。テーブル席でゆっくり話したかったからだ。

店内では阿部先生がコーヒーを飲んでおり、細川さんは怪訝な顔でこちらを見た。

「もう話が付いたのかい。電源を落としてからほんの少ししかたっていないのに。」

「私の代わりにご本人が全てやってしまったようだ」

山葉さんが答えたが、細川さんは何だか要領を得ない顔だ。

僕は、録画状態だったビデオをリモコンで止めた。

そして、カウンターの上に置いてあったラップトップを抱えて皆の後を追った。

中西親子と僕と山葉さんの四人がテーブルに着いたところで、阿部先生が自分用の椅子とコーヒーカップを持って寄ってきた。

「録画していたのなら、まずはそれを見てみよう」

山葉さんに促されて、僕はビデオカメラの画像をラップトップの画面で再生した。

画面映っているのは無人のいざなぎの間だったが、やがて画面に三人のシルエットが加わった。

僕と中西親子だ。僕が二人に座布団を勧めているところで画面はホワイトアウトした。

それ以降は砂嵐のような画面が続いている。早回しで見ているとしばらくして普通の画像が見えた。

畳の上に三人が倒れていて、看護師姿の山葉さんが僕を抱き起こそうとしていた。

僕の意識がなかなか戻らないのか、バシバシと平手打ちしているのが画像に収録されていた。

やがて僕が目を覚まし、中西親子も次々目を覚ます。

「君達は違う時間の流れの中にいたのだ」

そう告げて山葉さんが僕と中西親子を見回した

僕は、はっと気がついた。僕達はかなり長い時間会話をした記憶があるのに店内では五分も経過していないのではないか。

阿部先生は僕らがいざなぎの間に入った時のコーヒーをまだ飲み終わっていなかったのだ。僕はビデオの録画ファイルを調べてみた。録画時間は二十分を超えていた。

僕は思わず自分の腕時計を見たが、時計の長身がすごいスピードで動いた。電波時計なので時刻を自動補正したようだ。

「肝心な部分が映っていないのだな」

僕の横で、達也さんがつぶやいた。そして看護師姿の山葉さんに目を向けた。

「奇しくも本物が登場したが、あなたがその出で立ちで現れただけで、私は土下座して懺悔していたかもしれません」

本心か、気を遣ったのか定かでないが、達也さんが穏やかに言った。

山葉さんはむすっと表情で黙礼しただけだった。コスプレ作戦が空振りに終わったから面白くないのかもしれない。

「私はどうやっても心霊写真は見せてもらえないらしいね」

皆に飲み物を持ってきた細川オーナーがぼやいた。

「そんなん見たら呪われるかもしれへんで。見えない方が幸せやな。なあ山ちゃん」

阿部先生に話を振られて山葉さんの口元がゆるんだ。

「達也さんあなたは何故、佳枝さんと離婚する羽目になったのですか」

僕は夢で目の当たりにした達也さんが佳江さんを陥れた時の生々しい記憶のためにどうしても聞きたいと思っていたことを尋ねた。

達也さんは、拓也君を見て少し考えていたがやがて口を開いた。

「拓也が生まれて、佳枝と拓也が産婦人科の病院に入院している間に、私が自宅に女を連れ込んだのが発端だったんですよ」

「最低」

拓也君がつぶやいたのが聞こえた。

「何でそんなことをしたのですか」

僕は重ねて聞いた。

「そのころは私も勤務医だったのですが、同じ病院に勤めていた看護師が3人でお祝いと称して訪ねてきたのですよ」

山葉さんは黙って話を聞いている。

「手みやげに持ってきてくれたお酒や出前で取ったもので一緒に食事をしていたのですがその内の一人が最後まで残っていたのでつい」

皆の冷たい視線が達也氏に集まった。

「最初はばれていないと思ったのですが、家の中にいろいろ痕跡が残っていて、佳枝にはすぐ解ったようです」

「そりゃ、家の中に他の女を連れ込んだら奥さんは気づくわ」

細川さんはあきれた様子だ。

「佳枝はそのことを相談した私の友人と深い仲になってしまい、私は相手の看護師に後押しされて事態は泥沼化しました」

「でもな、奥さんも仕事を持っていたし、普通は奥さんの方が親権を取るもんやないの?」

阿部先生は別の面を疑問に思ったらしい。

「同僚の看護師に手を回して、佳枝が事前から相手の医師と不倫をしていたと証言させて家裁の裁判官の佳枝に対する心証を悪くしたのです」

「そんなことをしていたら、偽証罪で手が後ろに回るで」

今度は阿部先生があきれている。

「最後には、佳枝が面会日以外に拓也を連れ出すようにし向けて、その現場を押さえて面会が出来ないようにしたのです」

「何でそこまでしはったのかな」

阿部先生に問い詰められた達也さんは顔を伏せたまま答えた。

「私も佳枝も周囲にけしかけられて歯止めがきかなかったのです。私に近寄った女は最初からそうなることを狙っていたようです。しかし結局周囲からの風当たりが強くなって姿を消しました」

不倫の果ての不毛な結末に僕はぞっとしたが、最大の被害者は生まれた直後に家庭が崩壊した子供ではないだろうか。

「本当は、私は佳枝に詫びて二人で拓也を育てたかったのです。さっき佳枝の幻影を見てそう思いました。何故こんな事になったのか」

達也さんはいつしかうなだれていた。

「ほな、今回強請られているのはどんないきさつなのかな」

阿部先生が核心の部分を聞いた。

「それは、製薬会社の接待で行った店の女の子が何となく佳枝に似ていたので気になって何回か通っているうちに仲良くなってしまったのです」

「それ、最初からあなたをターゲットにしていたのとちゃいますか」

「まさか」

「最初に行ったとき、その子どんな格好してはりました」

「イベントだとか言って、山葉さんみたいな看護師のコスプレをしていましたね」

同時に達也さんは大きく目を見開いた。自分をターゲットにして罠を張っていたという、阿部先生の指摘を思い出したからだ。

「かもを一人型に嵌めようと思ったらそれぐらいの調査はするかもしれませんな。特に前の奥さんの風貌はあなたの女性に対する好みの真ん中に入っている可能性は高いですから」

「私はどうしたらいいでしょうか」

「まず、今の奥さんに謝って打ち明けましょう。それから、警察に被害届けを出すところが第一歩」

達也さんがうなずく。

「でもあんたもやってしまっているからには落ち度はある。弁護士でもやとって交渉してもらうのがいいですよ」

「弁護士か」

達也さんが腕組みをして考えている目の前に、阿部先生が名刺を差し出した

名刺を受け取った達也さんは阿部先生の顔と名刺を交互に見比べている。

「あなたが弁護士?」

「阿部弁護士事務所所長の阿部浩一です」

達也さんが椅子から立ち上がろうとするのを阿部先生は手で制してから言った。

「最初に山葉さんに話を聞いたときはそんなろくでなし関わりたくないと思いましたけどな。今の話を聞いていたらお手伝いせなあかんかなと思いまして」

「是非よろしくお願いします」

その時、僕は何の気無しに席を立ったがその瞬間、激しい眩暈に見舞われた。

そのまま倒れそうになるのを後ろに来ていた山葉さんが支えてくれる。

「大丈夫かウッチー。」

彼女の声を聞いているうちに眩暈は収まってきた。そして僕は部屋がやけに明るく見えることに気がついた。

「今、部屋の照明を明るくしましたか」

正面にいた阿部先生が首を振った。心なしか物音もクリアに聞こえるようになった気がする。

「ウッチーに取り付いていた霊が今神上がったのだ」

「誰の事を言っているのですか?」

僕が振り返って山葉さんを見ると、彼女は唇をかみしめていた。

「佳枝さんだ」

「まだいたというのですか?さっき時間の流れが違う空間にいる時に山葉さんが浄霊していたではありませんか」

山葉さんはゆっくりとうなずいた。

「中西さん親子や内村君が閉じ込められた時空に介入して、佳枝さんを取り押さえることはできたが、彼女が未練を抱えている間は完全に浄霊することができなかったようだ。気配を感じていたので後で私が改めて祓うつもりだった」

僕は愕然とした。佳枝さんは山葉さんが青白い光の塊に変えた時に消えたと思っていたのだ。

「それでは先生、今回の件お願いしてよろしいですか」

達也さんは気を取り直したように阿部先生に依頼し、阿部先生は手帳を取り出してサラサラと数字を書きつけた。

「いいですよ。お代は状況に応じて変わりますがこんなもんでどうですか」

阿部先生が広げた手帳の数字を確認して達也さんはうなずいた。

「まずは奥さんにカミングアウトしましょうか。私も一緒に行った方がいいですか」

「よろしくお願いします」

とりあえず、問題は徐々にではあるが解決しつつあるようだった。

達也さんは謝礼が入った封筒を山葉さんに渡すと何度もお礼を言って拓也君とともに帰って行った。

帰り際、拓也君は振り返ると僕たちに叫んだ。

「ありがとう」

山葉さんも微笑んで手を振っている。全てが丸く収まったはずだが、山葉さんは浮かない顔をしていた。

そして彼女は僕の方に向き直ると深く頭を下げた。

「すまない内村君、今回の件は私の慢心が招いた失敗だ。許してくれ」

「でも、うまく解決できたじゃありませんか」

「君が佳枝さんに取り憑かれて危険を訴えているのに私は笑って放置していたが、佳枝さんの願いが達也さんの殺害だったとしたら、内村君の体を乗っ取って殺害に及んでいたかもしれない。私のしたことは許されるべきではないと思う」

山葉さんは自分を責めていたらしく顔を上げた彼女の大きな目から涙が伝い落ちた。

「済んだことなんだからそんなに自分を責めないでくださいよ」

僕の言葉に彼女は首を振った。

「私にはいざなぎ流を名乗る資格などない。この店でいざなぎ流の祈祷をすること自体、もうやめるかもしれない」

彼女は僕に一礼すると店の奥に姿を消した。後を追おうとする僕を細川さんが止めた。

「一人にしてあげなさい。ウッチーを危ない目に遭わせたと思って自分を責めているのよ」

「でも、彼女は陰陽師やめると言っていました。そうなったら僕はここに来る理由が無くなってしまう」

細川さんがプッと笑ったような気がした。

「気にしなくていいの。あなたの給料は一時間当たりコーヒー二杯売り上げてくれたら出せるのだし、私は助かっているから好きなだけアルバイトに来てちょうだい」

僕は自分の時給がコーヒー二杯分の収益とイーブンだと知り、微妙な気分だったが黙っていた。

「でも、山葉さんを放っておいて大丈夫でしょうか」

「一晩たったらケロッとしているかもしれないし、今夜はそっとしておいたらいいわ」

細川オーナーは気楽な表情で僕に告げ、阿部先生もうなずいている。

僕の心配をよそに阿部先生は脳天気に細川さんに言う。

「なあ細川さん。今度僕がお祓い頼む時に山葉さんにさっきの看護婦さんのコスプレでやってもらう訳にいかんやろか」

「駄目です。うちはいかがわしい風俗店とは違いますから」

細川さんはきっぱりと断わるが阿部先生は食い下がる。

「そこをなんとか、一回だけでいいからやってもらえへんやろか」

「駄目といったら駄目です」

二人が押し問答を続ける間も、店の外では雨が降り続き、ひさしを打つ雨音が柔らかく響いていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る