第7話 死霊の記憶

その夜、自宅に帰った僕は降りしきる雨の中を歩く夢を見た。

夢の中で、僕は降り続ける雨の中を足早に歩いており、右手で傘を差し左手には小さな手を握っている。

降り注ぐ冷たい雨と対照的にその手は柔らかく、温かかった。

公園のように整備された庭はむやみに広く感じられる。

手をつないでいる拓也はまだ二才だ。拓也が一生懸命伸ばした手を自分が少し腰をかがめて握っているせいで歩きにくい。

傘を差し掛けてやっているために、自分の半身はずぶ濡れだ。

早く表通りに出てタクシーを拾いたかった。

いっそ子供を抱えて走ろうか。そんなことを考えた時に、目の前に男が立ちはだかった。

「何をしている。自分のしていることが解っているのか。おまえが勝手に連れ出したら誘拐罪になるんだぞ。」

男は拓也の手を取って自分の方に引き寄せようとする。

背後には警察官の姿が見えた。

明らかに手回しが良すぎることから、私は自分がはめられた事に気が付いた。

「私が産んだ子供なのにどうして連れて行ったらだめだと言うの。その手を離して。」

子供を両親が奪い合う図。

警察官は間に入って私を制止しようとした。

「離しなさい。警察官のくせに何故そいつの肩を持つの。」

「奥さんいい加減にしてください。おとなしくしないと公務執行妨害で逮捕しますよ。」

もみ合っている間にその男は拓也を抱えて家の方に向かおうとしていた。

「拓也。」

私の叫び声に、拓也がこちらを振り向いた。

そしてそれが、私が拓也を見た最後の瞬間となった。

自分の叫び声で目を覚ましてからも、僕はしばらく見当識を喪失していた。

部屋の灯りを付けて、自分の部屋で寝ていたことを思い出して安堵するとともに、自分の心臓の鼓動の速さに驚いた。まるで、激しい運動後の脈拍だ。

時計を見ると時刻は六時。外は明るくなっているが昨日からの雨は降り続いている。

そして今し方見た夢で、自分が母親として自分の子供を連れていたことを思い出した。

子供の名前は拓也だった。夢の中で行く手に立ちふさがった男の顔を僕は終始見ようともしなかった。だがその雰囲気から判断すると達也氏だったのではないか。

そうだとすれば、僕は夢の中で十年前に亡くなったという拓也君の母親に成りきっていたことになる。

僕は、次第に昨日撮影したムービーの画像が気になり始めた。

確認したい気持ちと、見たくない思いがない交ぜになりながら、僕はムービーカメラから取り出して持ち帰ったSDカードを探した。

鞄を引っかき回した後で最後に財布の中から出てきたSDカードには昨日の儀式の一部終始を録画したファイルが入っている。

僕はSDカードを自分のタブレットに差し込んでから起動した。

メディアプレーヤーでファイルを開くと、録画したムービーの再生が始まり、画面にはカフェ青葉のバックヤードにある「いざなぎの間」が映った。

映像は山葉さんが中西親子を部屋に招き入れて儀式を始めるところからだった。

最近は、お祓い等を頼むお客が増えてきたので、山葉さんは式神や御幣をあらかじめ作っている。

足りない場合はその場で作るが、彼女が刀身の長い日本刀で和紙を切って式神や式王子の幣を作る場面を目にする機会は減っていた。

画面では、僕がモニターで見たように山葉さんと中西親子の他に第三の人影が映り込んでいる。そしてそれはレンズに付着したゴミなどではなかった。

ラップトップパソコンで見たときは画面への照明の写り込みのせいでシルエットにしか見えなかったが、よく見ると衣服のディテールも見えるし、ヘアスタイルも長い髪をひっつめにしているのが解る。

その時、店側のドアが開いて、手前の廊下部分が少し明るくなった。

僕が入ってきたのだ。

画面の左から入ってきた僕は画面中央当たりにシルエットで映り込んでいる。

「ああっ。」

僕は思わず声を上げた。その時の僕には三人目の人物は見えていなかったが、ムービーではその人が振り返ったのだ。

端正な顔立ちの女性で、服装は看護師のユニフォームのように見える。

僕にとっては知らない人なのだが何故かその顔立ちに既視感があった。

ムービー上では僕が振り返ってカメラの方に近寄っていき、同時に看護師姿の女性も立ち上がってカメラの方向に接近しつつあるのがわかる。

光線の関係で、僕の顔は影になって見えないがその女性の顔は白くにじんだようではあるがハッキリと見える。

カメラのレンズを拭こうとしている僕が画面いっぱいのシルエットになったとき、僕の肩の後ろにその女性の顔の一部が見えた。

次の瞬間、僕がレンズを拭いたので画面は黒一色になった。

レンズを拭き終わって室内の様子が見えるようになったとき、その女性の姿はなかった。画面では山葉さんが眉間にしわを寄せてこちらを見ているのが映っている。

僕はタブレットの電源ボタンを長押しして強制終了させると、ベッドの上に放り投げた。

映像をどう解釈すればいいのだろう。僕は映像に映っていた女性に取り憑かれたのだろうか。

僕はもともと心霊現象を信じていなかったが、山葉さんに関わり始めてからその手の話が僕の日常を浸食し始めている。

僕はカフェ青葉で週三回夕方や週末にウエイターと皿洗い業務、それに加えて陰陽師の山葉さんの手伝い込みでアルバイトとして雇ってもらっている。その時点で、心霊現象沙汰に巻き込まれてもあまり文句が言えない立場だ。

しかし、今回は少し文句を言った方が良さそうだ。山葉さんは霊視能力を持っており、今回もビデオの映像を見ると一部始終が見えていたはずなのに、僕に黙っていたのは問題だ。

僕は手早く着替えると、起きていた母親にバイト先で朝食を食べるからと言って家を出た。

下北沢駅から東の方に歩いたところにあるカフェ青葉に着くとオーナーの細川さんが店の前を掃除していた。

「おはよう内村君。今日は早いわね。私たちもまかないの朝ご飯がまだだから一緒に食べなさい」

「おはようございます。そうします」

普段の休日アルバイトでは、僕はもっと遅い時間帯から業務を始めるので、店の奥で、一人でまかないの朝食を食べているのだ。

店内に入ると、山葉さんが店内の掃除を終えたところだった。

「おはようウッチー」

「おはようございます」

僕は山葉さんに挨拶されて自分の気分が緩むのを感じたが、今日は毅然として言うべきことを言わなければならない。

「山葉さん、昨日の中西さんの件で話があるんですけど」

店の奥の方に行こうとしていた山葉さんが動きを止めた。

「何の話だ」

「昨日のお祓いの時、看護師姿の女性が見えていたのではありませんか」

山葉さんは僕から逃げるように歩き、カフェ青葉のバックヤードに入っていく。

僕は足早に追いかけたので結局、彼女をコーヒー豆の焙煎機が置いてあるスペースに追いつめる形になった。

 山葉さんは陰陽師としていざなぎ流という流派の儀式を執り行っており、彼女から聞き取ったいざなぎ流の口伝によれば、祈祷によって浄霊された霊は新しい命として再生することになっている。

しかし、彼女の場合、時々取り逃がして周囲の人間に取り憑いてしまうケースがあるという。僕は今回もそのケースに該当すると確信していた。

「知っていたなら一言言ってくれればいいじゃないですか。その女性は僕に取り憑いてしまったのですね」

「すまない。利害のない人間にならば、仮に霊が取り憑いたとしても、興味を持たないからすぐに行くべき所に行ってくれると思ったのだ」

そこまで言って、彼女は気がついたらしくこちらを振り返った。

「看護師姿と知っているということは、ウッチーも霊が見えるようになったのか」

山葉さんはうれしそうに尋ねる。

彼女は霊感が高い人間として僕を高く買っており、霊視などの能力を新たに習得すれば仲間が増えた気がしてうれしいのに違いない。

「僕には全く見えなかったけどムービーに映り込んでいたんです」

「そうか」

彼女は気落ちした様子は見せなかったが、明らかにテンションが下がっている。

しかし、僕は追及の手を緩めなかった。

「昨夜は、夢の中で彼女が親権を取り上げられ、おそらくは拓也君への接近を禁止される原因になったトラブルを追体験する羽目になったのですよ」

彼女はしばらく考えていたが、おもむろに僕に尋ねた。

「夢の中ではスカートをはいていたのか。」

僕はうなずく。

「どんな感じだった」

「そうですね。スースーして何だか頼りない感じでしたね」

そこまで言って僕は我にかえった。

「今はそんな話をしている場合じゃないでしょ」

僕は声を荒げるが、彼女はコロコロと笑った。

「対処方法は考えるがもう少し様子を見させてくれないか。とりあえず朝ご飯を食べよう」

適当にはぐらかされた感が満載だが、僕は渋々うなずいた。 

客用のテーブルに三人で座って、僕達はまかないの朝ご飯を食べた。

カフェ青葉はモーニングサービスなる制度を導入している。

店が定めた時間帯ならコーヒー代等の飲み物の料金でコーヒーにトーストやサラダが付いたセットメニューが食べられるのだ。

まかないの朝ご飯はその材料の流用だがもう少し豪華仕様だ。

「さっきは何を話していたの?」

細川さんが厚めに切ったベーコンと一緒に焼いた目玉焼きを食べながら僕と山葉さんに尋ねる。

山葉さんは店舗の2階に住み込みで雇われている状態だが細川さんは山葉さんを共同経営者のように扱って大事にしている。

僕は昨夜の出来事を要約して話した。

「その心霊ムービーを私にも見せてよ。一度本物を見てみたかったんだから。」

「見て呪われても知りませんよ。」

僕は自分のタブレット端末を持ってきて起動した。

前回正常に終了されませんでしたと表示が出るのを消し、ムービープレーヤーを起動して、問題のファイルの再生を始めてから細川さんに渡す。

「何処にもそれらしきものは映っていないわよ。」

不満げな細川さんの様子に僕は慌てて画面を見たが、僕が画面に映っている部分なのに、女性の姿は見あたらない。

「そんなばかな、あれほどはっきり映っていたのに。」

狼狽する僕に向かって山葉さんが言った。

「心霊現象なんてそんなものだ。現在の科学では存在を立証できない情報の流れを私たちの脳が捕捉して視覚や聴覚に解釈し直しているのかもしれない。それゆえ、ビデオや写真のような確定的な証拠は残りがたいのだ」

山葉さんの説明は理屈が通っているようで難しい。僕は女性の姿が消失して中西父子二人の前で山葉さんが祈祷している映像を呆然と眺めていた。

カフェ青葉の営業時間が始まってから、モーニングセットのお客が一巡すると使用済みの食器がたまり始める。本来なら僕が出勤するのはこの頃だ。

まだ席の多くが埋まっているカフェ青葉に新たな客が入って来たが、その顔を見て僕の心臓がトクンと鳴った。

昨日訪れた中西さんの息子の拓也君だった。

僕が中学生の男の子を見てドキドキする必然性は全くないが、僕は彼の顔に吸い寄せられたように目が離せなかった。

拓哉君はカウンターで働く山葉さんに言う。

「すいません。昨日、僕の父がどんな話をしたか教えていただけませんか。」

山葉さんはゆっくりと顔を上げた。

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