第4話 古の祭文に舞う
僕達は山葉さんが運転するBMW M3に同乗して午前中のうちに逗子のホスピスに到着した。
ステアリングを握る山葉さんは、ジーンズに白いコットンシャツを合わせ、その上に黒のダウンジャケットを羽織っている。
彼女のヘアスタイルはカフェの仕事をしているときのポニーテールのままだが、ラフな格好でもBMWを運転する様子は、ちょっと買い物に出かけるセレブな奥様的な雰囲気が漂う。
「あのホスピスから依頼する人たちは、どうやっていざなぎ流のことを知ったのですか」
僕は昨日から疑問に思っていたことを尋ねた。
「患者同士の口コミが多いが、私の出身地の地縁関係で訪ねて来る人もたまにいる。谷脇さんは後者の方だな」
山葉さんは淡々とした雰囲気で答える。
「すると、谷脇さんも四国の出身ですか?」
「そうだ」
僕にとっては、事業をするのに口コミ以外に広報手段がないとは考えられない話だった。
「ウエブサイトで広告したりはしないのですか」
「カフェ青葉の本業ではないからね。私は客寄せのために時々御幣を振っていればいいのだ」
彼女の言葉はオーナーの説明とは少し違っている。僕が思うには、彼女は照れ隠しにシニカルなことを言う傾向があるようだ。
ホスピスに着くと、入り口で由佳さんが出迎えた。
昨日も来たばかりだが、ホスピスと言う場所になじんでいる自分が怖い。
「二日も続けて来ていただいてすいません」
由香さんは恐縮した雰囲気で山葉さんに言うが、山葉さんは微笑を浮かべて由香さんに答える。
「いいえ。今日はうちの都合でフォローに来させていただいたので、謝礼も必要ありません」
皆がエントランスのエレベーターに乗り込んだところで由佳さんが僕に聞いた。
「本当に伯母が現れて何か言ったのですか」
「はい。それをお伝えするために来たのですが」
僕の言葉は自信がないため途切れる。伝えようとする言葉が意味をなさない記号の羅列だったらどうしようと言う思いが強くなっていくばかりだ。
エレベーターが目的の階に着いたので僕はそれ以上コメントせずに済んだが、病室に入ると義男さんが待ち受けていた。
「和美の言葉を伝えてくれるそうだな」
僕の夢に現れた女性は和美さんというらしい。
義男さんはベッドの上に半身を起こして、大きく目を開けて僕を見据えている。
痩せこけた顔に目ばかりが大きく見え、その目は心なしか充血しているようだ。
怖すぎる。
僕は助けを求めるように山葉さんの方を見たが、彼女は僕と目を合わさない、雅俊はうなずいてあごをしゃくってみせる。
僕は仕方なくメモに書き留めた和美さんの言葉を読み上げた。
『You chat oh say yeah oserashuni.』
言い終わってから、僕はおそるおそる義男さんの表情を伺った。さっきより更に大きく目を見開いている。
やっぱり怒り出すのだろうか。
僕が身を引きそうになったときに、義男さんが口を開いた。
「もういっぺん言うてくれんか」
もう一度言うようにリクエストしているようだ。僕は言われたとおりに、再度メモを読み上げる。
『You chat o say year oserashuni.』
雅俊バージョンで読んだところで、聞こえる音は同じだ。
皆が無言で見守る中で義男さんは目を閉じている。目の縁からは涙が伝い落ちた。
やがて彼は、口を開いた。
「すまんが、わしを十分間だけ一人にしてくれんか」
「十分たったら、みんなでここに来たらいいのね」
問いかける由佳さんに彼は無言でうなずいた。
廊下に出た一同は一旦ロビーに降りることになった。
エレベーターの中で由佳さんが僕の腕をつかんで問いつめる。
「あなた、ほんとに和美おばさんの言葉を聞いたのね?わざわざ古い方言を調べたりしてないわよね」
由香さんは意外ときつい雰囲気で僕を詰問する。僕は何だかわからないが、彼女がいうような行為はしていないので黙ってうなずく。
エレベーターが一階に着いたので皆は思い思いにロビーで待機した。由香さんはエレベーターの中で僕を問い詰めたことの説明を始めた。
「あなたが伝えてくれた言葉は私たちの出身地の方言なの。それも、私たちの世代では使っていない古い言い回しだったの」
由佳さんの言葉に僕は赤面した。英単語を当てて意味を考えていた自分が間抜けすぎる。
「掘った芋いじるな。だな」
おもむろに山葉さんが口を開く。
「What time is it now? と聞き間違えた外国人観光客が時刻を答えたって話ですね」
雅俊が応える。北海道かどこかで実際にあった話で中学校の英語の先生がよく使うネタだ。
それでも、好奇心には勝てないので僕は由佳さんに聞いた。
「どんな意味なのですか」
「『ゆうちゃっとおせや』で『言っておいてあげてください』みたいな意味になるの。『おせらしゅうに』は『大人のように』みたいな感じかしら」
由香さんは古い方言を丁寧に解説してくれるが、それが何を伝えようとしたかは、彼女にもわからないようだ。
「山葉さんも高知県の出身ですよね。どんな意味かわからないのですか」
僕が訪ねると彼女が首を振った。
「私の出身は高知県の東寄り、徳島県に接した山の中だ。谷脇さんは高知県の遙か西の海岸部の出身で言葉も私たちの言葉と違う」
話だけ聞いているとアメリカ大陸の大西洋岸と太平洋岸の違いを語っているような距離感だが、日本地図では小さく見える四国内の話のはずだ。
僕は思わず問い返していた。
「同じ高知県内でそんなに違いがあるものなのですか」
「高知県の海岸線の長さは七百キロメートルを超える。山が多くて交通も不便だから昔は人の往来も大変だったのだ」
山葉さんは躊躇なく断言した。
「おせらしくしなさいと言う言い回しは小さな子供に、いい子にしていなさいという意味で使っていたような気がするわ」
僕達の余談をスキップして、由佳さんが本題に引き戻す。
「姉弟の間だけに通じる意味合いがあったのかもしれませんね」
山葉さんが無難に話を引き取ったが、それ以上は僕たちが推測しても無駄のようだった。
十分が過ぎて、僕たちは再び病室に戻った。
病室では、先ほどよりは穏やかな表情になった義男さんが僕たちに語り始めた。
「わしは、お前さん方が和美の言葉を伝えるというからてっきりわしのことをなじる言葉だと思っていた」
「あなたが思っていた内容とは違ったのですね」
山葉さんが問いかける。
「そうだ。むしろわしのことを気遣ってくれている。わしは子供のころ泣き虫の甘ったれた子供だった。姉はそんな私に事あるごとに「おせらしくしなさい」と言って、叱責するのと同時に励ましてくれた。そこの人が伝えてくれた言葉は姉の口癖そのものだ。姉は人生の終焉に及んで死の恐怖に飲み込まれようとしている私に怖がらなくてもよいと教えてくれたのだ」
義男さんは目を閉じて続けた。
「わしは昔、姉に不義理なことをした。土木業の会社を経営していたわしは事業に失敗し、巨額の借金を連帯保証人の姉夫婦になすりつけて逃げたのだ」
「東京に越してきた時にそんなことがあったのね。私はちっとも知らなかった」
由佳さんが口を押さえて言った。
「お前はまだ小さかったから、知らなくても無理はない。私は東京に出て、新しい事業を立ち上げて再起を図った。姉夫婦にもいつか償いをするつもりだった」
義男さんは、ハンカチで目頭をぬぐった。
「しかし、そう簡単にいく世の中ではない。事業を軌道に乗せ、金を稼げるようになるには長い年月がかかった。姉夫婦に金を返そうと訪ねたときには、姉は体を壊して亡くなった後だった」
皆は静まり返って義男さんの話を聞いている。
「義兄は私が過去の罪を償おうとして支払った金を受け取り、私を許してくれた。しかし、私のせいで苦労をしたことが、姉の死期を速めたのではないかという思いは、常に私の頭から離れなかった」
皆がしんとして聞いている。
「やがて、私自身も病に倒れた。知っての通り、もう治療ができるような状態ではない。そんなときに姉がわしの夢枕に立ち始めたのだ」
僕は義男さんの顔を見て同じ立場ならだれかに助けを求めたくなるに違いないと思う。
「夢の中で姉は何かを告げようとするが、わしには聞き取れない。きっとそれはわしを恨む言葉に違いないと思っていた」
そこで彼は僕のほうを見た。
「ところが、あんたが伝えてくれた言葉は、子供のころ姉がわしを叱るときに使った言葉だった。彼女は駄々をこねるわしに『おせらしゅうしなさい』と言ったものだ。姉は叱るのと同時に励ましてくれていたのだな。終焉に向かう私に心の平安をもたらしてくれたことを感謝したい」
義男さんは話し終わると同時にせき込んで苦しげな息遣いを始めた。
父親の苦しそうな様子に気づいた由佳さんはベッドに駆け寄ってナースコールのボタンを押す。
駆け付けた看護師は酸素吸入用のバッグを義男さんの顔に押し当ててあわただしく呼吸を補助し始めた。
僕は山葉さんに耳打ちした。
「もう帰ったほうがいいのかもしれませんね」
「私もそう思っていたところだ」
僕らが暇を告げようとしたとき、義男さんは看護師の制止を押し切り、バックを外すと僕に告げた。
「わしは気がかりを抱えたまま、朽ち果ててこの世から消えるところだった。姉の言葉を伝えてくれてありがとう」
彼は僕に手を差し伸べた。
僕はそっと、義男さんの手を握る。
痩せて骨ばかりのような冷たい手。だが、何となく温かいものが伝わるような気がした。
ホスピスを出るとき玄関で見送る由佳さんが何度もお辞儀をしてくれ事と、義男さんの手の触感が僕の心に残った。
ホスピスから帰る車内ではしばらくの間、皆が無言だったが雅俊が沈黙を破った。
「山葉さんはBMW のM3に乗っているけど走り屋なんですか」
雅俊は場の雰囲気を切り替えようと関係のない話題を持ち出したようだ。
「そうでもないよ。この車はオーナーの細川さんの車だ。彼女はレーシングライセンスを持っているくらいでドライビングテクニックは相当なものだが、この車に関してはディーラーにそそのかされて、不必要なくらい高性能なグレードを買わされたと言っていたな」
山葉さんは雅俊に答えながらサングラスをかけた。太陽とは逆方向に走っているが、前の車からの反射がまぶしいらしい。
「僕はこの車、家庭用ゲーム機のドライブシミュレーションで使ったことがあるんです。途中から運転替わりましょうか」
山葉さんが雅俊の発言が本当か確かめるように助手席の僕を見るので、僕は音がするほど首を振った。
雅俊のゲームの腕前は知っているが、実車に同乗しているときに、腕前を披露されるのはごめんだ。
「遠慮しておこう、人の車だしな」
山葉さんは僕の表情を見て即座に答えた。
雅俊はむくれたが、山葉さんは機嫌よくステアリングを握っている。彼女の向こうには横須賀の海が見えていた。
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