第10話
茜色の空がだんだんと暗闇に染まっていく。しかし街の喧騒は夜になっても落ち着かず、今日は年に一度の夏祭り。普段感じる夜風や静寂などこの熱苦しいほどのテンションで何処かに消えてしまった。
何度経験しても気の落ち着かない祭りは、なんだか胸躍る様だ。
もちろん、この胸の鼓動が高鳴っているのは、夏祭りだけの所為では無い。何故なら今日は後輩と夏祭りを回る事になっているからだ。
それにしても彼女とこうして会う約束をしたのはあのデパートの件以来である。夏休み中も一度も会っていないし、本当に楽しみだ。
現地に着いた俺は、スマホを開いて連絡がまだ届いていない事を確認して、ブラブラと軽く歩き出した。
毎年三日に渡って開催されるこの夏祭りは、全国的にもそこそこなの知れた物で、元は山に住む小さなの村の復興を願ってのものだったらしい。それも時代によって規模が増え、山のふもとの普段車の絶えない道路までも閉鎖し、歩行者天国となる。そしてそこに無尽蔵に屋台が立ち並び、人混みも酔いそうな程沢山いるむさ苦しいお祭りが出来上がる。
見てるだけでも疲れそうだ。
(……合流してから屋台回るか)
折角のデートなわけだし、良さそうな屋台でもリサーチしておこうと思ったが、このまま人混みに揉まれていると気が持たなそうなので、喧騒の少ない隅にいる事にした。
そんなこんなで屋台の明かりが少ない薄暗い所で到着を待っていたら、急に袖を掴まれた。
「あの、先輩」
少しおとなしいようなしおらしいような声で呼ばれたものだから、一瞬その声の主がいつもの毒舌の後輩だと気づかなかった。
「……お、おう。後輩」
頭が真っ白になって返事が出てこない。
何故なら彼女に見惚れてしまったから。
色鮮やかで淡い爽やかな水色の浴衣。整えられたショートヘアとまつ毛の長い魅力的な双眸。清潔でハキハキとした着飾った彼女は、何かの芸術品のように整っていた。
「すいません。送れました」
ギュッと俺の袖を掴む彼女は俺の方を向いていなくて、地面を見るように俯いていた。
「お、おう……」
普段の彼女とは違う雰囲気を感じて、少し対応に困った。
鼓動が早くなって、心臓の音が分かるほどにドキドキしているのが自分でも分かる。
「その、似合ってるな。その浴衣」
正直私服で隣を歩くと彼女の和風少女の雰囲気を壊しそうな程に今の後輩は独特で可愛い。端的に言えばジャパニーズお嬢様だ。
「ありがとう、ございます」
「じゃあ……とりあえず屋台を回りますか」
「……はい」
後輩とぶらぶら屋台を回った。正直最初はいつもの後輩とは雰囲気がまるで違ったので、緊張しているのか?調子が悪いのか?と杞憂していたが、彼女も徐々にいつものペースを取り戻して、じきにいつもの軽口を叩けるぐらいには元気になっていた。
「先輩、わたあめなんか好きなんですね」
「まあ、甘いもの嫌いじゃないし。子供の頃からなんか憧れないか?わたあめ」
「いえ、原価が安すぎて寧ろ嫌いな部類でした」
「お前夢ないな」
「現実主義者なので」
とまあそう言った感じで。
「なあ、後輩」
「どうしましたか?先輩」
「いやなんだ、タクヤから聞いた話なんだが……」
正直少しだけ聞いて良いのか迷ったのだが、結局聞かずにはいられなかった。
「後輩と詩織先輩って血が繋がってないんだよな?」
「ああ、ええそうですよ。親が再婚したので」
「そう、か」
お前の姉はどうなんだ。
本当はそう聞きたかったが、後輩の目の前で初恋の彼女の話題は邪推だと思い口を噤んだ。正直彼女の家庭内状況が気になっている。
理由は……まぁ……。
彼女が好きだから。気になるから、なんだけども。
「まあ、だから先輩は初恋の先輩の妹と会っても、私が誰か分からなかったんですよね」
「……そうだな」
「ふふっ、やっぱり先輩はマヌケですね」
これに関しては正論と認めざるを得ない。
『もうすぐ、打ち上げ花火を開始いたします』
後輩と祭りを楽しんでいると、アナウンスコールが入った。
「む、もうそんな時間ですか。先輩、ちょっと着いてきてください」
そう言われて後輩に手を引かれる。いつもの後輩らしくそこそこ乱暴で積極的だった。今日初めに会った時と比べてしおらしさのかけらも無い。
「ちょ、どこ行くんだよ」
「特等席ですよ」
後輩に釣られるまま、少しの山の方に入っていく。
「神社なら違う方向じゃばいか?」
山の奥の神社は毎年一番綺麗に花火が観れると人気なスポットだ。
「これから行くのは二人だけの特等席ですよ?そんな人混みには行きません」
「ほぉ……」
少し興味が湧いてきた。
連れてこられたのは誰もいない草っ原で少し斜面が急な所がネックだが、眺めも良いし誰も居ない。そこから見える景色は沢山の星が遍く暗い大海と、その下で明るく騒がしい祭りの屋台達だった。
「ふふっ、どうですか?わざわざこの日の為にリサーチしてきたんですよ」
「……素直にすげぇよ」
この情景を絵にしたら一儲け出来そうだな。なんて思うほどに綺麗な見栄えだった。
「これで先輩と二人きりですね。ふふっ」
そう何か企んだように笑う彼女に、少し惹かれる。
「まあ、確かにな」
「私、先輩ともっと喋りたい事があるんですよ」
「ああ、何でも言ってくれ」
「少し……恥ずかしいんですけど」
少しはにかんだように前置きを入れる彼女。
後輩の見せる仕草の一つ一つがもう、愛おしく感じてしまって、息を飲むほどに緊張してしていた。
彼女は夜空の何処か遠くを見上げて話し出した。
「私、死のうと思ってたんです」
そう聞いた瞬間、時が止まった。動揺や怖気が急に胸に広がって、変な汗が全身から吹き出た。
「先輩にもし謝って、それでダメだったら死んだ方が良いのかなって思ってたんです」
(どうして、そんな事を言うんだ)
喉元まで出掛かったその言葉は、上手く発声には至らない。
「私、詩織姉さんほど水泳は上手では無かったし、容姿も可愛くないし、万人に受けるような強さや優しさも持ってないんです」
彼女は姉へのコンプレックスで、生きる意味が無いと感じていたらしい。
「誰も魅力がない私を求めてくれない。そう思ってから毎日が本当に辛かったんです。誰かに求めて貰えるように毎日を生きるようになったんです」
「そして、最初先輩を知った時も嫉妬しました」
「……ッ。」
何て言葉を掛けていいのか、分からない。
超人のようなあの先輩と比較される日々など、俺は想像ができない。それがどれだけ辛いことなのか、考えるとゾッとする。
「強い姉に食いつこうと必死に努力をしている先輩を見て、妬んで詩織姉さんに貴方がお姉ちゃんの好意を寄せている事を言ってしまったんです」
「……そうか」
「だから、先輩が私を何回でも許してくれるって言われた時、本当に救われました」
彼女の話はすごく興味深い所があった。俺があの苦痛を味わったのにも意味があったのかなと思える程に彼女に謝られて俺は救われた。そして彼女もきっと救われたのだろう。
少し胸が暖かい。
「先輩、私もう少しだけ生きてみたいんです。いくら私にアイデンティティが無くても。いくら私より上位互換の姉が居ても。傲慢と言われそうですけど、生きてみたいんです」
「いいんじゃないか?」
少なくとも、俺はそう思う。だって俺は彼女には自分でも気付かないような魅力がある事を知っているのだから。
「俺には後輩に魅力が無いようには見えないけどな。だって罪の意識だけで先輩を高校まで追っ掛けて謝罪しようなんて奴は、優しさを通り越してお人好しすぎる」
「本当ですか……?」
「嘘をついてると思うか?」
「先輩、私は生きても良いんですよね。無条件に生きていても良いんですよね。親の為じゃなく、先輩の為じゃなく、私の為に」
「ああ、俺は良いと思うぞ。全面的に肯定する」
「ああぁ、ああ……」
彼女は何かの糸が切れたように、涙を溢した。
俺はそんな彼女の背中をさする程度しか出来なかったけれど。彼女は嬉しそうだった。
「大丈夫か……?」
「はい、おかげさまで」
まだ花火も始まっていないと言うのに、相当に消耗していた。
「ま、あとは花火でもみて明るく閉めますか」
「そう、ですね」
ニッコリと笑顔を浮かべる彼女は、何処か安定した輝きを持っている様に見えた。
次第に花火が始まり、ドン、ドンと胸の奥に響く花が咲いては散っていった。その間後輩とは一言も話さなかった。ふりしきる炎の大輪にただ、俺は目を奪われていた。
「なあ、後輩よ」
花火が終わると、祭りの群衆も帰る雰囲気になっていく。そんな中、上手く顔を見合わせられない二人がいた。
「だから、その、なんだ」
ああ、自分で何を言いたいのか分からなくなってくる。感情のコントロールが出来ない。でもあの時とは違って、それが駄目だとは思わない。
「付き合ってくれ……恋人として」
「えっ……」
言った。言った。言った。言ってちゃった、言ってしまった。本当の本当にマジのマジで言ってしまったぁぁ。
「えっ、えっ、は?……えっと、そのぉ先輩?えっと!?」
顔を林檎のように真っ赤に染めて、ただただ困惑し続ける後輩。もちろん俺もそんな事を気にしてられない程に彼女と同じく動揺してているるる。
「だから!お前がその、嫌じゃなかったら恋愛関係になりたいって事だよ……」
「はぁ!?先輩ってほんとに馬鹿だったんですか!?だって私は先輩を貶めた元凶なんですよ!?」
「だぁぁああ俺も分かんねぇよ!!でもわざわざ謝りに来てデートまでしてくれる様な奴に惚れない男もおかしいだろうが!!」
「はぁーーー!?やっぱり先輩感性がおかしいですよ!なんでそんな変な事この場で言えるんですか!?ばかあほまぬけ!」
「小学生かよお前の語彙力!?」
17回目の夏の日の夜。
遂に俺に彼女ができました。
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