PokerFace

シメサバ

第1話 『安西徹』

 人を殺した。

 どこの誰ともわからない、知らない人だ。

 故意ではなかった。

 夜中に腹が減ってコンビニに寄った帰り、知らない男に絡まれた。路地裏に連れて行かれ、金を出せと言われた。嫌だと断ったらカッターナイフで脅された。じたばたと暴れながら抵抗していたら相手のナイフが飛んだので、相手がそれを拾う前に拾い上げた。そうしたら、男がそれを取り返そうと突っ込んできたので思わずナイフの先を向けたら、うっかり心臓に刺さってしまった。

 男はサングラスの奥の小さな瞳を見開いて、そのままうつ伏せに倒れたこんだ。カッターナイフは男の心臓に刺さったままだ。救急車を呼ぼうかと迷ったけど、ぴくりとも動かないので足で蹴とばして仰向けにしたら絶命していることに気が付いた。

 真っ赤に染まった心臓の辺りからナイフを抜くと、ぷしゅっ……と少量の血液が飛び散る。意外と出血が少ないな、と僕は思う。少ないだけで、死んでしまったことに代わりはないのだけれど。

 血の付いたナイフを投げ捨てて、死んだ男の頭の横にしゃがみ込み、男の顔を観察する。髭は生えているけど、サングラスを取ると意外と幼い顔立ちをしていた。高校生か、見方を変えれば僕と同じくらいにも見える。四月になってとっくの昔に桜も咲いてしまっているのに、まだ冬物の毛糸の帽子を被っている。意味もなくそれを取ると、毛玉みたいなくるくるの髪の毛が窮屈そうに飛び出してきて、僕のことを驚かせた。

 さて、どうしたらいいのだろう。

 川に流すという案は真っ先に却下した。なぜなら川がないからだ。このままこの場所に放置して帰るには少々気が引けるし、だからと言って、持って帰ることはできない。

 天上にある月が三回くらい雲の間に隠れる様子を見守ってから、僕は一つの結論を出す。

 そうだ、埋めよう。

 確か、ここから少し離れた場所に古くてぼろい公園があった。

 遊具も殆ど錆びていて草茫々で、見るからに誰も立ち入ってなさそうなお化け公園。

 そうだ、そうしよう。それがいい。

 ええと、シャベルかスコップはあったっけ。そういえばコンビニの前で道路工事をしていた。そこから借りてくればいい。

 などと一人で勝手に納得をして、所謂便所座りの状態から立ち上がる。立ち上がったそこで、僕はまた一つの疑問に追いついて、意味もなくそれを口走る、

「……ていうか、誰だ? これ」

「安西徹」

 僕の疑問に答えたのは、若い女の声だった。

 その女は僕の真後ろ、歩道の中に立っていた。

 道路の向こうにあるビルの逆光で顔が見えない。黒いシルエットからわかるのは、それが女性だということとどうやらスーツを着込んでいるらしいということそれくらい。

 モデルみたいに小さな顔からは煙みたいなものが流れてて、それが煙草だと気が付くことにほんの少々時間がかかる。彼女はそれを口に咥え、吐き出して、ハイヒールをかつかつと鳴らしながら僕の近くまで近寄ってきた。

 背が高い。顔が小さくて首が細くて手も足も長くてそして細くて、そのくせやたら胸が大きい。小さな顔の輪郭に沿うようにして、明るいブラウンの髪の毛を甘栗みたいなショートボブにしていた。外国の人形みたいに綺麗な顔をしている。睫毛が長い。ぽってりとした厚い唇と、そこから伸びる対照的な細い煙草。

 彼女は地べたに仰向けに倒れたまま絶命している男を見下ろすと、ふわり、と灰色の煙を吐き出した。

「これ、あんたがやったの?」

「あー……」

 殆ど確信に近い彼女の問いかけに、僕は間抜けな声で返答する。

 彼女はスカートを気にしながら僕の隣――男の横にしゃがみ込むと、膝の上に肘をつきながら男の傷跡を観察し始めた。

「へぇ。急所を一突きなんて、うまいことやったもんね。ここやると、血も殆ど出ないしあっというまに死んじゃうのよ。ほらここ、今丁度血が出てるとこ。わかる?」

 僕のことなど気にもせず、彼女はポケットからペンライトを取り出して瞼の裏を覗いてみたり口をこじ開けてみたり脈を計ってみたりといつかテレビで見たことのある「検死官」のように動いている。そのうち満足をしたのか、じっ、とその場に立ち竦む僕のことに気が付いたのか、ああ、というようにして厚い唇を半月状に形作った。

「ごめんなさい。つい、職業柄ね」

 職業?

「……警察官?」

 訝しげな僕の問いかけに、「まさか」というようにして彼女は笑った。

「そんなわけないでしょ。警察官だったら、とっくのとうに掴まえてるわよ」

 彼女はそう言ってたった今まで咥えていた煙草をぽいっと地面に投げ捨てて、ヒールの底で踏みつけた。それが五つに分裂するまで踏み潰し、胸ポケットの中から新しい煙草とライターを取り出して、火をつけた。

「あの」

「え?」

「しないんですか、その、通報とか」

 僕の素朴な問いかけに、彼女は目元だけでふぅ、と笑った。

「私が、この子の名前を知ってる理由」

 彼女のいう『この子』が、『安西徹』であると気が付くまでに、ほんの数秒時間がかかる。

「本当はね。私がこの子を殺すはずだったの」

「……えぇ?」

 思わず間抜けな声を発してしまう、僕。

 彼女は長い睫の奥から伺うようにして僕を覗き、続ける。

「この子、ちょっと面倒なことをしでかしてね……それで殺すことになったから跡をつけていたわけなんだけど。私が殺す前にあなたが絶妙のタイミングで殺してくれたわけだから、助かっちゃった。ありがとう」

「はぁ……」

 嘘なのか本当なのかよくわからない彼女の言葉に、状況を全く把握できていない僕は中身が空っぽの返事を返した。

 僕の返事に満足をしたのか、彼女は柔らかそうな前髪を掻き上げると、

「ところであなた」

「はぁ」

「初めて?」

 彼女の問いかけの意味が解らずに、僕は思わず首を傾げる。

「人殺しよ、人殺し」

 初めても何も、普通に生きている限り、二度も三度も人を殺すというのはなかなかないように思えるのだけれど。

 彼女は地面に転がっていたカッターナイフを拾い上げると、何かを確認するかのように血塗れの刃を出して、それをしまった。

「凶器っていうのは普通、その場に残していっちゃいけないのよ。これさえあれば、あっという間に犯人なんかわかるんだから」 

 窘めるかのような彼女の口調に、僕はついなんとなく謝らなければいけないような気分になる。「すいません」と小さな声で謝罪をすると、「わかればよろしい」と満足げな笑みを見せた。

「これからどうするつもりだったの?」

 数度目の彼女の問いかけに、僕は思わず首を傾げる。

「これよ、これ」

 そういいながら彼女がヒールの先で突くのは、死んで冷たくなってしまった安西徹の死体。

 ああ、そうだ。忘れてた。

「埋めようかと思ってたんですけど」

 僕の答えに、彼女は考えるようにして目を細めた。

「埋めるって、一体どこに埋めるの。スコップやシャベルはあるの?」

「近くに公園があったんで、そこに埋めようと思ってて。スコップは、そこで道路工事しているおじさんから借りてこようと思ってました」

「勝手に?」

「勝手に」

「……」

「……」

 暫しの沈黙――そして爆笑。

 ショートボブの彼女は堰を切ったようにして笑い出すと、さも苦しそうに腹を抱えて体を捩った。地べたに寝転んでばたばたと悶えるんじゃないかというくらいに笑って笑って笑い続けて、下睫の上に浮かんだ涙を拭う。

「はー、おかしい。あなた、面白い子ね」

 褒めてもらっているのだろうかと僕は思う。なんて言ったらいいのかわからないけれど、取り合えず何かを行っておいた方がいいのだろうと勝手に思って、口先だけで「ありがとうございます」とそう言っておく。

「でも、さっきの答えは30点かな」

 なんの答えだろう。彼女の発言は、なぜだかいつも主語がない。

「いくら真夜中といっても、あんたや私みたいに変わり者のどこかの誰かが通りかかるとも限らないでしょ。シャベルだかスコップだかを借りにいっている間に誰かに見つかっちゃうかもしれないし、あんた、もしそのスコップを一体何に使うのかっていわれたら、なんて答える気なのよ。それに、近くの公園っていっても歩けば結構あるでしょ。死体抱えて歩いたら、一体どれくらい時間かかると思ってるのよ。警官だって見回りしてたりするんだから、あんまり悠長にできないの」

 言われてみればその通りだ。確かにこんな時間、子供どころか大人だってそんなにふらふら出歩いていないようだし、工事で使っているかのような、でかくて重いスコップなんぞ使わない。それに、今目の前で倒れている『安西徹』は僕よりずっと背が高くて、一体何キロ重いのかわからない。

 彼女の言う通り、僕はこの、間違えて刺し殺してしまった死体をどうやって片付けるかばかり考えて、その周りの背景や問題を一切考えていなかった。

「普通だったら、もっとちゃんと準備をしてやるものなのよ。まぁ今回は殆ど事故みたいなものだから、準備も何もないんだけれど」

 普通だったらとか、普通だったらそんな簡単に人を殺したりするものじゃないと思うのだけれど。

 彼女はふっ、と厚い唇の間から煙を出すと、煙草をそのまま地面に落とし、再びそれを踏みつけた。

「ま、いいわ。お礼」

 彼女はヒールの底を鳴らすようにして踵を返すと、道路へ向かいながら肩越に振り向いた。

「今回だけ特別よ。ほら早く、それを車のトランクに乗せなさい」

「……?」

「ほら早く、早くしないと誰かに見つかっちゃうかもしれないでしょ」

 渋いワインレッドの車は、車道のすぐ脇に止めてあった。高級なのが一目でわかる、彼女みたいに綺麗でかっこよくてスタイルのいい素敵な車だ。僕がそれはドイツ生まれの高級車で誰もが憧れるスポーツカーであるということを知るのはもっとずっとあとの話だ。彼女の言う『それ』をなんとか引き摺らないようにトランクに押し込めた。(そこに至るまで大変だった。なぜなら彼女が、血痕を周りに残さない、死体を引き摺らないなどと色々注文を付けたからだ。それから更に、車を汚したくないなどと言いながらコンビニでレジャーシートを買ってきて、それで死体を包み込んだ)

 それはそこで終わりなのかと思ったけれど、どうやら終わりではなかったらしく、僕は今、何故か彼女の隣にいる。

「あんた名前は?」

「……」

「なによ、答えないなら少年Aって呼ぶわよ」

「……構わないですけど」

「じゃあAくん。あんた何歳? 中学生?」

「はあ、まぁ、多分、一応は」

「あはは、なにそれ」

「お姉さんの名前は?」

「ナオミよ。ナオミ・キャンベル」

「……」

「冗談よ、冗談。皆にはリコリスって呼ばれているわ」

「りこりす?」

「知らない? 北欧のお菓子。飴みたいな、グミみたいなやつなんだけど」

「知らない」

「そう。私、北欧の血が混じってるの」

 なるほど。それで、こんな人形のような顔をしているのか。

 ワインレッドの車の中は、女性らしくとても綺麗に整っていた。チョコレート色のハンドルカバー、同じ色の座席シート。バッグミラーの横では夢の国のネズミがふらふらと踊りを踊っていて、煙草を吸っているはずなのに、女性特有の、どこか甘い香りがする。

 瞬間、ぎゅぎゅ、と急ブレーキがかかり、突然の衝撃に前のめりになる。それと当時に、フロントガラスに並んだぬいぐるみの列の中から、一匹の犬が僕の膝の上に落下してきた。なんだと思って正面を見ると、酔っぱらった中年の男がふらふらと左右に揺れながら夜中の道路を歩いていた。

「あーもう、嫌になっちゃう。信号くらいちゃんと守ってほしいわよね」

 人殺しは見過ごしたくせに、社会のルールは守るんだな。

 そんなことを思いながら、落ちてきた犬をまじまじと観察する。全身が緑色の、愛嬌のある顔をした犬。

「それ、お茶犬っていうの。気に入ってるから落とさないでよ」

 気の抜けた犬とにらめっこをしていたら、ふいにお腹が空腹を訴える音を出した。そうだ、忘れていたけど僕は元々、食べ物を買うためにあそこにいたのだ。

「食べてもいいか」と問いかけると、彼女は「好きにしなさい」とそう言った。

「どこに行くんですか」

「私たちの……まあ、会社みたいなものかしら。そこ」

「どれくらい走るんですか」

「あと、一時間か、せいぜい一時間半てとこね。寝ててもいいわよ。ていうか、勝手に連れてきちゃったけど、あなた親とか大丈夫? そろそろ二時になるんだけど、心配してない?」

 今気が付いたというような態度の彼女に、僕はサンドイッチを食べながら大丈夫ですよとそう言った。

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