バカをやらかす勇者の末裔 身の程知らずな魔族の虜囚

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0.世界観の説明


勇者が魔王を倒して平和になった頃。

人間は、残された魔物の扱いに困っていた。




その場所を、「魔族交流会館 文化研究所」という。

文字通り、敵対関係でなくなった魔物ーー終戦後に名称が改訂され、今は魔族と呼称されているーーとの交流を深めるべく造られた建物だ。

……ということに、表向きはなっている。


長い廊下の真ん中を、しっかりとした足取りで歩く少女がいた。

肩の辺りで切り揃えた髪はふわりと広がって、歩く度に毛先が跳ねる。

白一色で飾り気もない直方体の空間を、一瞥もくれずに視界の端へ流す少女は、やがて歩を止める。


廊下の終わりには両開きの扉と、その隣に据え付けられた赤い光を漏らす機械。

重量感のある材質と物々しい雰囲気に臆することなく、少女は革ベルトに手を伸ばした。

チェーンでくくりつけられたカードを取り出して機械の赤い光に翳すと、光はゆっくりと動き、カードに刻まれた魔方陣を読み取った。


『ショクインバンゴウ 01332バン マッピー・マーフィー カクニン。

ニュウシツ ヲ キョカ シマス』


無機質な音声が響いたと同時に、赤い光が扉に彫られた魔方陣の溝を一瞬で走っていく。

次いであれだけ人を寄せ付けまいと締め切っていた扉は、金属が打ち合う重厚な解錠音と共に進入の権利を明け渡した。


扉が開ききると同時に、少女の歩みが再開される。

ほっそりとした手足は一見華奢だが、歩みにわずかなブレもない。

しゃんと鍛え上げられた体幹は、しなやかで美しい、まっすぐに育った檜を思わせる。

が、一方で足裏に込めた力はずしずしとまるで床を踏み潰すようで、華美さの欠片もなし。

眉間にこれでもかと寄せられた皺と同じ感情を表しているようだった。


無機質な白は扉を潜る前の廊下より汚れている。

煤けていたり、染みついていたり、傷が入っていたり。

汚れを放置している、というよりは清掃と修繕を終えてなおこの状態、という長年の戦いの痕跡を残す壁画を通りすぎる。


右手に握る、丸めた新聞紙がくしゃりと音を立てて潰れてしまった。

しまった、とほどけた眉間の皺に一瞬だけ後悔がよぎるが、読めるならまあいいかとすぐに視線を前に戻した。

少女はわりと大雑把な性質だった。


やがて突き当たりにポツンと佇むドアがあった。

先程の荘厳な扉とは違い、アルミで出来た片開きのドアは、へこみと立て付けの悪さが目立つ簡素なものだ。

右上の壁には手書きの文字で『事務室』と記された札が釣り下がっている。



魔族交流会館 文化研究所、正職員 マッピー・マーフィー。

本作の主人公でもあり、なにを隠そう魔王を倒した勇者の孫でもある彼女は今、



「おルゥアアアアアア出てこい主任!!!」



ドアを蹴り開け鬼のような形相で上司に吠えた。

蹴り開けられたドアから軋んだ蝶番と共に断末魔の悲鳴がほとばしった。




世界観の説明




長きに渡る魔王と人間の戦争が終結したのは、つい数十年前のことである。

敵いようもない身体能力や膨大な魔力、圧倒的な力の差に押し潰されながらも人間は歩みを止めなかった。


鋼のような甲殻や遥か上空を舞う翼には威力と射程距離を伸ばした武器を。

繰り出される摩訶不思議な現象には魔法と名を付け、解析と対抗策を。

硬い防具を、解毒薬を、あらゆる状況に対応できる陣形を、万人に使いこなせる策の伝達方法を。


微々たる進歩と戦闘のエキスパート達の総力が上回った結果、悪の親玉であった魔王は倒された。

こうして世界に平和が訪れたーーとはいかないのが現実である。

これはただ魔王という名の国王が倒れ、魔族という住民の所属が敗戦国となったというだけの話だ。

残された魔族たちの処遇は当然ながら勝者である人間に委ねられた。


が、ここで人間達の中で二つの派閥が興る。


「魔物は危険だ、全て処分してしまうべきだ」


という急進派。


「彼らの人間にない特徴は役に立つ、労働力として産業の一翼を担ってもらうべきだ」


という穏健派。


ちなみにこの穏健派、言っていることは平和的だが実際に見据えているのは奴隷としての動力源だ。


そうでなければこんな施設など建つはずもない。

魔族交流会館 文化研究所。

魔族と人間との交流を謳っておきながら、各魔族から人質と同義の代表を集めたその内情は、彼らの能力や限界を把握するための実験場なのだから。




そしてそんな実験場の事務室へ、怒鳴りこんでいるのが我らが主人公、マッピー・マーフィーである。


小さな部屋に所狭しと並べられたデスクの群れを掻き分けながら、せめてもの上座である、奥に設置された『文化研究所 主任』とプレートに表記されるデスクに向かっていく。


「あー、やっぱり怒るよね! 僕だって怒るもん!」


怒髪天を突く勢いで詰め寄ってきたマッピーに、物腰柔らかそうな初老の男性が首をすくめる。

量の少ない髪を後ろに撫で付ける彼は、これでも一応少女の上司である。

ばあん! と叩きつけられた机の振動でプラスチックのプレートが呆気なく飛んでいったが、歴とした役職持ちである。


「私、言いましたよね、『なるべく勇者の血筋であることは口外したくない』って!」


凄まじい剣幕のマッピーに、通りすぎたデスクの群れからなんだ何事だ、と視線が生える。


ばん! と駄目押しとばかりにもう一撃叩きつけたのは先程手に握っていた新聞紙。

一面を飾るのは『勇者の孫、魔族との交流推進に助力』という見出しと、これでもかとばかりに大写しになった少女が仕事に励む写真である。慈愛に 満ちた眼差しで微笑んでいる可憐さの面影は、背後で怒りの炎を燃やす今となっては影も形も見えなくなってしまったが。


「昨日の今日で、なんで思いっきりプロパガンダに使われてるんですか!」

「プロパガンダってそんな意味だっけ?」

「政治的な宣伝のことだろ」

「ええいしゃらくさい! こんなのほぼ政治絡みみたいなもんでしょうが!」


自分に矛先が向いていないからとデスクの影に隠れて議論しあう先輩方に、くわっとまるで御旗のように新聞紙を掲げる。


内容はざっくりといえば勇者の子孫が文化研究所に勤め始めたよ、これを機に魔族ともっと仲良くなれるといいね! というものである。

魔族を労働力化して国に広く浸透させたい穏健派の野望がちらりと見えかくれする。


「僕は一応反対したんだよ……」

「結果が伴っていない努力なんて何の意味もありません! というかやっぱり所長の差し金なんですね!」


耳を塞ぎながら言い訳する主任がほのめかした、今この場にいない研究所の最高責任者。

彼こそは過激派でも穏健派でもなく、「純粋に魔族たちと仲良くしたーい!」という、少数すぎて派閥にもならなかった意見の持ち主である。

穏健派に取り入りあれこれと手腕を尽くし、研究所の実権を握った行動力にはマッピーも感服している。

している、が。


「『魔族たちと交流を深めるためだもの、マーフィー君もきっと分かってくれるよ! お仕事だしね☆』って押しきられちゃって」


こうやって魔族以外の全てを骨まで利用しつくすのはいかがなものか。

正論をぶつければ全て納得できると思わないでもらいたい。


額に青筋を浮かべるマッピーの背後で、ずれたデスクの位置を戻しながら先輩職員達が小声にもなっていない雑談を続ける。


「ていうかあいつ、勇者の血族だったんスね。ただの同姓さんかと思ってましたわ」

「所長が絶賛してスカウトしたらしいから、なんかあるとは思ってたけど」

「それがなきゃ職なしだったんだから、文句言うなよ新入り」


自分に向けられた最後の言葉が鋭くマッピーの胸を突き刺した。


申し訳程度にフリルのついたエプロン、汚れの付きにくいチュニックワンピース。

ごついベルトと下げた剣、その他諸々そぐわないアイテムはあるが、マッピー・マーフィーは先日よりこの研究所に雇われたメイドである。


自他共に認める不器用さだが、メイドである。


家族が全員持つ退魔力や毒、炎のブレス、魔族が放つあらゆる攻撃をものともしない抵抗力をかわれて雇ってもらえたであろうことは百も承知だが、メイドなのである。


大事なことなので三度表記した。


「とにかく、マーフィーさんの意見は僕から所長に言っとくから。今日の分のお仕事、頑張って?」


うぐぅと胸を押さえたマッピーに好機とみたか、主任が畳み掛けるようにカードキーの束を押し付けてくる。

後押しとばかりに、始業開始のチャイムが鳴る。


「身元を公開したことによる給料の改善も求めます……」


その言葉が実現することは限りなく低いだろうと知りながらも呪怨のように低い声で付け足す。

言いたいことはまだまだあったが、働かなければお給金はもらえない。

世の中、求められるものはいつだって金だ。


渡されたカードキーをベルトに掛けて、スカートとエプロンを翻す。

壁に掛けられた短針は九時を指していた。

雇われメイド、マッピー・マーフィーの仕事が今日も始まる。



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