第43話 先生の過去②
先生は少し気持ちを落ち着けてから、続きを話してくれた。
交際をOKして先生は武人先輩と付き合う事となったが、如何せん男性経験はゼロだ。もちろん、どう付き合えばいいかなど、彼女にわかるはずがなかった。
友人の聡美さんに助言などをもらいながら、先生は先生で、できる事はがんばったらしい。お弁当を作ってみたり、授業を一緒に受けたり、空き時間に大学のカフェテラスで一緒に過ごしたり……大学では他のサークルメンバーや聡美さんもいたので、何とかうまくやり過ごせたようだ。
しかし、いざ二人きりになると、当然そういうムードになる。そして事件が起こったのは、付き合って二か月ほど経った頃だった。ろくに手さえ握らせてもらえなかった事に焦ったのか、武人先輩は無理に先生にキスをしようと迫ったのだ。そして、それに対して、先生は……武人先輩を拒絶してしまったのである。
彼女曰く、いきなり彼の顔が近づいてきたので、咄嗟に避けてしまったのだという。そこには拒絶する意思などはなく、いきなりで驚いて避けてしまった、というのが本音だったそうだ。
ただ、それも少し考えてみればわかる気がした。先生としてはなし崩しに付き合う事になっていたので、彼に対してまだ恋愛感情を持ってなかったのだ。周りに人がいることで、何とか付き合っている体裁を保てていただけなのだろう。
「今にして思えば……無意識に大学以外で会うのを避けてたのかなって。土日もバイト入れてたし」
先生は苦笑いをして、話を続けた。
彼女自身も拒絶した事には悪いと思っていて、『まだ慣れてないからもう少し待って欲しい』と彼にちゃんと話したそうだ。もう少し慣れて時間をかければ大丈夫、と先生自身思っていたらしい。武人先輩も、その場では理解してくれたそうだ。
彼の理解が得られた事で、先生も気持ちを持ち直した。これからもっと恋愛に前向きになれるよう努力しようと決意したのだ。以降、彼女は出来る事をやろうと弁当を毎日作ったり、一緒にいれる時間をなるべく作ったりした。彼女なりに少しずつ努力していたのだ。
しかし、先生の努力は報われなかった。その二週間後に彼女が見たものは──同じサークルの別の一年女子とキスをしている武人先輩の姿だった。武人先輩は、先生とは別れるつもりで他の女に乗り換えていたのだ。
『だって……お前、退屈なんだもん。一緒に居ても面白くないし』
武人先輩が彼女に言った言葉はそれだった。
『挙句に、もう二か月以上付き合っているのにセックスどころかキスもさせないってさ、何様のつもり? 顔が良いからってどれだけ自分を高く見積もっているんだよ』
先輩はそう吐き捨て、彼女の前を去った。
「ショック、だった……」
その時の気持ちを想い出してしまったのか、先生は涙をぽろっと流した。
「私が悪かったのもわかってる。他の女の子にも、二か月付き合ってて何もしなかったらそう言われても仕方ないって言われたし……でも、私、」
──頑張ったんだけどなぁ。
呟くように彼女は言い、また涙を流した。きっと、それはさっきまで流していた涙とは別の涙だ。
先生が武人先輩の事を好きだったのかどうかはわからない。もしかしたら、好きになろうと努力していたのかもしれないし、本当に好きになりかけていたのかもしれない。それに、裏切られた事への悲しみもあるだろう。それらが色々混ざりあっていて、その涙の意味をおそらく彼女自身も理解していないのだ。いや、人生で初めて男性と個人的に関わりを持って、その終焉がそんな結末なのだから、傷つくのも仕方ないのかもしれない。
その武人先輩とやらは、先生の純粋な気持ちを裏切ったのだ。恋愛に前向きになろうと、彼氏の気持ちに応えようと頑張ろうとしていた純粋無垢な気持ちを踏みにじった。当時の先生の気持ちを想うと、怒りで手が震えた。
(なんだって……なんだってそんなひどい事が言えたんだ)
男として……その先輩の気持ちがわからないでもなかった。付き合っているのに何もさせてもらえないなら、そう思ってしまうのかもしれない。でも、それならキスを拒絶された時点でもう別れておけばよかったのだ。そうすれば、きっと先生はここまで傷つかなかった。気持ちを持ち直して前向きになろうとした途端にその現場を見せつけられて、傷つかないはずがないのだ。
でも、本当に好きなら……それぐらい我慢しようと思うのではないか。彼女の心が開くまで、待とうという気になるのではないか。むしろ、そうしてやるべきなのではないか。
その先輩は、あまりに自分勝手で卑怯だ。もともと先輩として権威を持っていて、先生が断りにくいような状況を作って付き合って、しかもそれでいて何もさせてくれないから、とちゃんと別れないまま他の女と付き合うだなんて……何も順序を守っていないではないか。
付き合ってもないのにキスしてしまっている俺が言うのも何だけど……それでも、到底彼の行動・言動を許す事はできなかった。
でも、今の俺では、ただ涙を流す彼女の頭を抱え込み、その頭を何度も撫でてやる事しかできなかった。
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