第40話 初めての拒絶
「ねえ、湊くん。どうしたの? 帰るなら方向逆だよ?」
先生は不安げな声を上げながらも、文句を言わずに俺についてくる。叱ってもいいはずなのに、怒ってもいいはずなのに、彼女は文句を言わない。困ったように眉を寄せ、こちらを伺うように見るだけだ。
「あの、さっきの人達は同じ大学の人で、絡まれてたってわけじゃ……」
「絡まれてたようなもんじゃないですか。酔っぱらって、先生が嫌がってる事も察してなかったし」
「それは……」
先生はしゅんとして視線を落とした。
神社の裏手は祭りの喧噪とはかけ離れていて、誰もいなかった。
遠くから賑わいの声が漏れてくる程度で、あたりはしんとしている。真夏の虫と夜の蒸し暑さで、汗がたらりと流れて苛々した。
「でも……俺は、あいつらよりも下なんですよね」
俺の唐突な言葉に、先生は「え?」と首を傾げた。
「明大生どころか、大学生ですらない俺は、あんな馬鹿そうな奴らにも及ばないんですよね」
「そんな事──」
「じゃあ、何で俺には話してくれないんですか!」
俺が先生を彼らから引き離したのは、ただ絡まれているからという事だけではなかった。
先生が他の男と話しているのが嫌だった。あの時のオープンキャンパスの時みたいに、また苛々が膨れ上がって、冷静になれない自分が嫌で嫌で仕方なかった。そして、話を聞いていると、どんどん俺の知らない先生が見えてきて、それが何より嫌だった。
「サークルの事とか、その何とかって先輩の事とか……」
その二つの言葉を出した時、彼女の体がびくっと震えた。
「聞いてたんだ……」
「すみません、聞こえちゃいました」
盗み聞く気満々だったくせに、よく言ったものだ。でも、先生はそれを咎める事なく、ただ「そっか」と呟いただけだった。
「……やっぱり、俺には気軽に相談なんてできないですよね。高校生だし……」
「そういうわけじゃなくて……高校生とか、大学生とか、関係ないよ」
「じゃあ……俺が生徒で、先生が家庭教師だからですか?」
だめだ。対等に見られたいはずなのに、その為に頑張っているのに……ちょっとこうして不安になるだけで、俺のこれまで持っていた自信なんてものは簡単に崩れてしまうのだ。それで、先生をどんどん責め立てるような言い方になってしまう。悪循環もいいとこだった。
「ねえ、湊くん……」
「はい……」
「私にだって、話したくない事はあるんだよ?」
少し悲しげな表情で、先生はそう言った。
これは、初めて彼女から拒絶された瞬間でもあった。何でも許してくれるわけじゃない事に安堵を覚える反面、彼女から拒絶されるとやっぱり辛くて、悲しくなった。そして何より、そんな当たり前の事すら見えなくなっていた事がショックだった。
先生の言った言葉は当たり前で、誰にだって秘密にしておきたい事はある。それは俺にだって、きっと神崎にだってあるはずで、もちろん先生にもあって当たり前だ。
しかし、俺は一連の出来事で自分を見失い、そんな当たり前の事すら配慮できないほど余裕がなくなっていた。自分の未熟さを改めて指摘されたようで、何よりもショックだったのだ。
「そう、です、よね……」
言葉を絞り出すので精いっぱいだった。
気の利いた言葉も、謝罪の言葉も、何も浮かんでこない。
「すみません……俺、ちょっと調子乗ってました」
先生とキスをして、先生と出掛けて、家に行って、お祭りに来て……距離が近づき過ぎていて、自分が特別な存在なのではないかと、勘違いしていたのかもしれない。
本当は、ただの生徒なのに。ただ勉強に付き合う過程で、その過程に誤りが起きて、キスしてしまっただけの事で。彼氏彼女でも何でもないのだから。それを自覚すると……何だか、眼の奥が熱くなった。このままだと、泣いてしまいそうだ。
「……帰りましょう。すみません、せっかく誘ってくれたのに──」
「待って」
先生を横切って祭りの会場に戻ろうとすると、先生が咄嗟に俺の腕を掴んだ。
驚いて顔を上げると、そこには──不安げに涙を浮かべた先生がいた。
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