第5話 期待してしまいます。
「はぁ……」
学校での昼休み、教室の窓から中庭を見下ろして、嘆息した。
ふと、自分の唇に触れる。
(昨日……本当にキス、したんだよな。憧れの、あの先生と)
昨日の甘美な時間を思い出すだけでドキドキしてきて、胸が張り裂けそうになる。あの数分間の出来事を事細かに脳内で再現して、切なくなって、胸を押さえてしゃがみ込みたくなった。
(『これからも、頑張ろうね』って事は……怒ってない、んだよな?)
昨日の別れ際を思い出してみても、先生が怒っているようには思えなかった。辞める云々の連絡もない。
大学生だから、やっぱりキスぐらいそれほど大きな問題じゃないのだろうか。俺にとっては人生で初めてで、一目惚れした人とのキスだから、一生忘れないと思うのだけど……先生にとっては、何人目のキスだったのだろうか。
(大学生、かぁ)
ふと教室を見回すと、クラスの女子がきゃあきゃあ言いながら動画SNS用TikTakの動画を撮って遊んでいる。いつでも五月蠅くて、大声で、ガサツで……時折いい匂いがする程度の存在。だから、どちらかというと女子は苦手だった。
「何見てんのよ、結城」
クラスの女子が俺の視線に気付いて、突っかかってきた。ただちらっと見ていただけで突っかかってこられても困るのだけれど……だが、女子は強い。反論してもどうせ言い負かされるので、「何でもないよ」とだけ返して、視線を再び窓の外へと移した。その後も一言二言文句らしい事を言われていたが、俺にとってはもはやクラスの評判などどうでも良い事だった。
(全然、先生と違うな……)
つい、先生と比べてしまう。
たった二つしか年が変わらないはずなのに、先生はおしとやかで、優しくて、大人で、俺が昨日みたいに多少おいたをしても笑って許してくれて……全然違う。
あれが大学生だと普通なのだろうか。それとも、先生も学校ではもっとはっちゃけているのだろうか。
そういえば、先生はどんな高校生だったのだろう? 彼女も高校生の時は、あんな風に友達と騒いでいたのか、それとも今とそんなに変わらなかったのだろうか。
あんなに綺麗だから、高校生の頃から彼氏もいて、今も大学できっとたくさん男に囲まれてて──って、ああ、もう!
昨日の夜からずっとこれだ。
寝ている時以外、ずっと先生の事を考えてしまう。会うはずがないのに通学路で先生を探してしまうし、どこかで偶然会ってしまうところを想像してしまう。
そして、少し考えこめば、今度は先生の周りの環境はどうなのか、とか、今何してるのか、とかばかり考えてしまう。そして勝手に落ち込んで、むしゃくしゃしてしまうのだった。
(あ……)
中庭を見ていると、一緒にお弁当を食べているらしい一組の仲睦まじいカップルが目に入った。
確か、同じ学年で有名なカップルだ。女の子の方が昨年転校してきて、可愛いと話題になったので、よく覚えている。ただ、今では彼氏にゾッコンになってしまい、あたり一面に砂糖をばら撒くシュガップルという不名誉なあだ名をつけられていた。
彼氏が冗談か何かを言ったのだろう。その子が幸せそうに笑っていた。
(あ、この子、困り顔がちょっとだけ雰囲気が先生と似てる)
一瞬そう思ってしまって、頭をぶんぶんと振る。
最悪だ。誰彼問わず先生と結びつけるなんて、どうかしてる。しかも人の彼女なのに。
それにしても、中庭で仲睦まじくお昼ご飯、か。こっちは仲の良い女友達すらいない灰色の高校生活を送っているというのに、羨ましい限りだった。
俺はもう一度溜め息を吐いて、視線を教室に戻した。
鞄からパンを取り出そうとした時、スマホがぶるるっと震えた。LIMEのメッセージだ。
何となしにディスプレイを見てみると、送信者名が『三枝結月(先生)』だったので、音よりも速くタップして全文を表示させた。
『ちゃんと授業受けてる?』
サボるなよ、という可愛らしいあざらしのキャラのスタンプも添えられている。
一気に胸が高鳴って、頬が熱くなった。
先生とはLIMEを交換していたが、事務連絡でしか使った事がなかった。いつもは、もう家にいるとか、ゼミが長引いて少し遅れる、だとかそういったようなようなものばかりだ。こうして意味のないメッセージが送られて来たのは初めてだった。
『大丈夫です、何とか起きてます』
先生が使っているあざらしキャラが居眠りをしているスタンプ(慌てて買った)を返すと、すぐにあざらしが大きなハリセンでバチンと叩いているスタンプが返ってくる。
(ああ、もう! にやけるからやめろって! 期待しちゃうじゃないか!)
先生も暇だったのか、そのあと何通かそんなくだらないメッセージをやり取りしていた。
それだけなのに、この上ない幸せを感じてしまっていた。
キスしておいて何だけど……本当にもう恋をしているんだな、と改めて実感させられてしまった。
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