二品目 セールストーク

 とある休日のお昼過ぎ、人気のカフェのオープンテラス席で、抹茶豆乳ラテを飲む。これが僕のある種、ルーティンになりつつあった。

 もともと、会社員時代に休憩としてや商談の場所として利用していたのだが、リモートワークが奨励され始めてからは仕事場となった。

 そして今、俗にいうフリーランサーとなった僕は、このカフェを仕事場というより、主に憩いの場として利用している。

 自分にとって今や休日というのは仕事の予定が入ってない日というものであるため、一般的に平日であっても、僕にとって休みというのはよくある。だから今日だってお昼の時間帯だというのに、店内にいる客の数は思ったより少ない。これは僕にとっては好都合だし、むしろそれを知っていて敢えて来ていると言ってもいい。

 ゆっくり考え事をしたり、いっそ何も考えずただ時間をやり過ごしてみたり。小学生や大学生のような、学生の時にしていたようなことを、それ以来振りに満喫してみる。僕の至福の時間だ。


「すいません、向かいの席、良いかしら」


 突然声をかけられて、久しぶりにドキリと体が跳ねた。おかげで手に持っていたラテがグラスから零れそうになった。

 なんだ、突然に、と不満が込み上げるのを抑えながら声の主を振り返ると、透き通ったような大人な声の印象の通り、そこには切れ長の目に鼻筋の通った顔の女性がしっかりとこちらを見て立っていた。

 声が透き通っていれば、肌も目も透き通っているのかと思ってしまうほど綺麗な顔に見られて、つい直前まで一人でゆっくりするためにここにいるのにと思っていたのに、思わず「どうぞ」と言ってしまった。


「ありがとうございます。どうも一人で飲むには寂しくて」

 何を酒飲みのようなことを言ってるんだ? と思いながらも、「はぁ」と曖昧に相槌を打つ。僕もなんて物好きなんだか。

「けど、なぜこの席を? 僕以外にも、人はいるのに」

 当然の疑問だろう。少ないと言っても客はいる。僕は彼女に直球を投げてみた。すると彼女は、何がおかしいのか目を細めて口元を手で隠しつつ、小さく笑った。

「ふふ、そう思いますよね? 実はテラス席が好きなんです。私もあなたと同じで」

 この女性はまた不思議なことを言う。そんな苦しい言い訳で納得すると思ったのか。それに、なぜ俺がテラス席が好きだと知ったんだ。

「今、言い訳が不自然だと思いましたか? あと、なぜ自分もテラス席が好きだと分かったのか、とも」

「あ、あの、揶揄ってるんですか? あぁ、わかった。これ、ドッキリか何かでしょう。テレビでよく見ますよ? どこかからカメラで撮ってて、ターゲットにしやすい人を探して、それでわざと横に座るんです」

 僕がそう言って辺りを見回す。彼女はその様子を見ながら、またしても不敵に笑う。まったく、さっきから何がおかしんだ。綺麗な女性が急に相席を頼んできて、少しばかり期待してしまった自分が恥ずかしい。既にもう、彼女に対して不信感が芽生えてしまった。

 いや、期待感が拭い去られたかというと……正直そうではないけど。

「そう思うなら、存分に見回してカメラを探して下さっていいですよ?」

「いや、やめておきます。貴女は揶揄うのがお好きなようだ。それならこちらもこちらです。騙されているのならそのまましばらく付き合いましょう。僕もまぁ、退屈しのぎでここに来ているようなものですしね」

「ふふっ、そうですか。じゃあ、その退屈しのぎ、ご一緒します」

 まったく、つくづく変わった女性だ……。そう思いながらも期待する僕がいる。


 しかし、その会話以降、相手からのアクションが一切なくなってしまった。数分、数十分経っても何も起こらない。むしろ、相手の女性は本を取り出して何やら読み始めてしまっている始末だ。

 こういう時、僕から話を持ち出した方がいいのか? これがドッキリであろうと、なかろうと、会話というもの、とかく女性との会話となるとめっぽう弱い。何をすればいいのか分からなくなって、無言になる。

 仕方ない、僕はそう腹をくくってスマホの画面から目線を上げた。すると、さっきまで本を読んでいたはずの彼女と目がバチッと合った。

「えっ、な、なんですか?」

「ちょっと、これを見ていただけますか?」

 女性は徐に本を閉じてそれをテーブルに伏せると、彼女の持っていた小さなショルダーバッグから何やら取り出して、それをテーブルの真ん中、僕と彼女の間に置いた。

「何ですか? この小さな黒い箱は」

 その直方体の箱は、どの面をとっても一般的なたばこの箱より一回り小さく、ちょうど昔、子供の頃に実家の祖母に教わった花札の箱を思い出した。まるであの箱と同じような大きさだ。

 箱をまじまじと眺めながら質問をすると、彼女は「フフッ」と笑った。しかし、今度は可憐な感じのものではなく、魔性な女性を感じるものだった。

「もしも、もしもの話ですよ? これが、パンドラの箱なんです。と言ったら、貴方はどうしますか?」

 僕は思わず顔を上げた。見上げた先にある彼女の顔は、不敵に笑みを浮かべ、それでいて目の奥では何か別の物が宿っていた。

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