短編集 「闇鍋」
昧槻 直樹
一品目 村の祭り
山間にある集落。それが、俺たちの住んでいる場所。周囲を山林に囲まれて、人の行き来はほとんどない。
そもそも俺自身が、ここ以外で他の集落や人間を見たことがない。魚や山菜を売りに来たという人間を見たことがあるだけだ。
外の世界が気になったことはない。第一、ここ以外に人がいるとも、住む場所があるとも知らないし、あるとも思ってない。ここの生活が退屈だと思ったこともないし、むしろ十分だ。だから、外の世界を夢見たことがない。
ただ、唯一つまらないことと言えば……。
「こらっ、コウ! 何度言ったら分かるんだい! 他人に迷惑を掛けたらだめだって言ったろ!」
「にわとり小屋に入って遊んでただけじゃねぇかよ!」
「なにが遊んでただけだよ! にわとり追い掛け回して襲うのが遊びかい!?」
「うるせぇなぁ!」
「あ、こら! まだ話は終わってないよ!」
あぁ、つまらない、つまらない、つまらない。妹と遊んでたら、妹が泣きだしたせいで怒られ、隣の家のおじさんの所へ遊びに行ったらおじさんが怒り出し、その後親にも怒られた。ある日はこの集落に引いてある小川で遊んでたら怒られた。理由は分からないけど。そして今度はにわとり小屋に入って遊んでたら怒られた。はぁ、全くつまらない。そういう意味で言えば、ここでの生活は全く退屈だ。
「よお、コウ。また怒られたのか?」
「あ、ジュン。なんだよ、またって」
気が付いたら集落の端まで来ていた。そこで草刈りをしていた友達のジュンに出くわした。
「ん、違うのか?」
「違うこと、ないけど……」
「やっぱり。そうそう、もうすぐ祭りだな。何するか聞いてるか?」
あぁ、そう言えばつまらないものがもう一つ。10年に一度あるというこの集落の祭り、「鬼鎮祭(きちんさい)」。親や周りの大人から教えてもらったのはこれくらいだけ。
「いや、なにも。けど、おっとう(お父さん)がこの前、なにか大きな箱に黒い液体を塗ってたのを見たな」
「黒い液体? もしかしたら、それは漆かもな」
「漆? そっか、どうりで光沢があったはずだ。でも、それでなにを作ってるんだろうな」
「そうだな……。なんたって、俺らにとっては初めての祭りだからなぁ」
俺らは集落の景色を見回した。祭りが近づくにつれ、周りの大人たちは知り合いの顔をした他人のようになる。
俺らの仲間の中に、異質なものが紛れ込んでいるかのような感覚に押しつぶされそうになりながら、俺らは祭りの日を迎えることとなるのだ。
俺らがまだ物心がつくか、つかないかというほど幼い頃、 その時以来の祭りの日が、ついにやってきた。
祭りは朝から始まる。まず集落の南に二か所ある山林への入り口へ松明を置き、集落の大人たちが太鼓を打ち鳴らして踊り始める。
そしてその太鼓の音が響く中、俺やジュンを含めた四人の男子が集落の中でも一回り大きな建物に呼ばれた。
村長とみんなから呼ばれているおじさんが話し始めた。
「みんなに集まってもらったのは、御輿を担いでもらうためなんだ。早速中に入って、見てもらおうかな」
“みこし”ってなんだ? と四人して顔を見合って首を傾げた。促されるままに建物の中に入ると、その中央に、先日おっとうが漆を塗っていたあの真っ黒で大きな箱が二本の柱に乗った物体が台座の上に置かれていた。これが村長の言う、“みこし”?
「君たちは初めて見たと思うけど、これが御輿だよ。この二本の柱を、前後二人ずつで肩に担いでもらって、そのままこの集落を囲む山林の中を練り歩いて来てほしいんだ」
「なぁーんだ、そんなことか。それだけでいいのか?」
俺は内心ホッとした。もっと面倒くさいことでもするのかと思っていたからだ。気の抜けた俺は、もうすでに他人事のような気分だ。漆で塗られた箱に映る俺やみんなの姿に、既にもう気が移っている。
「俺たちの顔ってこんな感じなんだなぁ」
「コウは暢気だな。どれくらい歩くのか分かってるのか?」
ジュンが俺の方を見て苦笑いを浮かべる。他のもう二人の男子、カナとマサも笑っている。
「勿論、山林に入ると危険が多い。足場は所々悪いし、野生の動物にも会うかもしれない。特に、北の方角にある山道では、鬼に会うという言い伝えがある。それで……」
村長は説明の途中でゴソゴソと自身の後ろに置いてあった風呂敷をほどき始めた。そして、その中から何かを取り出して俺らに渡してきた。
「これからこのふんどしに着替えてほしい。それから、上に乗ってる脇差は護身用だ」
「え、まさかこのふんどし一枚で歩き回るんですか?」
村長の説明にカナが声を上げた。俺たちも怪訝な顔をしてみせる。確かに、小川で遊ぶときとかは上半身をはだけさせて過ごすことだってある。だけど、わざわざふんどし一枚で歩き回るなんてことはしたことがない。これには俺たち四人とも抵抗があった。
そんな俺たちの態度に、村長は苦し紛れに言い訳を始めた。
「この格好が、昔からの習わしなんだ。つまり、ずっとこの祭りではこの格好をしていたんだよ。それに、鬼が出るとさっき言ったけど、その鬼っていうのが女性は襲わないらしいんだ。でも、この集落は昔から男性の方が多い。その上、この思い御輿を女性が担いで歩くのは難しい。だから、若い君たちのような男子が担ぐことになったんだ」
村長の話を聞いても、まだ納得のいかない俺だったけど、隣でジュンが小さく首を横に振った。
「コウ、諦めようぜ。ここでごねたって祭りは終わらねぇと思うし、それに、さっさと終わらした方が得だと思うぜ」
「ジュン、お前って冷めてるよな」
ジュンの冷めっぷりには呆れたが、まぁ、仕方ない。ここは引き下がって、こいつの言う通りササッとやっちまうか。……と、思ったけど。
「や、やっぱり恥ずかしいぜ……」
「なんか、全身が涼しい」
着替えてみて、やっぱりふんどし一枚は耐えられない。まだ外は日差しがあって暖かいというのに、なんだか涼しさを感じる。
「やるしか、ないんだよね」とカナ。「そうだね」とマサ。
そのまま俺たちは脇差を腰に差し、意を決して御輿を担ぎ外に出る。前を俺とジュン、後ろをカナとマサが担いだ。
外に出るなり、大人たちの歓声が上がった。いつの間にか太鼓の音は鳴りやんでいた。
大人たちは口々に、「気を付けていくんだよ」「無事に帰っておいで」などと言ってくる。祭りとはいえ、危ないかもしれないところに子供だけで行かせて、それでなにを言ってるんだと思いながらも、短く「はい」とだけ答えた。
「順調に帰ってくれば、日が暮れるまでには帰ってこれると思うけど、あんまり道草食ってくるんじゃないぞ?」
村長がそんな冗談を飛ばす。しかし、ふと気づいてしまった。その言葉の瞬間、その一瞬だけ村長の目が笑ってないように見えた。
それに気づいたのは俺だけだったのか、他の奴らは照れ臭そうに笑いながら周りの大人たちに手を振っている。
もう一度村長の顔を見ようと視線を振ったとき、自分の両親と目が合った。
「気を付けていくんだよ!」「周りのこと喧嘩するなよ!」
「わかってるよ!」
こんな時でもお節介を言う親。だけど、何故かこの時はそんな言葉も寂しく感じた。
そんなこんなで、いよいよ本番が始まった「鬼鎮祭」。集落の南にある入口のうち、集落に背を向けて右にある入口から山道に入っていく。
俺たちは、最初の内こそ和気あいあい、意気揚々と御輿を担いで歩いていたものの、途中から口数はガクッと減り、足取りも全然悪く、最初と比べて遅くなってしまった。
第一、御輿の柱とそれを乗せている肩の間に、事前に布と綿を重ねたものを挟んでいるとはいえ、それでも重さが軽くなるわけでも、柱が皮膚に食い込まなくなるわけでもない。気分的に「まし」になるだけだ。
「なぁ、ジュン。どれくらい歩いた?」
「先からそればっかだなぁ。黒い布が見えたらそれが半分の距離を歩いた印だって、出発する直前に村長から聞いたろ? それまでは取り敢えず歩こうぜ」
俺たちはそんな会話をしながら歩いた。ただひたすらに歩き続けた。
そんなとき、ある疑問が俺の頭の中に浮かんだ。もしかしたらきっと、他の三人の中にも出てきていたかもしれない。それは——。
「この箱の中には何が入ってるのか」
そんな今更のような疑問が口をついて出ようとした時だった。後ろで御輿を担いでいたマサが「あっ」と声を上げた。
「あそこ、黒い布! 木に縛り付けてある」
見回すと、確かに自分たちから見て右側の、崖に生えた木の一本に黒い布が縛り付けてある。そよそよと、なんだか頼りなく風になびいてやがる。
「はぁ、やっとかよ」
「ちょうど開けた道に出たし、休憩しようぜ」
落石だろうか、左側の斜面にちょうど御輿を乗せられそうな大きな岩が転がっていた。それを見た俺たちはいったんこの御輿を下ろして休憩しよう近付いていった。
その時だった。急に視界が揺れ、同時に後ろから木組みの物が壊される音、そしてカナとマサの悲鳴が聞こえた。
「きゃぁっ!」「わぁっ!」
突然の出来事に対応できず、地面に叩きつけられた。隣にいたジュンや、担いでいた柱に頭や腰を打ちつけてしまい、激しい痛みに悶え、呻いていると、視界に何か蠢く黒いものが入った。
「な、なんだ……?」
「なんだこれは! 話が違うじゃねぇか!」
壊された御輿の上に乗って、その蠢く黒い何者かが何かを叫んだ。その叫び声や叫ぶ姿を見て、ようやく俺はそれが人影だったんだと気付いた。
しかし、痛みに歪む視界の中で、その人影が何なのかはわからなかった。しかも、頭の中も「痛い」でいっぱいだ。その人影がなんていったのか、聞こえたのに分からない。
「お、鬼だ……鬼が出た!」
また誰かが叫んだ。聞き覚えのある声だ。この声はカナとマサだろうか。
そんなことをぼんやり思っていると、黒い影が近付いてきて、俺の首根っこを掴んできた。
「うっ、ぐっ!」
「食べ物を運んでくるって話だったじゃねぇか。なんで何にも入ってねぇんだ!」
黒い人影の言葉がようやく頭に入ってきた。そこでようやく意味が分かって慌ててその者の背後に目をやった。そして目に飛び込んできた光景を見てぎょっとした。
俺たちがしんどい思いをして、重いと思いながら、柱が肩に食い込んで痛いと感じながら、それでもここまで運んできたあの御輿は、ただただ重いだけで何も入っていない、空っぽの箱だったのだ。
「まさか……この祭りって、食べ物をここまで持ってくる、祭り……」
地面に押し付けられ、首を抑えられたままの俺は、もう一つ気が付いた。この人物、肌がただ黒いんじゃなくて、何か松明の焼け残りや藁を焼いた後のすすで全身黒くなっているのだ。
「鬼め! コウから離れろ!」
声がした方に目線を向けると、ジュンがあの脇差を抜いて、俺の上にのしかかる真っ黒い人物に切っ先を向けていた。
「ジュン、やめ……にげろ……」
このままでは、もしかしたらジュンまでこいつに襲われてしまう。そう思った俺だったが、刃を向けられて怖気づいたのか、予想に反し、黒い人は白目をぎょろりとさせながら、ゆっくりと離れ始めた。
俺はその隙を見てせき込みながら急いで後ずさりする。
「何なんだてめぇ! 俺らはこの御輿を担げって言われただけだ! 何の話か知らない!」
俺も脇差を抜いてジュンの横に立つ。こいつが鬼か。見てたらだんだん、俺らと変わらない普通の人間に見えてきた。
「あいつ、腰が引けてやがる」
俺が鼻でせせら笑うと、ジュンが小声で話しかけてきた。
「なぁ、いっそ鬼を片付けちまおうぜ。あの様子だと、簡単に挟み込めそうだし」
「なるほど、のった」
俺たちはそう言い合うと、早速行動に移った。ちょうど、少し前に猪狩りをした時のことを思い出す。
「こんなこと、前にもあったな」
「あぁ、あった。あの時もこうして挟み込んだっけ」
「っ!」
俺たちが鬼を挟んで両側に回ったとき、鬼が自分で壊した御輿の残骸に躓き、よろめいた。俺たちはその瞬間を見逃さなかった。
「やぁーー!!」「りゃぁぁぁっ!」
見えている景色がゆっくりに見えた。ジュンが脇差を払うのが見え、俺は鬼の心臓めがけて刃先を突き立てる。
ジュンは鬼とぶつかる寸前で横にそれて身をひるがえす。俺は勢いそのままに脇差を深く、より深く突き刺して鬼を押し倒す。
「コウ!」
鬼と一緒に地面に倒れこむ形となった俺に、ジュンの声が飛ぶ。
図らずも鬼と抱き合うような感じになった俺は、触れ合った相手の肌が、俺たちと変わらない人肌のある生き物なんだと感じて思わず身震いする。
恐ろしくなって慌てて立ち上がる俺の横にジュンが駆け寄ってくる。そして二人して鬼の顔を見てまたしてもぎょっとしてしまった。
恐怖に目を見開いたその鬼の顔が、あの村長の顔にとても良く似ていたのだ。
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