第39話 幼馴染がつけている日記を見つけてしまう

「いつぶりかしらねえ、家に来るの。小学生くらいの頃までは、日替わりでどっちかの家に集まっていたものねえ」

 日立さんのお母さんは、台所でお茶とお菓子の用意をしてから、僕が待つリビングのソファに座った。


「そ、そう……でしたね……」

 ……だとしても、僕はまったく覚えていない。


「はい、どうぞ。この間、お父さんが仕事の取引先の人からお菓子たくさんもらったみたいで。まだ全然あるから、食べちゃって」

「……あ、ありがとうございます」


 そう言って、僕は出されたお茶とお菓子を少しずつ口に含む。正直、これから何を話されるかが気になって、味はちっともわからない。


 家系なのかわからないけど、日立さんの家は、どことなくふわふわした雰囲気が漂っていた。そこらしこに家族写真が飾られていたり、見ていて脱力するような外見のクッションが置かれていたり、布地でできたティッシュケースには、顔文字が書かれていて、なんかほんのりとする。


 リビングに置かれているソファ全体に利くように首を振っている扇風機さえも、宇宙人ごっこをしている日立さんの姿を思い浮かばせる。……やってそうだし。


「ああいうのは、大体茉優がやっているの。私に似て、のんびりした子に育ったから。部屋はもっと凄いわ」

 僕の視線の行き先に気づいたのか、お母さんはそう話してくれる。


「……写真はね、一年前くらいまではもっと飾っていたのよ? でも、茉優が全部片づけちゃって。多分、残りはアルバムのなか。廻君が映っているのも、そこにあるはず」


「……なるほど」

「……大きくなったら、ひっくんのお嫁さんになるーって、何歳まで言ってたかしら。十歳になるくらいまでは言ってたかな」


 ひっくん、か。

 ……お母さんからその呼び名が出たってことは、もう間違いない。確定だ。

 昔、日立さんは僕のことをひっくんって呼んでいたんだ。


「まさか、高校生になっても、仲睦まじいままとは思わなかったけど。普通、男女の幼馴染って、途中から段々距離ができるものなのに」

「……そういうもの、かもしれませんね」


「最近、茉優とはどう?」

 流れるように、なんでもないようにされた質問に、僕は身構える。

 恐らく、ここからが本題なのだろう。


「……そうねえ。たっくん、って聞いたほうが、いいかしら」

「っ……」

 瞬間、僕らの間には扇風機の羽の回転音だけが鳴り響いていた。


「……覚えてない、ものね。茉優のこと、本当は」

 ……しかし、冷静になれば日立さんのお母さんが、僕が忘れている、ということを知っていてもおかしくはない。……だって、日立さんだって、僕の両親だって、僕が日立さんのことを覚えていないことを、何ら不思議に思っていなかったのだから。……それは、光右も同じだけど。


 人ひとりを丸々忘れている、にも関わらず。


「本当は、この場に茉優も居させて、ふたりで話をしてもらうつもりでいたけど……。多分、廻君が家を出たのを見て、慌てて出かけたんでしょうね、茉優」


 そして、やはりと言うべきか、日立さんのお母さんは、今何が起きているのかを、恐らくは理解している。きっと、それは僕の親もそうだ。

 でなければ、こんな都合のいいタイミングで僕にお使いなんて頼まない。


「……多分、茉優が居合わせたら絶対にやめてって言うだろうけど、いないのだから仕方ないわ。廻君。ちょっと、茉優の部屋に行きましょう?」

「え、で、でも……」

「いいのよ。……見せたいものも、そこにあるから」


 日立さんのお母さんは、そう言い僕を二階へと案内する。「まゆ」と立て札がかけられたドアは、まだ部屋に入っていないにも関わらず、彼女の柔らかい空気感を覚えさせる。


「どうぞ、入って」

 そこは、お母さんが言っていたように、まるで癒しの空間のような、そんな部屋だった。


 本棚にしまわれている漫画ひとつ、ちょこんと置かれている芳香剤ひとつ、きちんと整えられているベッドひとつ。

 日立さんらしい、と言えるような、そんな部屋だ。


「さっき言ったアルバムも、ほら」

 お母さんが指さした先に、少しボロボロになった分厚い冊子が本棚に差されている。


「……アルバムくらいだったら、茉優も許してくれるわ。なんだかんだであの子、優しいから。終わったら一声かけて。私は一階でお茶でも飲んでいるから」

 そうして、お母さんは僕を残して先に降りてしまった。日立さんの部屋に、僕がひとり。……い、いいのだろうか? と思いもしたけど。


「昔の写真……見たら、何か思い出せるのかな……」

 その興味に抗うことはできず、僕は、適当に何冊かあるアルバムのうちの一冊を手に取って、パラパラとめくり始めた。ただ、


「……あれ?」

 何ページか読んで、すぐに違和感に気づいた。

「……所々、写真が抜けているし……なんか、水を吸った跡がある……?」


 見開き一ページに写真は四枚ほど貼れるくらいの大きさなのに、場所によっては一枚も貼られてないなんて部分もざらにあった。

「……お母さんの話と、違う……?」

 別のアルバムもめくってみたけど、結果は同じだった。不自然に空白のあるページばかりで、


「……僕が映っている写真は、一枚もない……?」

 どういうことだろう……。


 不思議に思った僕は、思わず意味もなく床から立ち上がる。すると、ふと目に入ったのは、机の上に置かれたノートが一冊。

 可愛らしい、のほほんとした雰囲気が漂うもの、空気感のなかで、そのノートは異彩を放っていた。


 言うならば、それらとは反対に、シンプル、簡素、という言葉が適当だろうか。

「……日記」

 無地の表紙に、黒色のマーカーでただ一言、そう書かれたタイトルのナンバリングは⑤とあった。


 ……いくらなんでも、人の日記を勝手に読むのはまずい。そう思ってはいても、

「……ごめん」


 抜け落ちた記憶のピースを埋めたい気持ちと、今の日立さんが、どんな気持ちでいるのか、それを知りたいと思ってしまった僕は、彼女のノートを開いてしまった。

 そこには──

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