第7話

「ねえ、聞きたいことが山ほどあるんだけど」笹川はそう切り出す。


「今思いつくだけで五つ、かな」手を開いて、彼女に示した。


「オーケー、何でも答えるよ。どんと来なさんな」彼女は胸をポン、と叩いた。


「じゃあ、まず一つ目。あなたの名前は?僕は笹川悠介、一年六組のHR長だよ」


「私は赤羽櫻子、二年七組の二番。……って、ええ!私の方が年上なの!?」


「!!嘘やろ……」笹川は軽くショックを受けた。普通に、同い年だと思っていた。うせやろ……。


「でもでも、誕生日は四月一日だから、実質一年生みたいなところはあるかも……みたいな」


「マジか……二年生なのか……マジか……」


「ねぇちょっとぉ!聞いてるの!?」


「マジか……」笹川はジロっと横目で見る。


「マジです」櫻子も合わせて見返した。


「……あ、もしかして敬語、とか、使った方がよろしかったりします?」


「とっ、とんでもないとんでもない!そんな、タメで、タメでいいよ」櫻子は手をひらひらとさせて言った。


「うん。で……えっと、二つ目は、あの男のこと、なんだけど」


「あーうん、やっぱ気になるよね。って言っても、実はそこまで大したことないんだよね。あ、そうだ。じゃあ、逆にちょっと質問なんだけど、笹川くん?は、アレをなんだと思ってる?推理してみてよ」


「笹川でも悠介でも、呼び捨てでいいよ」


「じゃあ、悠介」


 笹川は、自分の思考を整理しながら答える。


「えっと、そうだね。まず、校内で逃げまわってた時、周りの視線は男ではなく完全に僕たちの方を変な目で見てたから、あの男は学校にいてもおかしくないような人物だよね。これだけで割と絞れる。つまり、選択肢としては、生徒か、先生か、あとは事務員さん、技師さん、とかかな。あとは学校が招いたお客さんって可能性もなくはないけど、状況からしてそれはあり得ないよね」


 櫻子は、時折うんうん頷きながらも黙って聞いていた。なかなか聞き上手な印象である。これなら話し手もやりやすい。スラスラと言葉が紡がれる。


「で、状況を考察するに、きっと櫻子さん?は悪いことをしたんだね?」にやりと言った。


「……ほう、どうしてそう思う?……あ、あと、私のことは、らこさんって呼んで」


「らこさん?……ああ、櫻子のらこか」


「そう。昔かららこさんで通ってるから。しかも、らこさんって、ラッコみたいで可愛くない?私結構気に入ってて」そう言って櫻子は両手を目に当て、獺虎の真似をした。


 うーん、獺虎の真似のチョイスが秀逸だって、らこさんよ。ちょっと可愛いと思ってしまったわ。てっきりその辺の石と石でおりゃーと原始人も目を疑うような破壊っぷりを見せられるのかと思った。


「詳しいことは知り得ないけど、少なくともあの男は悪い人じゃないと思うね。逆に言えば、悪いのはらこさんだってことだけど」


「悪いのは私か」


「多分ね。だって下駄箱で鉢合わせたときも、男は平然と校舎内を歩いていたからね。上から俯瞰してみてよ。第三者から見ても、明らかに悪いことをしているのは、堂々と校舎内を闊歩している黒スーツよりも隠れてコソコソ逃走を図っていた僕たちだって、明白も明白だよ」


「確かに〜!」櫻子はおおーと声を上げる。


「その反応は、合ってるかな?」


「凄いね、そこまでは正解だよ。でも、私の質問はアレがなんなのかってこと。どっちが悪いのかなんて聞いてないし興味ないし知ったこっちゃあない」


「Oh……清々しいほどの開き直りだぁ……。まあ、えっと、あの男がなんなのかってのは、うーん、そうだなあ」笹川は顎に手を当て、考える素振りをした。


 その間、櫻子は買っておいた野菜ジュースをストローでチューと飲んだ。


 数秒後、笹川は口を開いた。


「大して考えることでもなかった。当たってるかは分からないけど、まあ第一感は教師、かな」


「教師」


「そう。きっとらこさんが何かをやらかして、堪忍袋の緒がプチッといっちゃったんじゃないの?」


「プチッと、ね」


「それで追いかけられたから、まあ必死に逃げまわっていた、と」


「凄いね、悠介。合ってるよ。正解正解!」櫻子はパチパチと大袈裟に手を叩く。


 そんなに褒められると、少しは照れ臭くもなるものだ。笹川は、あ、ありがとう、と恥ずかしそうに言った。


「でもさ、なんでそんなに自信無さそうなの?そんな合ってるか不安な要素ってあったかな」


「いや、この学校の教師なら、僕は見たことあるよなぁと思ってさ。あの男は見たことなかったから。それが少し疑問、かな」


「そっか。でも多分それは、アレが二年次と三年次所属の数学教師だから、偶々見たことなかったんじゃないかな。学年離れてたら接点もないだろうし、そもそも先生が多いからね」


「ああ、まあこの学校アホみたいにデカいしね、そんなこともあるか」笹川は納得した。


 櫻子はまた野菜ジュースを飲み始めた。


 一応まだ質問は三つ残っているのだが、会話もひと段落したので少し休憩らしい。


 …………ふむ。


 暇を持て余した笹川は、飲み干したゼリー飲料の缶を凹ませたり戻したりするのを繰り返していた。


 ふと、街灯に混じって佇む錆びた時計台をおもむろに見る。上を向いた長針がまさに短針に近付こうとしていた。


「ん?……って、やべ!もう十二時五十六分!?」


 思わず声に出てしまった。


 五時限の始業は十三時だ。既に予鈴が鳴り終わっている時間である。今から行って間に合うだろうか。


 次の時間は物理だった。ただただ黒板に問題を書き写し、先生が一人でずっと解説するだけのつまらない授業で、決して笹川は嫌いじゃなかったが、五時限目というのも相まってか、六組の実に七割は睡眠学習に取り組んでいる。しかし、それをもろともしない先生の強気な態度からして、この学校では物理に限り最先端かつ異様な授業体制を採用していると言える。一縷の望みに縋り付き、希望的観測を以て授業体制の新たな境地に辿り着かんとするその姿勢も、笹川は嫌いじゃなかった。


「らこさん、ヤバいって!もう授業始まっちゃうって。早く戻らないと」笹川は焦って言う。


「お、もうそんな時間か……まあ、パスで」


「パ、パス!?いやいや、授業、始まっちゃうって」


「だから、パス!行かん行かん!そんなわざわざ……めんどくさいよ」


「めんどくさいから行かないって……そりゃいかんでしょうよ……」笹川は呆れた。


「……あれ、もしかして、授業サボったこと無かったり?まだまだお若いこって、ふふ」櫻子は経験未熟の若年者を見る目で、嘲笑するかのように見つめた。


「まあ、無いけど、いや、そりゃ無いでしょ!普通の人はめんどくさいからってサボらないよ!って、マジで急がなきゃ、間に合わない」


「まあまあ、落ち着きたまえって、悠介さんよ。取り敢えず今から行ってもどうせ間に合いはせんのだから、今からコーヒーでも買って飲んでから学校に戻る、くらいの余裕を持たないと。ね、落ち着きたまえよ」櫻子は目を細めて言った。


 急にお婆さんのような表情と口調で宥めるように言われ、笹川は少し、いや割と苛ついたが、今から急いだところで間に合わないのは確かだった。


 笹川はもう一度時計台を見たが、やはり時刻は変わっていなかった。


「取り敢えず、五時限は休むと連絡を入れといたら?」


 櫻子の提案に、笹川は乗った。


「確かにそうだな。えーっと、じゃあ電話を……。…………。……あ、もしもし楓?悠介だけど、うん、いやさ、ちょっとやむを得ない事情があってさぁ、うん、それで、五時限間に合わなくて遅れちゃうから、そう、だから、先生には腹痛くてトイレに篭ってるって言っといてくんね?そう……あ、いや、別に大したことじゃないんだけど……そういう時は大体大したことあるって?いやいや、マジで、マジで大したことないんだって、信じてよ……うん……分かった、あとで話すから、うん、取り敢えずよろしく頼むわ、はい、んじゃ、よろしく」


 櫻子は、笹川の会話を横でじっと聞いていた。彼女は電話相手が気になって仕方がなかった。


「なんだよ」横からの櫻子の視線に気付き、笹川は言った。


「いや……電話の相手、楓くんっていうの?仲良さそうでいいね、羨ましいな〜なんて」櫻子は取り繕うように言う。


「……楓くん?いや、どちらかと言えば、楓ちゃんだね」


 笹川の何気ない反応に、櫻子は「え゛っ」と声を漏らした。


「へ、へ?ち、ちゃん……って、電話の相手女の子だったの?え、ふ、ふーん、そ、そっかあ。へえ。うん、うん。か、楓ちゃんと、随分と仲が良いみたいだけど、どういう繋がりで?も、もしかして……」動揺しないようにと思うにつれて、どんどん挙動不審になっていく。笹川は答えた。


「楓はただの副HR長だよ。楓は口も固いし、信用できるし、しっかりしてるからね。……って、何だよその視線は」


 らこさんは急にどうしたんだろう。楓のことなんて、そんな気になることなのか。


「まあいいや。取り敢えず連絡も済んだから、ゆっくり戻ろうよ」笹川は言った。


「そうだね〜。まだ質問も三つ残ってるみたいだし、戻りながら話そうか」


 櫻子はそう答えたが、内心、その楓ちゃんとやらが気になって仕方ないのだった。

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