第5話

 校門を出て、すぐに左折した。


 曲がる直前、笹川は後方を振り返ると、あの男が走り出すのが見えた。


 背中に冷や汗が流れるのを感じる。


 今はお昼時、歩道には昼休み中の会社員が多く歩いていた。


 彼女は笹川の手を引いたまま、スルスルと人波を縫うように進んだ。


「とにかく沢山角を曲がろう!」彼女は言った。「第一感はあいつを撒くこと、それだけ!」


「ん、了解」笹川はすっかり彼女の言いなりである。


 さっきからずっと、走る時には手を引かれているのがなんとなく気になっていたが(走りづらい上に手を繋いでいるみたいで恥ずかしい)、そんな下らないことを言えるほどの余裕は無かった。


 すれ違う多くの人とぶつからないようにするだけで精一杯である。


 とは言っても、前を突き進む彼女が人波をこじ開け、後をついて行く笹川は通れるようになった道を通るだけで、実際に笹川が何か気を付けている訳ではないのだが。


 右に曲がり左に曲がり、大通りに出たと思ったら脇の小道に入り、人が通れるか怪しいほど狭い裏道を駆け抜けた。


「はぁ、はぁ、はぁ」


 次第に息が上がってくる。


 頬を切る風が汗ばんだ肌に当たり、爽やかで気持ちがよかった。


 急に視界が開ける。そこはオフィス街の大通りであった。


 制服のまま訪れる平日のオフィス街は新鮮だった。ふと空を仰ぐと、青く澄み渡った大空をビルのシルエットが切り取り、高く浮かんだ太陽からは鋭い光が注がれていた。


 その後彼女の気が済むまで走った頃には、アスファルトに照り付ける夏の日差しと走り回った疲れとで、二人はすっかりへとへとになっていた。


 笹川は後ろを振り向く。


 多くの人が歩いていた。


 しかし、黒スーツの男の姿は見つからなかった。


「どうやら撒けたようだね」笹川がほっと息をついた。言ってから、若干負けフラグっぽかった気もしなくもなくもないが、まあいいだろう。


「うん……よかった!」彼女は顔を綻ばせた。


 随分と安心しきっている様子である。


「んーっ!」両手を絡ませ上へ大きく一伸び。


 大胆に仰け反ったそのシルエットは、彼女の身体のラインが強調され、笹川は幾らか目のやり場に困った。


「取り敢えず、もう少し歩こう。もしかしたら追いついてくるかもしれない」笹川は取り繕うように言った。


 しかし内心、これだけ走ればさすがに追いついては来れないだろう、とは思っていた。なんやかんや、既に十数分はランナウェイしている。


「コンビニ行こう、コンビニ」


 歩き出してから数分。すぐにコンビニは見つかった。二人は店内へ入る。


 走ったせいでかいた汗が、オーバーに効いた冷房で冷やされた。


 笹川はおにぎりを二つ手に取り、レジへ持っていこうとした。しかし彼女に遮られる。


「駄目だよ!私に買わせて」彼女は頬を膨らました。


「いいって、そんな数百円くらい気にしないし」


「駄目!迷惑かけた私にちゃんと謝らせてよ。もう奢るって言ったし」


「謝るなら口頭で充分だよ。そんなわざわざ弁償なんかしなくても、謝罪はできる」


「ううん、きっと口で言っただけじゃ伝わらない。いきなり上から落っこちて、君の弁当を亡き物にした罪は、案外重いと思うの」


「まあ、重くないわけでは決してない。ってか、自分がやったこと、ちゃんと自覚してたんだね……」


「うん……ちょっと自分で言ってて、今内心笑っちゃったのも、兼ねて謝りたいなー、なんて思ったり」


 彼女は上目遣いで笹川を見た。


「はあ」ため息をついた。


 一応彼女には支払う正当な理由と責任、義務はあるのだ。


 このまま口論を続けても、きっと彼女は譲らないだろう。そんな気がした。だから、結局笹川は折れることにした。


「分かったよ、じゃあご厚意に甘えることにする」笹川はおにぎりを渡した。


「うん、ありがと。……ありがとう?いや、私が払うのにありがとうは……なんか違う。じゃあ、ごめんなさい?いや、ごめんなさいも違和感あるな……」


 レジに並びながら下らない独り言を言っている彼女を置いて、笹川は店内を後にした。

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