第92話 ざわめき

「オガっちゃん、そりゃないよ」

 圭を詰問しようとする緒方を、菊池が慌てて止めに入ろうとした。だが、緒方は菊池をジロリと睨んだ。

「キクちゃんよ。記事が本当かどうか誰も聞いてないんだろ、どうせ。子供だから可哀想とかなんとか言ってよ。でもな、この子がここで全部記事は嘘だって言えるようなら、記者会見しちまってもいいんだがなあ。それが一番手っ取り早い。実際はな、これが嘘かどうかなんてどうでもいいんだ。この子が『それは嘘です』とはっきり言える子かどうか、それが大事でな。涙ながらに世間の同情を引ければこの件は勝ちさ」そう言って緒方がもう一度圭に向き合い、「で、どうよ」と促した。

 圭太はムカッとした。緒方はこういうことに慣れてるのかも知れないが、「嘘かどうかなんてどうでもいい」という考え方は、少なくとも圭太には到底受け入れられない。あんな記事、嘘に決まってんだよ。芸能界の戦略なんてクソ喰らえだ。

「緒方社長——」そう言いかけたときだ。

「やります」圭が俯いていた顔を上げた。そして緒方を見据えるように少し震える声で言い直した。「やります、記者会見」


 圭の返事を聞くや否や誰に確認するでもなく、緒方はすぐに動いた。考えてみれば、本来それは事務所の社長である菊池が決めるのが筋だ。だが、緒方は有無を言わせないという勢いであちこちに連絡を入れ、記者会見のスケジュールを立てていった。

 それにしても、あの時の圭は何を考えていたのだろう。その後に起こる騒動など知る由もなく圭太は止めなかったことを散々悔やむことになるのだが、その時には全てが動き始めており、もう誰も止められなかったも確かだった。



 記者会見は三時間後の午後六時から、場所は中目黒にある緒方の息のかかったホテルの会場を抑えることができた。うまくやれば、午後六時台の各局の芸能ニュースの時間に突っ込めるはずだ。

 やる以上はドーンと派手にやろうぜ——

 仕切ってる緒方がやけに張り切っていた。この会見をうまく乗り切ったら菊池とOJガールズに大きな貸しができる。これから大きく売れる可能性——というより間違いなく売れるグループを手に入れたも同然、菊池のところだけに儲けさせるより、うちの事務所も売り出しにいっちょ噛んで儲けさせてもらおうか。

 そんなことを緒方は考えていたらしいと、圭太は後々に緒方の周辺者から伝え聞いた。


 ⌘


 思ったよりも多くの報道陣が会場を埋めていた。東京キー局や芸能関係を扱うスポーツ紙や週刊誌だけでなく、最初に火をつけた週刊日日も来ているということだった。

 ホテルの宴会場を急遽貸し切ったため、長机を並べた後ろには、とってつけたように金屏風が立ててある。何かめでたいことでもあるのかよ——

 圭太のそんな不満などどこ吹く風、着々と会見場の準備は整えられ、机上にはおびただしい数のマイクと眩いばかりのライトの中、圭を真ん中に向かって左に社長の菊池が、そして反対の右側には弁護士の堀江が座った。

 この堀江というのは緒方の事務所の顧問弁護士で、マスコミ各社には敏腕で知られており、記者会見で法的な問題に目を光らせ、マスコミが迂闊なことは質問しにくいように無言の圧力をかけるために緒方の指図で座らせているということだ。

 圭太たちバンドメンバーや事務所の関係者は、カメラ正面から少し外れた画面に入らないところで待機している。


「今日はお忙しい中、急遽お集まりいただきありがとうございます」

 菊池が口を開くと昼間より明るい勢いのフラッシュが散々焚かれ、それが少し落ち着くのを待って菊池が言葉を繋いだ。

「皆様もご承知の通り、当社に所属するバンドメンバーの一人と明らかに推察される謂れのない許し難い記事が本日発売の某週刊誌に掲載され、あろうことがあらゆるメディアで、未成年である彼女の人権が踏み躙られるような看過し難い事態となったため、一連の記事を明確に否定させていただくために、このような場を設けさせていただきました」

 いつも柔らかい表情の菊池が今日は厳しい顔で会場を見回すと、再び一斉にフラッシュが焚かれ、堰を切ったように各社の記者が好き勝手に質問を飛ばそうとして会場が騒ついたが、後で挙手による指名制により質問を受け付ける形式を取ることを宣言するとやっと少し静かになった。

「フジヤマTVです」

 質問の前に、どこに会社か必ず名乗ってから質問をするようにルールを決めた。これも緒方のアドバイスだった。とにかく好き勝手に喋ることをまず牽制しておくことは大事なことらしい。


 ——何があっても全て明確に否定すること


 記者会見の前に緒方と堀江弁護士を交え、会見で想定される質問に対する答えをあらかじめシミュレーションしてある。菊池はブツブツと何回も唱えながら、完璧に答える練習を会見まで繰り返した。

 圭はほとんどの質問に「いいえ」とだけはっきりと短く返事をし、後は菊池がしっかりと答えを引き継ぐ手筈となっていたはずだった。


 フジヤマTVの記者が続ける。

「この記事では名前はロック少女としか書いていませんが、その——街角で大人の男性を相手にした商売で生活していたという、大変ショッキングな内容なわけですが、それがそこにいらっしゃる高橋圭さんのことではないかという噂が流れて世間が騒ついているんですが、それについてはどう思いますか。それとも、それは事実なのでしょうか」

 ——世間の噂だ? お前らが勝手に騒いでるだけだろうが。

 打ち合わせでは、ここでは圭は自分には関係ないことだとはっきりと否定することになっていた。さあ、早く否定しちまえ、圭。

「はい。その通りです」

 だが、圭太の思いとは逆に、圭は躊躇わずに間違いなくそう言ったのだった。

 一瞬静まり返った会場が、今度は蜂の巣をつついたように大きくざわめいた。

 

 

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