第91話 嘘と真実

 学校から圭を連れ出した圭太が向かったのは、中野にある菊池の事務所「K‘s」ではなく、よく使っている代官山と中目黒の中間辺りにある録音スタジオの会議室だった。途中、追跡されていないか何度も確認しつつ、無事にスタジオ地下の駐車場に滑り込んだ。

 圭太は恵からの電話で知ったのだが、菊池が経営する弱小事務所などには常日頃、鼻にもかけない態度のテレビ局などが何社も事務所のインターホンを連打し、件の「週間日日」スクープ記事の真相について突撃してきたらしい。菊池は「くだらない三面記事などに何も答えるつもりはない」と強気に突っぱねてはいるが、百戦錬磨のマスコミが「はいそうですか」とは簡単に退散してくれるそうもないとこぼしていた。

 確かにOJガールズもある程度売れ出してはきていたにしろ、ここまでマスコミが騒ぎ出すことはないという菊池の思惑を裏切ったのは、恐らくあまりにセンセーショナルな例の記事内容のせいなのだろう。

 そもそも、「何もないこと」を証明する手段など存在しない場合がほとんどだ。だが悲しいことに、それに託けてマスコミ——主に週刊誌やワイドショーなのだが——は、このような根拠のない——つまり反論しようもない推測記事を大仰に騒ぎ立てることで成立していると言っても過言ではない。

 もともと菊池の事務所は、各楽器のスペシャリストたちが多く所属しているのだが、彼らは表舞台ではなくスタジオミュージシャンとして活動するため、マスコミに取り上げられることなどほとんどない。圭太や他のバンドメンバーもまた然りだ。

 だが、その事務所から高橋圭という、テレビ的にも取り上げやすいビジュアルも兼ね備えた女の子を入れたバンドを売り出した結果が、今日のこの騒ぎを巻き起こしているのだろう。マスコミにすれば格好の「餌食」が向こうから飛び込んできたと拍手喝采しているのかもしれない。

 ——大人相手の商売をしていた売り出し中のロック少女

 世間に与えるインパクトは抜群だ。例えそれが嘘でも、だ。きっとマスに言わせれば、「何もやってないことを証明できない方」が悪いのだ。何もなかったというなら、それを証明してみろよ。奴らのそう嘲笑う顔が目に浮かぶようだ。


 ——これが「悪魔の証明」ってやつか


 今日はやけに苦い、自慢が売りの自販のカップコーヒーを飲みながら、所在無げに会議室のソファにもたれている圭と、事務所の皆がこの場所に集まるのを圭太は待った。


 昼過ぎにはOJのメンバー集まった。だが、一番年上で頼りになるムーさんでさえもこんな事態は経験したことがない。やたら戸惑うばかりだ。

 午後二時を過ぎて、密かに事務所を抜け出した菊池と恵がやっとスタジオに着いたが、もう一人連れがいた。圭太は一度しか会ったことがないが、菊池の友人の、K‘sより少し大手で、アイドルなども扱う音楽事務所の社長だった。確か緒方さんだったっけ。


「二つの方法があると思うんだよ」

 緒方がみんなの顔を見ながら言って、ペットボトルのお茶を一口だけ飲んで、すぐにキャップを閉めた。このようなことを一番経験しているのは彼の事務所だ。みんな固唾を飲んで緒方が何を提案するか聞き入っている。

「ひとつは、今まで通り記事のことなど完璧に『シカト』すること」そう言って菊池の顔をじっと見た。「ただし、この方法は相手がいつ鞘を収めてくれるかは、全くわからない」

「じゃあ……もうひとつは?」菊池が緒方の顔を伺う。

「とことん闘う」

 君らにできるか? そんな顔で緒方が取り囲んでいる全員の顔を一人ずつ覗き込み、最後に一番端に座っている圭で視線を止めたのがわかった。圭はずっと俯いていて、それに気がつかなかったようだ。

「闘うって、いったいどうやって」社長とはいえ、人のいい菊池には想像もできないのだろう。

「例えばいっそ、こっちから堂々と記者会見をやって、奴らの記事をはっきりと全否定しちまうとか」緒方はまだ圭から視線を逸らさずに言った。「ただな——」

「ただ?」ムーさんが横から言葉を挟んだ。

「このやり方は、一歩間違えば油を注ぎまくって大炎上する可能性もある」

 相変わらず緒方は圭から視線を離さない。そして、まだ視線を落としたままの圭に徐に「なあ、圭ちゃん」と話しかけると、やっと圭が顔を上げて緒方の顔を見た。

「これがうまくいくかどうかは、君しだいなんだけど——だから、ひとつだけ聞いていいか」

 圭はそれには返事をせず「何?」という顔で答えた。

 緒方は、テーブルの上に広げている週刊日日をくるりと圭が読めるように向きを変えた。

「恐らく、まだ誰もちゃんと確認してないことがひとつあるみたいなんだけどさあ、正直に答えてくれないか」緒方はもったいつけるように、そこで一回言葉を止めて、念を押すように再び語りかけた。「この記事に書いてあることは、本当に嘘なのか」

 その言葉に、全員が一瞬で凍りついたように緒方の顔をじっと睨んだ。


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