第66話 帰国

「圭司! ステラ!」

 圭が大声で叫びながら、駆け寄ってきてジャンプするように圭司の首に腕を回して抱きついた。圭司はその勢いで「おおっと」と言いながら後ろに倒れそうになるのを踏ん張って、その圭の背中をギュッと抱きしめた。

 たった一年半。もう一年半——

 時間の重さを両腕に確かめながら圭司は感慨深いものを感じていた。もうすぐこの子も十七歳になろうとしている。ほんの一年半前はまだ細い子供という記憶しかなかったのに、こんなに大きくなった。そんなことを思いながら圭をそっと下ろすと、今度はステラと長いハグを交わしている。

 菊池の話によると、圭の顔も日本ではかなり売れてきているという。だが、こんなにも混雑した空港で人目も憚らず無邪気にはしゃいでいる圭を見ていると、全くどこの世界の話だろうという感覚しか起こらなかった。

 少し離れたところで、圭司の姉、史江が笑って手を振っている。そして史江の横には髭面の若い男——こいつが圭太か——が立っていて、圭司と目が合うとぴょこんと頭を下げた。


 日本に秋が深まった季節、圭司はステラを連れて十七年ぶりに日本の空港に降り立った。


  ⌘


「だからよ、お前も一度ぐらいこっちに帰ってこいよ」

 電話の向こうで菊池が盛んに帰ってこいと誘う。

「いや、そう簡単には帰れないよ。店のこともあるしな」

「店ぐらい休めばいいじゃないか。こっちが呼んでるんだから休業補償ぐらいするよ」と菊池も気前がいいことを言っている。聞いた話ではOJガールの躍進のおかげで菊池の事務所「K‘s」もなかなか羽振りがいいらしい。芸能界ってのは一山当てればでかいもんだと改めて思う。

「そうは言ってもな、店を出させてくれたボブっていう恩人がいる手前、ホイホイ休むわけにはいかなくてな」

 店の出資者のボブ・ストックトンのことが頭に浮かぶ。そういえば、ストロベリーハウスのロバートも愛称はボブだな。よくよくボブに縁がある。そんなつまらないことを考えてつい一人で笑ってしまう。

「だけどよ、圭ちゃんの初めてのアルバム完成披露を兼ねたパーティなんだ。お前も作曲者の一人として出席して欲しいんだよ。頼むよ」と今度は菊池から泣きつかれる。「しかも蓮さんに会えるのは今しかないかもしれんぞ」

 蓮さんは、あれから手術をして一度退院したらしい。やはり癌だった。だが、この夏が過ぎた頃に再発してまた入院しているということだ。

「お前の気持ちはありがたいけどな。まあ難しいとは思うけど、一応ボブに相談だけはしてみてから返事するよ」そう言って電話を切った。チクッと胸が痛んだ。


 菊池からの電話のことをステラに話したところ、お店なんて休めばいいじゃない、と気安く言われた。いや、ボブの手前——と言いかけたときにはステラがそそくさとどこかへ電話をかけ始めた。

「ボブ、久しぶり。ステラよ。——うん、元気元気。あっ、ところで来月お店を休むことにしたから。——そうなの、旅行で日本に。そうね十日間ぐらいかな。——あー、ありがとう。じゃあね」

と、なんとも簡単に休みが決まっていた。

 考えてみれば日本と違ってこっちは休むことに抵抗は少ない国だ。俺のDNAはいつまで経っても働き蜂の日本人なんだな——

「ねえ、私も行っていい? 日本」とステラが目をキラキラさせながら聞く。

「もちろんだ。一緒に行こう」

 そうして日本行きが決まった。


  ⌘


 高速から眺める東京は背の高いビルが一段と増えて、こういうときに「浦島太郎になった気分」という言葉を使うのだろうか。迎えにきた圭太の車はまだ新しかった。車内に新車独特の匂いが抜けていない。

「圭太君がね、東京と横浜の間を圭を送り迎えするためにわざわざ車を買ってくれたのよ」と後部座席から助手席に乗っている圭司に史江がうれしそうに話してくれたが、そんなことを聞けば聞くほど心中穏やかじゃない。もしかして、二人きりで車に乗ってんのか?

「電車もたくさん走ってるんだから、無理にそうしなくてもよかったんじゃないのかなあ」などと一応言ってみたりする。

「いや、それが顔が売れちゃって電車に乗るのが厳しくなってしまって。安全運転してますから安心してください」

 運転をしながら圭太が話しかけた。

 ——当たり前だ。怪我させたら許さんぞ。

「圭太ってね、バイクも運転がうまいの!」

 圭司の気持ちも知らないで、すぐ後ろの座席の圭が圭司の首に腕を回して無邪気に耳元で囁いたのだった。

 そんな盛り上がらない会話を繰り広げながら、やがて車は菊池の事務所の駐車場に滑り込んだ。玄関の前に菊池が立っているのが見えた。十七年振りの再会だった。

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