第64話 ブレイク

 もともとムーさんを始めとしたバンドのメンバーは、表舞台には出ていないがそれぞれがミュージシャンとしての力は業界でも定評があった。

 ——あのメンバーがバンドを組んだ

 活動を始めた当初から音楽関係者の間では密かな話題になっていて、どんな方向性のバンドなのか期待は寄せられていたのだ。

 だが、そんな密かな噂より全国放送の電波の力は絶大で、圭の圧倒的な歌唱力と、英語詩であるが少しレトロさを感じさせる七十年代風の軽快なロックンロール「アイム・ヒア・ジャパン」は瞬く間に世間の話題となり、今やあちこちの音楽番組やステージのゲストとして引っ張りだことなった。その波に乗って「アイム・ヒア・ジャパン」は急遽ネットによる配信が決定し、CDも準備中だ。


 早瀬恵——圭太の姉——は、菊池の事務所「K‘s」の事務員兼社長秘書として仕事にも慣れてきたところであったが、あまりにも急激にバンドがブレイクしてしまったため、圭付きのマネージャー兼任として学校やテレビ局などとのスケジュール調整もしなければならず、目が回るような忙しい毎日を送っている。

 音楽活動の条件として「何があっても学校を優先する」という約束を学園としているため、圭の授業が終わるのを圭太がバイクで待っているのが日課だ。

「あんたさ、バイクで事故でもしたら——」

「わかってるって」

 今、事故でも起こされたら事務所としても大変なことになる。そんな恵の気持ちを知ってか、最近時間があると車のカタログを広げているようだ。


 先日は音楽雑誌のインタビューがあった。

「プロフィールを読むと、アメリカで育ったとありますが、ご両親は現在どちらに?」

 まだ難しい日本語はわからないことが多いため、インタビューの時は恵が近くにいて英語に訳す。

「パパはニューヨークでレストランをしています」ゆっくりと日本語で答える。

「お母さんも?」

 隠しても後で面倒だ。できるだけ本当のことを話すことにしていた。

「私はハウスで育ったので…。本当のパパとママの顔は知りません」

 インタビュアーは優しい人なのだろう、一瞬「しまった」という顔をして言葉を詰まらせた。

「でも、今のパパたちに優しくしてもらえてるから私はとても幸せです」圭が敏感に彼の気持ちを感じ取り自分からフォローした。インタビュアーはホッとした顔で微笑んだ。

 それからは圭の音楽のことで盛り上がり、インタビューは無事終了した。来週の「週刊ミュージック」で圭たちのバンド「OJ meets a girl」の特集が組まれることになっているのだ。


 日本での圭の活動はすぐに菊池の事務所から圭司の元へも届けられる。雑誌やメディアだけでなく配信もあるため、圭司も最近インターネット設備を自宅だけでなく店にも整えて、毎日店でも圭の歌を流すほどの親バカっぷりだった。


  ⌘


 その数ヶ月後のことだった。ニューヨークでは圭が日本へ行ってからも圭司のストロベリーハウス通いは続いていたのだが、この間ハウスに行ったときにちょっと気になることを経営者であるボブから聞いた。

 日本人のジャーナリストを名乗る男がハウスに訪ねてきたという。そいつは少し慇懃な物言いをする男だった。

 高橋圭がこのハウスにいたときのことを知っている子供に話を聞きたい——

 彼はそう言って、こちらが許可する前に勝手にハウスに入ろうとしてボブと押し問答になったそうだ。その男のあまりにも失礼な態度に、ボブはハウスに立ち入ることを拒否してその場で帰ってもらったという。彼は去り際によくわからない言葉で何か捨て台詞を吐いたらしい。

 菊池の話によると、圭のバンドは日本でもかなり名前が売れてきたと聞いた。マスコミが、それでわざわざアメリカまで圭のことを調べにきたということなんだろう。

 ああ、もしかしてこれが有名税ってやつか——俺は縁がなかったがな。まあ、手出しをされるわけでもない。放っておこうと帰りの車でステラと話した。


 その日、店に今まで見たことのない初めての男の客が来た。ジーンズにジャケットを引っ掛けた、髪はボサボサに伸ばした中年のその男は、店に入ってくるなりやけにジロジロと店内を眺め回していた。

 ステラがそっと近寄ってきて、

「あの人、さっき入ってくる前、外からこのお店の写真を撮っていたみたい。何か調べてるのかしら」

と耳打ちした。圭司もそれは気がついていた。

 圭司がさりげなく男を観察していると、男はカメラをバッグから取り出して、何も言わずに勝手に店内の写真を撮り出したのだ。

「兄さん、許可も取らないで勝手に店の写真を撮るのはどうかな」

 温厚な圭司も、流石に男に日本語で注意をした。男は圭司を気にもしないで続け様に数枚の写真を撮ってからカメラを下ろした。

 ——失礼な男

 圭司の頭をボブの言葉が頭をよぎった。もしかしてこいつか——。

「今どき写真ぐらいでガタガタ言いなさんな。料理の投稿写真とか世間じゃ溢れてるんだぜ。おかげで繁盛する店もたくさんあるだろ。持ちつ持たれつじゃないの」ふん、と鼻を鳴らして男が日本語で言う。やはりこいつ日本人だ。

「世間がどうか知らんがね、あんたに持ってもらわなきゃならんものはないよ。二度とこの店に来なくていいから、とっとと日本に帰んな」

 こんな無礼な輩は久しぶりに出会った気がする。なるほど、慇懃無礼とはこういうやつのことなんだな。

 男は小馬鹿にしたような顔で笑うと、もう一度素早くカメラを構えて今度は圭司とステラを写真に撮った。

「とっとと出て行けって言っただろうが。勝手に写真を撮るな」

 圭司も頭に血が上り、厨房から出ていく構えをすると男はカメラを手に持ったまま、黙って扉を開けて出ていった。


 ——ああ、気分の悪い。こんな時アメリカじゃ塩は撒かないのかな

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