第17話 絶対領域

 ニューヨークにはクリスマスが近づいていた。日本食のお店「ロック・イン・ジャパン」であるが、ケイとステラが嬉々としてクリスマスの飾り付けに勤しんでいた。

 ケイはあれから圭司の部屋で暮らしている。学校もちゃんと行けるようになり、彼女なりに毎日が充実しているようだ。音楽も何度も同じ曲を聴けるようになったことが何よりもうれしいと言いながら、店を手伝っている時も勉強をしている時もいつも音楽が傍にある。

 そういえば、圭司が聴く音楽はケイにとって初めて耳にするものばかりで楽しいらしい。特にお気に入りなのが「We are the World」のようで、初めて聴いた日から何度も1人で歌っていた。

 クリスマスにお店でコンサートをしようと言い出したのもケイだ。圭太がギターを弾いて、ステラとケイの3人でクリスマスソングを数曲歌い、最後にこの「We are the World」をコーラスして終わる計画だということだ。

 ところで、ケイが受け持ちたいと言ったパートが意外で、ダイアナ・ロスとシンディ・ローパーはわかるとしても、歌い出しのライオネル・リッチーであり、それから絶対譲らないと宣言したのがレイ・チャールズとブルース・スプリングスティーンなのはおかしかった。キーが高いので男性パートなら、すっかりマイケル・ジャクソンとスティービー・ワンダーだと思っていた圭太は少し意表をつかれた感じだが、ケイいわく、スティービーはブルースとハモるパートがあるため「悔しいけど圭司に譲ってあげる」らしい。クリスマスに向けて、毎日しゃがれ声を出す練習をしている。

 圭司も生活スタイルに大きな変化があった。それまでは店が終わると1人で酒を軽く飲みながら寝て、昼過ぎに起きる生活だったが、ケイと暮らすようになって、まずちゃんと朝に起きるようになった。2人で朝ごはんを作り、ケイを学校に送り出してから昔みたいにギターを弾く。学校から帰ってきたらケイにギターを教えてあげる約束をしたからだ。週の半分はステラも朝早く来て一緒に朝ごはんを食べている。


 ストロベリー・ハウスの管理人であるジョシー夫妻は、圭司がケイをハウスまで連れて行くといかにも心配していた風を装い、大袈裟にケイを抱きしめて見せたが、警察にも届けていない時点でそれは芝居以外のなにものでもないのは明らかだった。そしてハウスにいた子供たちはみんな、ほとんど色も柄もない男女兼用のズボンと服を着せられていて、ジョシー夫人のジャラジャラ光るものをを首からぶら下げた派手な服とは大違いだった。ケイがいうには、そういう服だと大きささえ揃えておけば男女誰でも着られるからという、ケチな理由らしい。

「で、いくら出すんだい」

 圭司がケイを引き取りたいというと、まず主人のジョシーはそう言った。

「俺たちがこの子を育てるために費やした時間と金の分はちゃんと払ってくれるんだろうな」

 奴は卑屈な笑みを見せながらジロジロと圭司を上から下まで眺め回した。いくらなら出せそうなのか、圭司の品定めをしているようだった。

 ——このクソ野郎。

「この子はずっと探していた俺の娘だ。喧嘩別れした女が連れて行ってしまった娘をやっと探し当てたんだ。俺たちの顔をよく見ろよ。似てるだろ」

 圭司はまずハッタリをかました。本当かどうかわからないが、圭司とケイが初めて会った日にステラが2人を「似ている」と言った言葉に圭司は賭けたのだ。

 親と聞いてジョシーが一瞬たじろいだのを感じた圭司はそのままたたみかけるように、

「まさか俺の娘を金で売り買いしようってんじゃないだろうな」

と、あえて強い口調で押し込んでみる。

「ま、待て。俺にだって、このお宅の娘に投資した。それなりのものをもらって何が悪いんだ」

 口籠もりながらジョシーが反論した。

「確かここは州の認可を受けた半分公的な施設のはずだ。ちゃんと金はもらってるよな。ところでその割には子供たちの着ている服が粗末だが、州からもらうその金が、まさか隣にいる女房の派手な洋服代に消えてるなんてことはないよなあ」

 図星だったらしい。あからさまに夫妻の挙動がおかしくなった。

 ——ここだ。

「おい、金がどうとかいうのなら、今から警察か病院に行って、ケイの体についた無数のアザについて詳しい話をしてもいいんだぜ。なんなら他の子供たちも一緒に警察に連れて行こうか」

 あえて勢いこんで立ち上がってみせた圭司の最後の一押しが明らかに効いた。ジョシー夫妻は青ざめて狼狽しているのが手に取るようにわかった。アメリカは子供の虐待にはことさら神経質な国だ。

「いいか。俺はお前たちが娘にしたこれまでのことは黙っておいてやろうと言ってるんだ。俺の言っていることはわかるな」

 ごくりと唾を飲み込みながら、ジョシーが2〜3度頷いた。圭司は再び座り直して今度は静かにジョシーの目を見ながら話を続けた。

「じゃあ、取引だ。まず俺がこの子の身許引受人として相応しいと確認できたから引き渡しを承認したという公的な場所へ届ける書類を作ってサインをしろ。そんな用紙、ここにもあるんだろ?」

 ジョシーが頷いて、震えながら近くの引き出しから用紙を取り出した。

「役人が調査に来ても、その書類の通りに答えるんだ。それが俺が出す唯一の条件だ。それで娘の体の傷については訴訟をしない。イーブンってわけだ」

 圭司がわざとらしく右手を出すと、ジョシーがためらいながらも右手を出して握手に応じた。取引は成立したのだ。訴訟社会のアメリカにうんざりしたこともあったが、満更悪くもないなと圭司は思った。


「ケイ、自分の荷物を全部持っておいで」

 ジョシーが書類を作成するのを待つ間に、すぐ近くにステラに抱かれるように座っていたケイに圭司が声をかけると、それが全てなのだろう、しばらくしてケイが小さな荷物を二つほど持って帰ってきた。


 それがストロベリー・ハウスであった出来事だ。帰る車の中で、

「圭司、本当はマフィアじゃないよね?」

とステラから尋ねられた。

「よしてくれよ。映画を真似たんだけど、もしジョシーが銃を取り出したらどうしようと冷や汗をかいてたんだ」

 そう言って圭司は肩をすくめた。

 カセットデッキからはボブ・ディランの「風に吹かれて」が流れていた。もうだいぶ寒くなっていたが、圭司はアメリカの風をいっぱい受けて車を走らせたい気分になっていた。

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