第12話 バズる
圭太が所属する事務所は中野にあった。小さな事務所で、所属するそのほとんどが圭太と同じようにスタジオミュージシャンとして活動している。
その日圭太は久しぶりに事務所に顔を出すことにした。昨日は少女とのセッションを思い出しながら少々飲み過ぎて頭が痛い。だが、あの心地よさを誰かに話したい気分になったが、あいにくまだ一人暮らしで彼女も今はいない。
朝飯を吉野家でかき込んでから、圭太は細い階段を駆け上がり、事務所の扉を開けた。個人のマネージャーという気の利いた人はいない。事務所へ行って社長が自ら取ってきた仕事を確認し、自分でスケジュールなどの調整をしなければならない。
扉を開けて事務所にいたのは社長の菊池と事務員の松本美和の2人だけだった。社長は40代半ばでかつては自分もベーシストとしてミュージシャンを目指したらしい。事務員の松本は30代、菊池の彼女だという、もっぱらの噂だ。圭太がこの事務所に入った時にはすでに働いていたベテランだ。
「おはようございます」
圭太が2人に挨拶をする。すると松本とスマホを見ていた社長が、
「おっ、きたきた。おいおい圭太、お前こんな隠し玉、いったいどこで見つけたんだよ」
と言いながら圭太に近寄ってきた。
「えっ、な、なんの。えっ、隠し玉? なんすか、それ」
「まったく何を隠してるんだよ。とぼけんなよ。いったい誰だ、この子」
そう言いながら、今度はスマホを圭太に向けた。誰が撮影したのかわからないが、そこに写っていたのは間違いなく昨日の自分とあの子のセッションだ。
「これ、いつの間に……」
戸惑いながら圭太が言うと、事務員の松本さんが、
「なんかね、昨日からちょっとバズってるんだよね、この動画。かっこいいコンビ発見だってさ。あんた知らないの?」
と言う。
「いや、全然。なんでこんなことになってんのか、さっぱり」
と圭太は思わぬ展開に、ごくりと唾を飲み込んだ。
「で、いつ連れてくるんだよ」
と社長が言う。
「いつ? 何を?」
「トボケるんじゃねえよ。こんな子見つけといて。まさかお前、うちの給料が安いからって、俺の知らない間にどこかの大手事務所に売り込んでるんじゃねえだろうな」
「ちょ、ちょっと待ってください社長。俺、そんなこと一回も考えたことないっすよ」
「じゃあ、なんで事務所に連れてこないんだよ」
「連れてくるも何も、俺、この子がどこの子か全然知らないんすけど」
「はあ? 知らない?」
そう言うなり、社長がポカンと口を開けた。
「いや、昨日俺が街角でちょっとギターを弾いてたら、突然飛び込んできたんですよ。そんで2〜3曲セッションをしただけで、どこの誰だか実は全然知らない子で」
「連絡先とか交換してないのか」
「まさか。まだガキンチョっすよ?」
「お前さ、少しはうちの事務所のこと考えてくれよ。ありえんだろ」
「そりゃ、びっくりするぐらい上手い子だったけど、それが?」
「バーカ。うちの事務所からデビューさせようとか、思わねえのか?」
「この子を、ですか?」
「お前、目は節穴か? 若いけどビジュアルも完璧、歌も抜群。こんな上玉滅多にいねえぞ?」
そう言われて改めて社長が手に持ってるスマホの画像を見直した。ちょうど「のっぽのサリー」を歌い出すところだった。
10代とは思えない強烈なシャウト。音楽性に感銘を受けてあのときは気にもしなかったが、画像で見ると確かにその立ち姿さえもかっこいい。
「ああ、すごいかっこいいっすねえ」
「かっこいいっすねえ、じゃねえよ。俺も長いことこの世界にいるが、こんなのなかなかいねえよ。どっかの事務所に所属している子じゃなきゃ引っ張ってきたいよ。お前、本当に知らないのか? なあ、隠してんじゃないのか?」
「いやあ、俺、自分がギターで食べてくことにいっぱいいっぱいで、この子をデビューさせようとか、スカウトとか、まったく考えもしませんでした。そっかあ。そんな考えもあれば、SNSの交換ぐらいしとくんでしたね」
「まったくだ。呆れて物も言えないよ」
社長はあからさまにがっかりとした様子だった。
動画はロックアラウンドクロックが流れていた。圭太はしばらくその動画を眺めていたが、気持ちの中で何かが湧き出すのを感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます