第十一話 海底からの光

 狭野尊(さの・のみこと)一行は、椎根津彦(しいねつひこ)と姉妹の海女(あま)、黒砂(いさご)、真砂(まさご)を仲間に加え、海の難所、速吸之門(はやすいなと)を突き進んでいた。今の豊予海峡(ほうよかいきょう)である。


 海の民である椎根津彦の導きで、海峡を順調に渡っていた時、突如、一行は激しい風と雨に襲われた。吹き荒れる潮風が、船べりを洗う。大きな波に至っては、船底まで洗う始末。揺れは山をも乗り越えんほどに登ったかと思うと、滝つぼに落ちるが如く降りゆく。


 真砂(まさご)は、姉の黒砂(いさご)の腕を掴みながら、海の神、大綿津見神(おおわたつみ・のかみ)が心鎮(こころしず)めるのを祈念していた。


 そのとき、海が光をまとい始めた。海底に太陽が沈んだのかと錯覚してしまいそうなほどの強い光である。その光は船を包み込むように眩(まばゆ)い。


 船べりより波間を覗き込んだ、珍彦(うずひこ)こと椎根津彦が叫んだ。


「波の下に、何やら光るものがあるようですなっ。」


 その報告を聞き、長兄の彦五瀬命(ひこいつせ・のみこと)が尋ねてきた。


「海の民である、汝(いまし)でも分からぬものかっ?!」


「それがしも、このようなことは初めてにござる。一体如何(いか)なることか、全く見当もつきませぬ。」


 狭野も反応を示す。


「汝(いまし)ですら、知り得ぬものとあらば、こは、神々の成されることやもしれぬな。」


「直ちに、この光が何なのか、確かめて参りましょう。」


 椎根津彦がいきなり放った言葉に、真砂は嫌な予感がした。海底にあるものを確かめるとなれば、どう考えても自分たちの出番以外にないからである。


 予想通り、椎根津彦の号令が飛んだ。


「黒砂、真砂、これより海に潜り、あの光が何なのか、見て参れっ。」


 正直言えば、行きたくないが、主人の命とあれば、聞かぬわけにもいかない。それに、高千穂の者たちは恐怖で怯え切っている。海に慣れていないからであろう。そもそも海の民の自分たちですら、経験したことのない現象である。本当は自分も怖い。だが、ここで怖気(おじけ)づいては、皆を不安にさせてしまうだけである。


 真砂は、姉に顔を向けた。姉の目は血走っていた。緊張の色が見える。姉も怖いのであろう。しかし、黒砂から発せられる雰囲気は、真砂に、逃げてはいけないと訴えかけていた。覚悟を決めよと目が語っている。


 真砂(まさご)は、大事な主人と、その主人が大望を委(ゆだ)ねた高千穂一行を守るため、海に飛び込む決意を結んだ。姉の手をしっかりと握る。黒砂(いさご)がゆっくりと頷(うなず)く。


 申し合わせたように、二人の海女は猛り狂った海に飛び込んだ。右へ左へと体を弄(もてあそ)ぶ波を薙(な)ぎ払いつつ、真砂は、水中奥深くへと潜っていく。静まり返った海中は、今まで見た光景とは比べ物にならないほど美しい景観を作り出していた。


 魚たちの鱗(うろこ)が光を反射させ、まるで日光の中に吸い込まれたような、幻想的な空間を演出している。海藻も、うねりの中で光を屈折させ、木漏れ日を作り出している。


 真砂は、一瞬、見惚(みと)れてしまいそうになった。姉が手を引っ張らなかったら、息が続くまで、じっと眺めていたことであろう。


 黒砂に促(うなが)され、本来の目的を思い出した真砂は、姉のあとを追うように、深く深く、海底と呼ばれる地へ潜り続けた。


 光の源(みなもと)と呼べるような、太陽の中心点ともいうべきところに向かっていると、揺れる海藻とは異なる、別種のものが佇んでいるのが目に入った。


 ゆらゆらと蠢(うごめ)く、それは、幾本にも連なる触手であった。全体像がはっきりと見えてきた。八本の触手。蛸(たこ)である。ただ、蛸にしては大きい。人と見間違えてしまいそうなほどの大きさである。


 一体、何が起きているのか。真砂は自分の目が信じられなくなっていた。本当は夢を見ているのではないかとも思った。海で生まれ、海で生きてきた真砂でも、こんな光景は初めてのことだった。


 先を進む姉が、真砂を手で制す。大蛸(おおだこ)との距離を縮(ちぢ)めず、しばらく様子を見るつもりであろうか。海中にいるため、言葉を交わすことができない。態度で推(お)し量(はか)るほかない。


 そのとき、有り得ないことが起こった。大蛸が語りかけてきたのである。水中ゆえに声と判断すべきか迷う。心に直接、伝えているようでもあり、振動を送り、鼓膜を震わせているようでもある。


 大蛸は満面の笑みで声をかけてきた。真砂には、そう感じた。


「ようやく、この日が訪れたのですな。」

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