神々の生誕
散花
――喜びの中、唯なる花弁は散る
◆
(あ~あ、暇だなあ)
1人の男が頭の後ろで手を組み、いかにも退屈そうにあたりを見渡しながら、ある人物を探していた。
ある人物と言っても、この天上世界にいるものなど2人しかいない。
真っ黒なスーツをだらしなく着て、白い雲の上を歩いている男の姿はよく目立つ。
限りなく広い世界にもかかわらず、会いたいと思ったそのときには、彼らは既に出会っていて、隣り合っていた。
「やあ、
探していた男が、もう1人の男に声をかける。
「なんですか、
探されていた男が、迷惑そうに、しかし親密さを伴った口調で応じた。
「君が暇じゃなくても、僕が暇なんだよ。ちょっと暇つぶしに付き合ってよ」
「私にはつぶすような暇はないんです。つぶすのなら、1人でつぶしていてください」
探されていた男はそう答え、ネクタイを締め直した。
探していた男とは対照的に、真っ白なスーツを身に纏った男の姿は、出勤前の父のようであり、黒スーツの男は、わがままを言う子供のようだった。
その後も黒スーツの男は、駄々をこねる子供のごとく、しつこく白スーツの男に詰め寄った。
「1人でつぶすには、この暇は固すぎるんだよ。2人でも全然つぶれないんだから。もう500年もずっ~~と暇なんだよ」
「もう500年ですか……」
白スーツの男が興味を示したのを見ると、黒スーツの男は心底うれしそうに話を続けた。
「そうさ、500年! 僕らが神に創られ、生み出されてからね。そのことは、感謝してもし尽せないけどさ。500年間も2人きりでいるだけなんて、退屈過ぎて死にそうだよ」
「何を言ってるんですか? 私たちが死ぬなんてことはありえないんですよ」
「そりゃあ、百も承知、二百も承知、承知の上のそのまた上だよ。だから、こんなに暇なんじゃないか。死にたいとは言わないけど、死んだ方がましくらいは言いたいよ。風月は退屈じゃないの? こんな何もない世界で」
「何もないことはないですよ。少なくとも、私がいるし、あなたがいる。それで私は十分です」
「他に何もなくっても?」
「他に何もなくっても。ただ、私にとってあなたを失うのは、死よりも辛いことなんですよ。ですから、私の前で『死んだ方がまし』だなんて、二度と言わないでください」
「あっ!!」
黒スーツの男は、自分の失言に気付き、後悔の念にかられた。
2人は神から不死身の体を与えられている。なので決して死ぬことはないが、1つ例外が存在する。
白スーツの男は、神の力を『いただく』力により、黒スーツの男を殺すことが可能なのだ。
それゆえに白スーツの男は、自分のこの力を忌み嫌っている。
もちろん、神がこの力を与えたのには理由があると分かっているし、本来の用途があることも理解している。
けれど、そういうことが可能だというだけで、白スーツの男にとっては耐えがたいのだ。
白スーツのそういった心情を、黒スーツの男は自分のことのように知っている。
白スーツの男はため息をつきながら、自分の右手のひらに視線を落とした。
「私が望むことがあるとすれば、この力がなくなることだけですよ。こんな……あなたを殺してしまえる力なんて、消えてなくなればいいんです」
「へ、へえ~、そそそ、そうなんだ。風月は無欲なんだね。僕はいっぱいあるけどな、望むことが」
なんとか悪い空気を断ち切ろうと、黒スーツの男は不自然な声音で話題を変えた。
白スーツの男もそんな黒スーツの男の気遣いに気付いたのか、それまでの暗い顔色を一転させ、柔和そうに微笑んで会話を続けた。
黒スーツのごまかし方は完全に子供のそれだが、白スーツの対応はどこまでも大人だった。
同じ500年という歳月を生きていた2人だが、その精神年齢には大きな差があるようだ。
「なんですか? 唯の望むものって」
「下の世界に行くこと」
「またそれですか」
白スーツの男は今度はあきれ果てた表情をする。
それこそ、あきれ果てるほどに耳にしたセリフだった。
黒スーツの男、名前は
白スーツの男、名前は
これまでのやり取りから分かる通り、2人は人間ではない。
では何かと問われれば、『神の申し子』であると回答することになるが、それがどういうものであるのかは、本人たちにも分かっていない。
現時点で分かっていることは、神から創られた不死身の存在であり、いつの日か下の世界、つまり人間の住む世界に行くことになるということだけ。
それがいつであり、どういう意味を持つのかは、全くの謎なのだ。
唯は花鳥の表情を見ても、完膚なきまでに無視して、自分の主張を続けた。
「もう飽きたよ、こんな生活。暇だし、暇だし、暇だしさ」
「何度も言っているでしょう。いずれ時がくれば、我々は忙しくなりますよ」
「風月も、神と同じことを言うんだね」
この500年、唯が神にいくら訪ね求めても、得られる答えはいつもそれだけだった。
唯はけだるそうに、雲の上に寝そべった。
花鳥はそれに付き合うように、唯の横で横になる。
そのまま首を動かして、唯の横顔を見ながら話し出した。
「先ほどとは逆の質問を、今度は私からあなたにしますが。唯は楽しくないんですか? 今の生活が少したりとも、楽しくはないと?」
「言ったでしょ? 暇、退屈、飽きた」
唯はすねたように顔をそむけ、単語だけを短く答える。
花鳥は半身を起こして、今度は上から唯の顔を見下ろしながら言う。
「私は今の生活が好きですよ。一生これでも構わない。なぜなら、もしも我々にその時がくれば、もう好きなときに好きなように会うことは、できなくなるんですから。ひょっとしたら、二度と会えなくなるかもしれませんよ。唯はそれでもいいんですか?」
「それは……嫌だな」
そう言うと、唯も体を起こして花鳥の目を見た。
「風月と会えなくなるのは嫌だ。でも、今の生活が続くのも嫌だ」
「必ずしも、どちらか一方だけかは分かりませんがね。下の世界は、私とも問題なく会えて、素晴らしい世界かもしれません」
「それは天国だね」
「けれども逆に、私とも会えない、今より退屈な世界かもしれない」
「それは地獄だね」
「それが人生というものですよ。次の瞬間が、天国か地獄かなんて分からない。ですから、我々は今のこのときを、最大限楽しむべきなのです」
「前作を見た人にとっては、衝撃のセリフだね。君がそんな前向きなことを言うなんて……」
「何を言ってるんですか?」
「何も言ってないよ。でも、うん。そうだね。前向きに生きることにするよ! ありがとう、風月」
唯は力強く立ち上がり、花鳥に頭を下げた。
「どういたしまして」
花鳥もやれやれといった風に、ゆっくりと立ち上がった。
唯はうれしそうに顔をほころばせた。
「じゃあ早速、前向きに暇つぶししようか」
「…………話が振り出しに戻ってますよ」
「だって、結局はこの暇をどうにかしないと、どうしようもないよ」
「言いましたよね? 私は暇じゃないんです」
「だから、君が暇じゃなくても…………暇じゃない!?」
唯は大きく目を見開き、これ以上ないほどの驚きを示した。
大量のつばが花鳥の顔面に吹きかかる。
「暇じゃないって、え? 風月、そんな言葉を言うことができたの? じゃなくて、なんで!? なんで暇じゃないの!? 500年間、ずっと暇人だったのに。君がやることなんて、何があるっていうのさ!?」
花鳥はハンカチで顔を拭きつつ、不快そうな顔のままで答える。
「どれだけ私を侮辱したいんですか? あなただって同じようなもの、いえ、同じでしょうに」
「いいから答えてよ」
「神からの啓示があったんですよ。もうじき、何かが変わるとね」
「何か? 何かって何?」
「何かです。とにかく私は、言われた場所に行かなければなりませんから、これで失礼しますよ」
花鳥は言い終わると、唯に背を向けて歩き出した。
「ちょっ、ちょっと待って、風月。僕も行くよ」
唯はあわてて、その背中を追いかけた。
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