H質者

 魔が差した、と言うのだろう。

 思うように跳べず、トスとのタイミングも何かがズレてしまったみたいに合わない。不調だ。あれだって、勝てた試合だった。一人がミスさえしなければ。きちんと相手のコートへ打ち込めていれば……。

 部活動のスランプが呼び水となってしまったのかは知らない。

 近頃、変質者が出ているようだ。

 ホームルームの時間に、担任がそんなことを言っていた。悪いことは立て続けに起こる。

 部活へ行く。

「聞きました? へんしつしゃっ。うわあ、こわいですねー」

 先に来ていた一個下の女バレの子が真っ先に近寄ってきてそう言う。

 部活の時間。やはり不調だ。さっきの後輩がどんまいどんまいと笑いかけてくる。笑い返す。なんか顔逸らされた。よく分からない子だ。

「先輩って今日の帰り道お一人っぽいかんじですか?」

 部活が終わり、やたらエールを送ってきてくれるさっきの後輩に尋ねられる。

「ああごめん。もう少し練習していく」

「うはあ青春ですね」

「先生に無理言ったんだ。LさんやKも付き合ってくれるって言ってくれてるし」

「先輩とKさん、スーパーエースとセッター。良い関係です、私も先輩にトスしたいんですけどっ」

「あはは。時間が大丈夫なら、付き合っていくか?」

「っ。そ、それがそれが、時間大丈夫じゃないんです。あんまり遅く帰ると怒られますし」

 体育館から出て行こうとする彼女はふと思い立ったように近寄ってきて、

「あんまり『付き合う』とか軽々しく口にしない方が良いと思いますからっ」

 そんなことを一息に言い、「お疲れさまでしたー」と焦ったように走って出て行った。気を付けようと思った。

 次の日。緊急の全校集会があった。部活は休みだ。生徒はみんな一斉下校だ。警察が来ている。嗅ぎ付けたマスコミもやってきた。

 次の日。道の真ん中で刃物を持った男が仰向けに息絶えていたらしい。件の不審者らしい。なにか凄まじく恐ろしいものを見たかのように怯えた表情だったらしい。らしい、らしい、らしいと全てが人づてだ。

 次の日。部活はやはり休み。一人で帰っていた。A子はあなたのことが好きだったんです。女バレの後輩の一人に泣きながら言われる。

 西日と向かい合う帰路の向こうで、ひとつの影が歩いている。逆光でよく見えなかったが、それは俺と同じ高校の制服だった。スカートで、小柄で、女子生徒だ。

 不思議な光景を見た。

 大きな影が突如現れ、その女子生徒へと近づいていっていた。

 気づけば駆けていた。

 そう、魔が差したのだ。この鬱憤を晴らせる相手だと、俺はその大きな影を判断した。だから正義を盾にした暴力で憂さを晴らそうとして、殴りかかった。大きな影は霧散した。

 女子生徒の後ろ姿は残っている。

 静かに、その活動は停滞している。

 そして。ゆっくりと。ぎぎぎぎぎ、と。

 長い年月に錆び付いたかのような緩慢さで、それは振り返る。


「あ、奇遇ですね。いっしょに帰りませんかぁ、先輩」


 A子だった。


「ここにいたら先輩来るんじゃないかって思ってたんですよねー」

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