当たり前なんてないのだと


 ルークのことが好きだと自覚してからも、私は変わらない日常を過ごしていた。ルークは変わらず私を甘やかしてくれていて、今のままでも十分幸せで。


 だからこそ、すぐに気持ちを伝えようとは思わなかった。



 そんなある日、病院の休憩室で受付のダリアおばさんと他愛ない話をしながら、お昼を食べていた時だった。


「ドラゴンが降りてきたらしいぞ」

「おい、今回は早くないか?まだ70年ほどだろう」


 そんな声が聞こえてきたのだ。


「……ドラゴンなんているんですか?」

「えっ、サラちゃんはドラゴンを知らないのかい?」


 ダリアおばさんはひどく驚いた表情を浮かべ、で私を見つめている。まさか魔獣だけでなく、そんなファンタジー的な生き物が実在していたなんて。


「100年に一度、人里へ降りてきては大暴れしていくんだ。ドラゴンは殺せないから厄介でね」

「えっ? それ、やばくないですか」

「だからその度に、騎士団の方々がドラゴンに致命傷を負わせて追い返すのさ。奴らは死なない分、回復に時間がかかるんだ。そして完全に回復した頃にまた降りてくるんだけど、今回は早かったみたいだね」


 よく漫画やアニメの中では、ドラゴンと人間の仲良い話なんかがあるけれど、ここでは完全なる厄災らしい。


 先日のジャイアントスネークですらあんなにも恐ろしかったのに、ドラゴンなんて想像もつかない。その討伐にルークも参加するのだろうかと思うと、不安は膨らんだ。


 そしてその日の夜、夕食の際に早速ルークに尋ねてみた。


「もうそんなに噂が広まっているんですね。騎士団では既に対策本部を立て、準備を始めています」

「もしかして、ルークも行くの?」

「はい、俺が指揮官を務めることになりました」


 本来なら、それはとても名誉なことなのかもしれない。けれど、私は心配のあまり食事をする手が止まってしまう。


「それ、危なくないの……?」

「危険がない、とは言いきれませんね。ドラゴンとの戦いは、かなりの被害が出ると聞きますから」


 こないだのように「俺は強いから大丈夫です」とは言ってくれなかった。それほどにドラゴンというのは恐ろしい生き物なのだろう。濃い不安が心にこびりついて離れない。


 それからはルークはかなり忙しいらしく、家に帰ってくることも減り、一緒に夕食をとることもなくなっていた。


 たまに着替えを取りに帰ってきていたけれど、その顔には疲れが色濃く出ていた。


「ルーク、大丈夫? 無理しないでね」

「ありがとうございます。討伐に向かうのは一週間後になったので、それさえ終われば落ち着きますから」

「本当に大丈夫なの……?」

「はい。数日後、荷物を取りにまた帰ってきます」


 そう言って、ルークはすぐに馬車に乗り込んでいく。


 私はその背中を見つめながら、彼のために今自分が出来ることを考えていた。




◇◇◇




「……サラちゃん、それ本気で言ってる?」

「はい、本気です! ティンカも一緒に来てくれますし」

「もちろん私も止めましたよ。けどこの様子じゃ一人でも行きそうなので、しっかり付いて行って、連れて帰ります」


 二日後、私はティンカと共にカーティスさんの元を訪れていた。彼も今回の討伐に参加するらしく、一緒に連れて行ってくれないかとお願いしに来たのだ。


 ……私にできることを色々と考えたけれど、結局、治癒魔法を使うことしか思いつかなかった。けれど間違いなく、この能力は役に立つはずだ。


 直接ルークに言ったところで、心配症の彼が私を連れて行ってくれないのは目に見えている。だからこそ、こうしてカーティスさんの元を訪ねたのだ。


「ヒーラーはいくら居ても困らないから、俺がうまく言えば連れて行けるとは思うけど」

「お願いします!」

「サラちゃんはドラゴン、怖くないの?」

「ルークに何かある方が怖いです」

「……なるほどね」


 やがてカーティスさんは溜め息をつくと、私の頭にぽんと大きな手を乗せた。


「わかった。俺からうまく言っておくから、六日後の朝5時に、ティンカと此処においで」

「ありがとうございます……!」

「当日は俺も前線にいるから、何もしてあげられない。頼むから、大人しくティンカと後方にいてくれよ」

「わかりました、本当にありがとうございます」


 こうして、私は討伐に参加出来ることになった。



 当日、ティンカに借りたフード付きのコートを着て、私は彼女と共に馬車に揺られていた。


 私の顔は騎士団内で結構割れてしまっているだろうから、なるべく顔が出ないようにしている。ルークに話がいってしまえば、間違いなく追い返されるからだ。


 ちなみにお給料は貰わない分、邪魔さえしなければ自由に動いていいと言うことになった。カーティスさんがなんて伝えてくれたのかは分からないけれど、彼の口添えがなければ間違いなく無理だっただろう。もちろん、ルークに何かあった時以外はしっかりお手伝いするつもりだ。


「すごい人数だね」

「うん、騎士団の半数くらいはいるって。それも師団長や強い人たちはみんな揃ってるからね」

「……無事に、勝てるといいな」


 私はそう言いながら、手元のブレスレットを見た。


 青い魔石がついたこのブレスレットは対になっていて、持ち主の生命力が一定以下になると、青白く光って知らせてくれるという。ちなみに命を落とした場合には割れるようになっている。数日前に魔道具屋で、給料一ヶ月分をはたいて買ってきた高額なものだ。


 ルークにはお守りと言って渡してあり、腕に付けるところまで確認した。これを頼りに、彼になにかあればすぐに駆けつけるつもりでいる。それまでは、後方でヒーラーとして仕事をこなそうと思っていた。ちなみに私に何かあってもブレスレットは反応してしまうので、気をつけなければ。


「それを1ヶ月で買えるサラって、高給取りだよね」

「光魔法様様だよ」


 普通の人なら、半年分のお給料らしい。心から光魔法を使えることに感謝した。


「ティンカも、ついてきてくれて本当にありがとう」

「サラの気持ちはわかるもの。頑張ろうね」


 今回、ティンカの恋人は参加せずに王城の警備にあたっているらしい。二人で、絶対に無事に帰らなければ。


 そうして三時間ほど経った頃、ドラゴンが潜んでいるという森へと到着した。ティンカとお喋りをしながらゆっくりと馬車から降り、思い切り身体を伸ばしていた時だった。


「ドラゴンが来たぞ!」

「…………えっ?」


 そんな声が聞こえてきた瞬間、夜になったかと思うくらいにに空が暗くなって。何事かと視線を上にあげた瞬間、私は信じられないその光景に、腰が抜けそうになった。


 ドラゴンが、すぐ真上を飛んでいたのだ。


 あまりの大きさとその迫力に、私は息をするのも忘れその場に立ち尽くしていた。こんな生き物に、人間が勝てるのだろうか。不安や恐怖で胸が押し潰されそうになる。


「もうこんな所まで降りて来ているとは……!」

「今回は、予想外のことが多すぎる」


 ここに拠点を作り、支度をしてから森の奥へと進む予定だったというのに、皆十分に準備も終えていないまま戦闘が始まってしまった。間違いなく、こちらの分は悪い。


「急いで陣形を整えろ! 支援部隊は離れて!」

「サラ、行くよ!」

「うん……!」


 ティンカと共にその場を離れる途中、遠くで指示を出すルークの姿が見えた。どうか、無事で。

 

 それだけを祈って私は走り続けた。




「次、こちらもお願いします!」

「っはい、」


 ドラゴンが現れてからかなりの時間が経った。今も尚、戦いは続いていて、私は後方で治癒魔法を使い続けている。思った数倍、怪我人の数は多かった。重症患者もかなりいて、魔力の消費も激しい。


 ブレスレットに何の反応もないのが、唯一の救いだった。


「少し、休まれてはどうですか? ずっと治療し続けていますし、普通なら倒れていてもおかしくないのでは……」

「ありがとうございます。ではお言葉に甘えて、少しだけ休んでもいいですか?」

「もちろんです。奥のテントに飲み物もありますので」


 近くにいた護衛の人に勧められ、少しだけ休憩させて貰うことにした。ぽたぽたと汗が垂れているのがわかるほどに汗だくで、ひどい倦怠感に襲われていた。


「サラ、大丈夫? これ、お水」

「ありがとう。私はまだ大丈夫だよ」

「私は転移魔法以外何も出来ないから、見ていることしか出来ないのがもどかしくて……」

「そんな事言わないで。ティンカが居てくれるお陰で、私は安心して治療に専念できるんだから」


 改めてティンカにお礼を言うと、私は近くの椅子に腰かけて汗を拭いた。残る魔力量は50パーセントくらいだろう。どうか最後まで持ってくれと祈った。魔力切れを起こして、周りに迷惑をかける訳にもいかない。


 やがて少し汗も引いた私は、全体の様子も気になりテントを出ようと立ち上がる。その瞬間、隣にいたティンカがこちらを見て息を呑んだ。


 その表情に嫌な予感がしつつも、どうか勘違いであってくれと願いながら、私は視線を手首へと向ける。


「…………っ」


 ──無情にも、手元のブレスレットは青白く輝いていた。

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