閑話 影は疾る

 自由に生きる。

 それは難しいことだ…特に俺にはな。

 影として生き、影として人知れず死ぬことを定められた者、それが忍びだ。

 だが俺は十三番として死なず、アンドラスという名を与えられて、生きている。

 影は文字通り、影だ。

 主人が望むことを主に気付かれぬよう影から、手助けをして決して知られてはならない。


「アンディ、あなたは自由に生きてもいいのよ?あなたの命はあなたの物だもの。命は輝いていて、とても美しい物なの…あなたの魂もきっと、きれいな色をしているわ」


 湖を見つめながら、どこか遠くを見ているような哀しい顔をした我が姫はそう言ったのだ。

 俺の命は俺の物…なれば、あの方の為に捨てるのも俺の自由ということか。

 そう決めた俺の心に迷いなどない。


 姫はかつて妹君について、ふと漏らしたことがある。自分には妹がいた、と。

 過去形なのはその妹が姿を消してしまったから、と言葉を濁した姫だが忍びである俺にはソレが分かってしまった。

 神隠しと呼ばれる現象で間違いない。この世界が異なる世界と繋がっているのは一部の者を除いて知らぬだろう。なぜ、忍びの俺が知っているのか。

 簡単なことだ。忍びの技をこの世界に伝えたのは異なる世界の者だったからだ。そう忍びの始祖は異世界人だったのだ。姫の妹君は恐らく、異なる世界に何らかの理由で囚われているのだろう。


 しかし、先日のことだ。姫がその妹君の魔力を感じたと零した。俺の命を使う時が来たのだ。そう迷いなどない。


「この町がそうか」


 数日の後、俺は潮風とともにどことなく生臭い臭いに包まれたバノジェの町にいた。妹君がこの町の不逞の輩に囚われているとみて間違いない。

 解せぬ…この町、どこかが歪。そうか、男しかいないなどありえないのだ。戦続きで男が少なくなった町は何度も見てきたが逆の場合などそうあるものではない。

 そうだ、その場合の状況は…悪漢が女性をかどわかしているのだ。間違いない。忍びの判断に間違いがあってはならないのだ。


 そうと決めた俺はすぐに動いた。隠形の呪符を用い、酒場に溶け込んだ俺は確たる証拠を掴むことに成功した。

 悪漢どもは隠すこともなく、堂々と悪行の限りを尽くしていたのだ。奴らはこともあろうに神の座所である聖堂をねぐらとしているようだ。


「あれか」


 忍びである俺にとって闇に溶け込み、姿を隠すことなど造作もないことだ。そして、妹君を見つけた。

 姫に似ておられるのですぐに分かったがなんという非道なことをしているのだ。許せん。断じて許せん。

 「自由にしていいのよ」と言った姫の言葉が心を過る。俺は


「外道どもめ。地獄で後悔するがいい」


 突然、闇から現れた俺の姿に悪漢どもは泡を食ったように慌てだした。だが時すでに遅し。外道は逃さぬ。


「影縫い!」


 影縫いの呪符で力を纏わせた特殊な短剣を奴らの足元目掛け、影を撃ち抜いた。真っ黒なローブを着込み、顔が見えぬようにフードを目深に被っているせいか。

 表情はまるで分からないが影縫いで身動きが取れなくなったことに焦っているようだ。


「業火に焼かれ、己が罪を悔いよ。火遁の術!」


 火遁の呪符を懐から取り出すと空中に放つ。俺の合図に従い、呪符から奴らへ向け、贖罪の業火がまるで炎の竜のように襲い掛かる。あの炎に焼かれては骨まで残らないだろう。

 俺の使う忍法は魔法とは異なる技だ。魔力を帯びさせた特殊な紙に忍びの者のみに伝えられてきた術式を書き込んだ呪符を使い、様々な効果を出せるのだ。


 そして、ローブの者どもは誰もいなくなった。俺と奇妙な縄で縛られたあられもない姿の妹君以外は。


「くっ」


 意識の無い妹君に羽織っていた外套を被せ、抱き上げその場を離れようとしたその時だった。


「ひっひっひっ、避けおったか」


 強烈な殺気に思わず身を捩り、間一髪避けたつもりだったが避け切れてなかったようだ。左の肩口を鋭い刃で斬りあげられたが幸いなことに切断されたのは黒で染められた上衣だけ。

 下に着込んでいる特製の鎖帷子のお陰で深手にはならなかったのだ。


「何奴だ?外道どもの仲間か」

「さよう。教皇が配下の影の者さ。その女を連れていかれると困るのさ」


 フードを目深に被り、表情も分からぬ灰色のローブの者はしわがれた声の割に軽妙に喋る。それが余計に気に障る。


「俺にとっても譲れぬことなのでな。失礼させてもらう」


 俺は土遁の呪符を足元へと放つ。途端、床を大穴が開き、視界を覆う濛々たる土煙が俺達の姿を消した。

 俺は呆気に取られている悪漢を尻目に悠々と奴らのねぐらを脱出するのだった。

 

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