覚醒呪伝-カクセイジュデン-

星来 香文子

第一章 紺碧の空と緋色の瞳

第1話 紺碧の空と緋色の瞳





 紺碧の空から、人間の顔が落ちてきた。





 人間……いや、違う。

 きっと、これは、人ではない。


 人間の男の姿をしているが、明らかに人ではない。


 空を見上げたていた俺の顔めがけて、まっすぐに落ちてきたその血の気のない顔は、じっと俺の目を見つめたかと思うと、笑ったのだ。


「見つけた……」


 俺にぶつかる直前、空中でピタリと止まったまま、笑ったのだ。


「ついに見つけたぞ……ハハハハハハっ————」


 狂気に満ちた、その明らかに人間ではないソレの緋色の瞳に反射している俺の顔は、あまりの恐怖にただ、目を大きく見開いている。

 何が起きたかわからず、何が起こっているのかすらわからない。

 恐怖で動くことができない。


 だが、俺の防衛本能が、このままでは殺されると言っている。

 逃げなければ、俺は死ぬ。


 わかってる。

 わかっているけれど、身体が動かない。

 なんとか思考だけでも巡らせて、この状況を変えたくても、この重力を無視して、逆さまで空中で止まっている人間ではない、何か別のものが相手なのだ。


 俺に、この状況をどうにかすることができるとは到底思えない。

 はっきり言って、無理だ。


「このままその右目をくり抜くか……いや、しかし、数十年……いや、数百年ぶりの呪受者じゅじゅしゃだ。とても珍しい身体だ。このまま持ち帰り、生き血をすすれば、われにも相応の力が————」


 背筋がゾッとするとは、こういう事なのだと、このとき初めて俺は知った。

 夏の気温のせいとは違う、別の汗が顳顬こめかみを撫でるように伝う。


 目の前のソレは、妙に爪の長い、冷たい左手で俺の右目のまぶたを上下に押し開くと、舐めずった舌を伸ばし、さらに近づいてくる。



(やめろ……やめてくれ……————)


 舌先が俺の右目に触れるすんでのところで、ソレは突然消滅した。



「……え……?」



 俺のまぶたを押し開いていたあの冷たい指の感触、恐ろしさに吹き出した汗も、残っているのに、ソレは目の前から消えてしまった。



「まったく、危ないところだったわ……あんたもボーッと突っ立ってないで、抵抗くらいしたらどうなの!?」



 その代わり、俺の数歩となりには、知らない女の子が立っていて、何か怒っている。


 (誰……だ?)


 俺に何かを言っている。

 だけど、聞こえなかった。


 急に視界が歪んで、とても気持ちが悪くなって、女の子の顔もよくわからない。

 話し声も、スロー再生のように歪んで聞こえて、なんと言っていたのかわからなかった。


 視界も音も意識も遠のいて行く。


 硬直していた俺の体は一気に力が抜けて、目の前の景色は、紺碧の空からアスファルトの鈍色へ。


 最後に見たのは、女の子の制服のスカートと、華奢な脚だった。



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