2話

 そんな話もあったね。

「あの怪談、流行ったねえ」

 小柄な身体に似合わない豪快な声音で、秋野玲子はあっけらかんと言い放った。

 数年会っていない友人に会う、というのは、誰であっても緊張するものだと思っていたが、どうやらそうでもないらしい。実家にほど近い場所にある小さな喫茶店のテーブルで、私はぼんやりとそう考えている。

 突然の私の呼び出しに快く応えてくれた友人、秋野玲子――かつて私と同じ中学に通っていた一人である。小柄ながら運動神経抜群で、いつも男子に混じって球技や陸上競技に打ち込んでいた。

「いま大学で都市伝説の広がりかたとか研究してんだけどさ、玲子、あの怪談ってどこから聞いたの? クラスメイト?」

「随分前な気がしてよく思い出せない・・・・・・ちょっと待って、あたしはあの怪談、クラスでみんなが話していたのを聞いたんだっけ・・・・・・?」

 いやあ、なんだかものすごく怖かったことだけは、よく覚えてるの。

 そう言って、玲子はアイスティを口に含む。そのまま目線を中に彷徨わせながら、薄い唇に咥えたストローをやわく噛んで、ううん、とうなり始めた。紅茶の味が過去を呼び起こしてくれると信じているかのように、二口、三口と飲み込んで、ようやく私の方に向き直る。

「あの子から聞いたんだ。三枝のクラスに、髪の長い、おとなしい子がいたでしょ。やたら声がするするしていて、たおやかっていうか、本当、聞いていて気持ちが良かった・・・・・・」

「ああ、あれ? あの子だったの?」

 私はつい先日再開した彼女のことを思い浮かべる。


「良く覚えているわ。だってさ」

 一瞬の迷いを挟んで再開された玲子の話し声は、犯した悪事を告白するかのごとく、小さく、そして過剰すぎるほどの躊躇いを含んでいた。


「あの子、2年の夏の終わり頃に失踪したじゃない。すぐ戻ってきたけれど、PTAだの警察だの親御さんだのが大騒ぎして。あの頃クラス中なんだかおかしな空気でさ」

 脳髄の奥がひりつく感覚がした。

 ――失踪。

「失踪、って」

「ごめん、失踪は大げさかな。でも、一週間いなかったから、失踪って言ってもいいんじゃない?」

 玲子は、大げさな単語使いを咎められたと思ったらしく、慌てて弁解を始めた。違う、そうではない。


「私、そんなの知らないんだけど・・・・・・そんなこと、あった・・・・・・?」


 玲子の瞳がこぼれ落ちんばかりに見開かれ、骨の奥が軋むような重く鋭い沈黙が私たちの周りに蔓延した。

「覚えてないの」

 絞り出された玲子の声は、平べったく潰れていた。

「覚えて、ない」

「あのとき、三枝、本当にあの子と仲が良かったからね。ショックで、覚えていないのかも」

 玲子は自分に言い聞かせるように、ゆっくりと言葉を吐き出した。そうすれば、口に出したことが真実になると信じているように。

「そうなのかなあ・・・・・・」

 私は私の記憶が一気に信じられなくなる。

 彼女は私の友人で、何でも話せる間柄で、それこそ親友と呼べる数少ない友人だった。そのはずだ。

 朝学校に行くのも、放課後帰ってくるのも、ずっと一緒だった。

 ならばなぜ、私は彼女の失踪などという大事件を覚えていないのだろう。


「振り向いちゃった、のかもね」


「――は?」

 自分自身を抱きしめるように、両腕を胴体に回していた玲子が、そう言った。

 飲み干されたアイスティのグラスの中で、形を半分無くした氷が、からんと鳴った。

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