ひろいもの

宮埼 亀雄

第1話前編一



 その日も、俺はいつもと変わりない朝を迎えていた、俺の借りているアパートでいつものように目覚めた。いつもと変わらないすすけた天井を見つめ、いつもと変わらなぬ薄い布団に包まって朝の冷気に耐えている。そして、いつもと変わらない二日酔いの頭を抱え……。


 いや、何かが違う気がする。何だろう? 重い頭をせんべい布団に包みこみ、昨晩の記憶を手繰たぐろうと努力した。独り者で、気楽にアルバイター生活を送る俺が朝っぱらから努力するなんて、ここ最近なかったことだ。なんだか不思議な気分になる。


「そうだ、女だ!」

 俺は記憶の断片だんぺんをようやく発見し、布団の中でひとりごちして叫んでいた。





 そうだ、昨晩がアルバイト代の支払い日だった俺は、いつものように〝少し〟気が大きくなり、久しぶりに行った居酒屋で、しこたま飲んで食って気分よく帰宅していた深夜の路上で、倒れている若い女を拾ったのだった。

 景気よく泥酔している俺は、女をふんづけていた。足下から蛙の声が聞こえた。

「ぐぇ!」

 蛙だ。えらくデッカイ蛙だ。俺は不思議に思い、再度踏んでみた。

「ぐぇ!」

 再度。

「ぐぇ!」

「ぐぇ!」


 柔らかくて、踏み心地よい感触に俺は、蛙を何度も何度も踏んづけていた。最後には足を手で払い除けられ、踏んでいたのが道路に倒れている女だと、ようやく理解した。こんな夜中に、何故なにゆえ女がこんなところに倒れているのか、なんてよくわからないし、気持ちよくなっている俺には関係無いことなので、そのまままたいで通り過ぎた。





 しかし、はたと気持いい脳みそで思い返した俺は、女へと引き返しサンダル履きの親指の先で、女の身体からだを軽くつついてみた。


 柔らかい。昔からドン臭くてモテなかった俺の、学生時代振りの、十何年か振りの女体との接触だった。いやらしい男子中学生だった俺は、子供の特権を最大限に利用し、同級生の女子に、今で言うところのセクハラ行為を繰り返していたのである。


 その頃の思い出がまざまざとよみがえってくる。確かに女子の身体は柔らかい。柔らかくてしなやかでくにゃくにゃと身体を反らしながら逃げ回る。逃げ回る女子に人差し指を突き立てたときのあの快感、黄色い声を上げながら逃げ惑うしなやかな死体、いや肢体。


 鬼となった俺を恐れおののき、軽蔑けいべつ畏怖いふ眼差まなざししと非難の対象と成る瞬間のエクスタシー! そのとき俺は女子たちの脳細胞のはじっこあたりに、嫌な奴の意識として確かに存在していたのである。そう、何もかもが懐かしい。


 なんだか、嬉しくなった俺は、何度も何度も女の背中を足の指先で突いていた。こんな機会は滅多にあるものじゃない。女が交通事故にでも遭っていたのならば、生存確認なんだし誰かにとがめられるものでもあるまい。俺は思う存分、気が済むまで女の背中を指で突いていた。





 やっぱり柔らかい。そうか、女ってこんなにも柔らかい生きものだったよなぁ。などと感心していると、女は気がついたらしく、背中を(俺の足の親指で)指圧され、よほど心地よかったのであろう、身体をくねらせ「うぅぅぅん」とうめいた。


 そうか、意識はあるんだな。意識があるのなら、次は問い掛けだ、俺は建築現場のアルバイトで受けた安全大会の知識を総動員し、無意識に実践していた。

「お元気ですか?」

「お元気ではありません」

 女は答えた。

「どこか、痛いところおありですか?」

「お、お腹がちょっと――」

「そうですか、お腹ですか、残念ですが、今お腹の薬は持ち合わせておりません――」

 俺がそう告げると女は、暗闇の中で俺を振り返ったらしく、「お腹が、すいているんです」と言った。

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