百年後のさようなら

字幕派アザラシ

百年後のさようなら

 しんしんと雪が降り積もる。

 まもなくこの星は冬を迎えようとしていた。


 生命が芽吹く春、文明が加速する夏、ひとつの時代の終わりを嘆く秋、そして百年の冷酷な冬。


 はるか昔から続くサイクルを変えることはできないが、時の権力者達は己が種族の血を残そうと様々な対策を講じていた。


 今回来たる冬に向けて、万が一の事態を考慮し採用されたのは人々や貴重な動植物を乗せて一定期間、宇宙へ逃れる箱舟計画、鉱物とマグマをエネルギーに太陽のない地下で生活圏を築く地下移住計画、そして科学の粋を集めた小型カプセルによる冬眠計画の三種類だ。


 選ばれた民をそれぞれの計画に割り振り、遠い百年後の春を待つのである。


 割り振りはランダムではなく均等を最大のテーマとし、年齢や性別、人種、能力に家柄を厳密に精査され、どの計画に支障が出ても問題ないよう配慮されていた。


 中には地域一帯の括りで同じ計画に組み込まれる一族もいたが、多くは親子であろうと夫婦であろうと双子であろうと引き離され、各地で嘆きの声を聞かぬ日はなかった。


 それでもまだ救いの手を差し伸べられた選ばれた民は幸福なのである。


 絶望的な寒さと燃料および食料の危機が来るのを知っていながら逃れる術も、逃れる場所も用意されなかった劣性種と呼ばれる者達よりは……。


「早く! 急げ! ポウリーン!」


 無機質で真っ白な通路を人族の男の子と獣族の女の子が走っている。

 ここは地域一帯で冬眠計画を指示された地方の王族用ドームだ。


 そして男の子はこの国の末の王子で、女の子は身寄りのない下女だった。


「入れ! 警備の者に勘付かれる前に! 早く!」


 王子専用に設えられた小部屋には二基の冬眠カプセルがある。

 婚約者のいる兄王子達はすでに、お相手と共に眠りについていた。


 ドームの外は前も見えぬほどに吹雪いているらしい。

 この地方には一足早く本格的な冬が訪れていたのだ。


 本来であれば王子もとっくにカプセルへ入らなくてはならなかったが、幼い頃から一緒のポウリーンとでなくては眠らないと頑なに拒否していた。


「よし、入ったな? きつくないか? 閉めるぞ」


 王子を説得する余裕もなくなった父王が、吹雪の中へポウリーンを追い出そうとしたのだから、王子も強行手段に出ざるを得なかった。


 両親の祝福で作動するキーシステムに手を加え、警備の目を盗みコソコソとドームに忍び込んだことがバレれば王位を剥奪されかねない大問題となる。


 それでも、そうまでして王子はポウリーンと冬を越したかった。


 カプセルを閉める前に見た彼女の顔はいつもと変わらず可愛らしい。


 豚族の中には耳と尾だけが豚のソレで、他が人族と変わらない者もいるが、純潔の劣性種であるポウリーンは逆に人が二割、豚が八割といった容姿だった。


「あー、あー、聞こえるか? ポウリーン。手元に赤いスイッチがあるだろう? それを押して通話をオンにしてくれ。すでにスタートプログラムを組み込んであるからな。お互いの冬眠機能が働くまで、おまえと話がしたいんだ」


 ピッピと音がして、王子の横たわるカプセル内の通話ランプが灯る。


「よし、いいぞ。なにか喋るんだ」


 ゴソゴソ、モゾモゾとカプセル内を探る音がする。


「お、王子様、マイクがねぇです」


「ハハッ、マイクはいらん。そのまま話せば、ちゃんとこちらに聞こえるようになっているんだ」


「あんら、やだよ、わだず、なんも知らねから」


 あぁ、こんな個別で分かれるのではなく、手を握り、同じカプセル内で色々なことを教えてやりたい。


 王子はこの純粋な獣娘を心から愛していた。


 朝から晩まで雑用で働かされる彼女に自由な時間と、可愛い服と、そして自分の隣という安らげる居場所を与えてやりたかった。


『残りおよそ五分で冬眠ガスが噴射されます。緊急の際はガスが完全に消えたことを確認した後、お手元のレバーを引いてカプセル外へ避難してください』


 聞き慣れた抑揚のないアナウンスが流れ、王子の胸はドキドキと高鳴った。


 なにも冬眠の始まりに緊張しているのではない。

 前もってカプセルでの冬眠試験は何度も試しており、安全性もしっかりと確認している。


 心臓の鼓動が激しいのは、この残り時間でポウリーンにプロポーズしようと決めていたからだ。


「あー、あのだな、ポウリーン。すでに存じているかと思うが、私はそなたを愛しているのだ。この冬を越し、春になったら私の妻になってくれんか?」


 ドッタン! バッタン! ガタン! ガンガンガン!


 警備が飛んでくるのでは、と心配になるほどの騒音が響く。

 隣の狭いカプセル内でポウリーンが身悶えしているのだ。


「お、落ち着け、ポウリーン! それは喜んでくれていると解釈していいのか?」


「わ、わだす、そげな、そげなこと言われるなんて!」


 ドッタン! バッタン! ガタン! ガンガンガン!ブーブーブー!


 豚族らしい興奮の雄叫びまで追加され、なんとも賑やかだ。


「感極まっているところ悪いが、時間がもうないのだ。私は答えを持ち越したまま眠りにつきたくない。どうか、そなたの気持ちを聞かせてくれ」


「だって! 王子様! わだずは――」


 ブフーと荒い鼻息の後、一拍置いて静けさがやってくる。


「ポウリーン?」


「……」


「ポウリーン?」


「……王子様、わだずはとっても嬉しくて今にも死んぢまいそうです」


「ハハッ、死なせるものか。私達は良い夫婦になれる。なぁ、そうだろう?」


「ブブブブブ。ねぇ、王子様、目が覚めたらきっと素敵な春が、明るい未来が待っとりますよ。桜が咲いて、子供達が遊んで、美味しいものをいっぺぇ食べるんです」


 色も匂いもないガスがゆっくりと充満していく。


「おやすみ、ポウリーン。よい夢を」


 彼女の言う明るい未来が、きっと自分と歩んでくれる道だと信じ、王子は長い長い眠りに入っていった。


「……王子様? 王子様、お眠りになりんさったか」


 ポウリーンが手元のレバーを引くと、カプセルはスムーズにパカリと開いた。

 元々、冬眠機能が稼働していなかったのだから、ガスが外に漏れる心配もない。


 冬眠カプセルを作った人族の科学者の意地なのか、劣性種が入ったと認識された場合、冬眠機能が発動しないことを王子は知らなかった。


 逆にポウリーンは意地悪な下女仲間から、自分が世界から助けてもらえないことをしつこく教えられていた。


『王子様があんたみたいな豚を構うのはペット感覚なんだよ。いい気になりやがって』


『一緒に冬眠できるって? あんた馬鹿なの? 劣性種は毎度、冬になる度に滅びるんだよ。そう神様が仕向けてるんだから。それなのに春がきたら、またどこかで増え始めるんだから困ったもんだよねー』


『私達は星政府に用意してもらったカプセルがあるからね。あんたはお寒い中でせいぜい頑張りなさいな』


 一度、瞼を閉じて深呼吸する。

 嫌な記憶を頭を振って追い払う。


 大好きな王子の声はまだ耳に残っていた。

 多分きっと、ポウリーンは死ぬまで王子の台詞を忘れない。


 王も王妃も警備員達も眠りにつき、城の灯りが全て消え、食料が底を尽き、かじかむ手足が動かなくなっても、何度も何度も王子の優しさを思い出すはず。


 未来ではきっと可愛い人族の女の子が王子の横に並ぶだろう。

 温かい春には王子の子供達が桜の下で遊ぶのだ。

 悲しいことは全部、冬が持っていく。


 王子様が目覚めた時には世界に明かりが満ちていて悲しいことがありませんように。


 ポウリーンは王子のカプセルの傍らで跪き、どうか百年の健やかな眠りをお過ごしくださいと心から願うのだった。

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